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2020年5月30日土曜日

読書 「京都まみれ」井上章一


 「京都まみれ」

評価:★★★★★
著者:井上章一
出版:朝日新書

著者は、ご存知の方が多いと思いますが、簡単に説明しますと、あの人気歴史学者の磯田道史氏の所属する「国際日本文化センター」の教授で、昨年より所長も務めている偉い人です。建築史や意匠論の専門家であるが、何故か関西の風俗研究者に変貌しつつあります。
新書大賞の大ベストセラー「京都ぎらい」のあと、2匹目のドジョウを狙って「京都ぎらい官能編」「京女の嘘」等が出版されているが、いずれも不発で、今作品が実質的に「続・京都ぎらい」と、言えそうです。

著者は、「京都人」=「洛中の人」としているが、この本では、さらに「洛中の人」の定義を「祇園祭」を催すことが出来る人々(八坂神社の氏子)と捉えている。
京都人ではない私には、何故「洛中=祇園祭」なのか分からなかったが、京都の三大祭を下記のように整理するとなるほどと理解できた。(間違いであればご指摘下さい)

「時代祭」:平安神宮の祭りなので、明治以降に始まり、他の祭りは平安時代から始まっているのに比して歴史が浅すぎる。
「葵祭」:平安時代には「祭」といえば「葵祭」と言われていたそうだが、この祭は貴族の祭りで庶民とは縁遠い。
「祇園祭」:庶民の祭りでしかも期間が1ケ月にも及び動員数や、祭りに掛ける労力はけた違いである。「祇園祭」が実質的に京都を代表する祭りと言っても良さそうだ。

ここでまた、よそ者の私には混乱が起きてしまう。
京都以外の人間が京都に憧れ、京都を感じるのは、所謂観光スポットなのであるが、寺社では、「京都ぎらい」で述べられていた「石、苔、金」(龍安寺・西芳寺・金閣寺)であり、他に清水寺、銀閣寺、南禅寺、伏見稲荷、貴船神社、三千院、平等院等であり、風情のある場所としては、嵯峨野、嵐山、祇園、産寧坂等々と、洛中と言われる地域ではなく、その外側の所謂洛外に位置している・・・この違いはなにか???

これに関しては、別の本を読んでいて、「洛中」と「我々が感じる京都」との違いが分かった。その本の詳細はここでは避けるが、都が京都に遷都した時の「平安京」と今の「京都」は、全くの別物であるという事を書いた本である。

当時、新しく作られた平安京の中にあった寺社は「東寺」と今は廃れた「西寺」のみが特例として作られたが、基本的には洛中に寺の建設は禁止されていた
現在洛中にある寺社は、殆どが江戸時代以降に作られている。
また、当時この新しい都の建設計画を作ってみたものの、現在の右京にあたる地域は湿地帯で、南部も低地で水害などが多く、人は殆ど住み着かなかった。
実際に人々が居を構えたのは、現在の左京の北、つまり理論上の平安京の東半分のしかもその北半分であった。教科書に載っている「平安京」は歴史上実在していなくて、桓武天皇の妄想に過ぎなかったようだ。
その後の平安京がどのようにして(現在の)京都に変貌していったかは、ここでは省く。
この歴史が分かって初めて、著者が言う洛中の範囲の歴史的成り立ちが分かる。

できうれば、著者の井上先生に上記のことを書いて欲しかった。

話を戻します。著者が、かつての上司で洛中に住む杉本秀太郎と話した時に、杉本は「(洛中は)北と南で言うたら御池通から五条通までは洛中に入れてもええやろ」
別の室町に住む祇園祭とかかわる旦那のS氏は、「杉本さん、そんなふうに言わはったん? ちょと了見が狭いんちゃうか。丸太町通までは洛中と言うてええんやないか・・・それでもな、丸太町通より北側を京都やと思うたことはあらへんあっちは、もうべつの町や」
著者は「杉本もS氏も、京都御所のある場所は、洛中に入らない。かつて天皇や公家たちが暮らしていた宮廷は洛外にある・・・祇園祭の旦那たちは、事実上そう決めつけている」という。
このようなことから話はまた別の展開をするのだが、ここでは著者は京都の洛中の人々の選民意識はここまで排他的だと言いたかったようだ。
またそういう選民意識になった歴史的背景・環境まで深く掘り下げて、応仁の乱のアナーキーな時代に上京と下京の街が自分たちの自治権を獲得したことが、豊織時代~江戸時代を経ても街の深層としてあり、現在まで続いていると分析している。
最後はやはり学者らしく締めくくっている。

これ以外にも京都弁(洛中の人にとっては標準語)のやり取りが入り混じり、京都以外の人々にとっては、京都のことを多少知っていないと理解しにくい話が、わんさかとあるが、関西出身(と言っても私の場合は、著者のいう都から外れた畿外であるが)の私にとっては、面白いネタの詰まった本に仕上がっている。

最後まで読んで、この著者は本当に「京都ぎらい」なのか・・・???
ここまで執拗に京都(人)のことを掘り下げて批判し、揶揄しているのは、実際は、「京都大好き人間」であるが、旧洛中の人からは京都人の仲間に入れてもらえない。
その反動の屈折した気持ちを、ねじくれた表現としてうっぷんを晴らしているのではないかとも思える。
著者に関しては、へそ曲がりの一筋縄ではいかない老獪なジジイで、お友達にはなりたいとは思わないが・・・内容的には、なかなか面白く仕上がっている。
京都を深く知りたいと思う人は、(条件付きで)是非一読をお勧めします。・・・条件とは、活字の京都弁に抵抗があったり、ある程度の京都の地理、歴史、その他のイメージが分からないと、面白さは半減します。

2020年5月17日日曜日

街道を撮りにゆく シリーズ5 「北海道編・オホーツク海」

     オホーツクの激変する朝焼け


利尻・礼文を後にして、船は夜の間にオホーツク海へ。
このオホーツク海で、これまで見たこともないような見事な朝焼けに遭遇しました。
今回は写真をを中心に、纏めて見ましたのでご覧下さい。

マストの上には、「下弦の月」

午前4時21分 右上には「明けの明星」が見える

 夜から朝へと時間が切り変わって行く

 下中央に突起しているのはクナシリ島の「ルルイ岳」
下右端はクナシリ島最高峰の爺々岳(チャチャダケ)

見事な朝焼けが広がった

国後島上空が炎上 下中央は爺々岳(チャチャダケ)
(この写真はシリーズ2で使用したものに雲の動きを加えました。
雲が動いてない場合は、写真の上でカーソルをクリックして下さい)

朝焼けのドラマも終焉へ

船の前方に知床岬が迫ってきた。左が羅臼へ、右が斜里へ

            船の後方は、何もなかったような穏やかなオホーツク海に戻っていました

2020年5月13日水曜日

読書「旅のつばくろ」沢木耕太郎

       「旅のつばくろ」

評価:★★★★☆
著者:沢木耕太郎
出版:新潮社

沢木耕太郎の本は、常々読んでみたいと思っていたが、これまでに読んだのは「凍」の一冊のみ。でも本棚には、「深夜特急1」「旅する力」「テロルの決算」「危機の宰相」「檀」「キャパの十字架」が並んでいる。

私には、良い本を見つけた時に、今買っておかないと、生涯この本と再び出合う機会がないのではと思ってしまう強迫観念にいつも襲われ、ついつい本を買ってしまう。
その結果が、膨大な積読状態が発生し、壁の作り付けの本棚だけでは足りなくなって、新しい本棚が必要となってくる悪循環に陥っている。
昨今のように読書量が落ちてくると、処分しようとは思っているのだが・・・

この本は、新聞広告に出ていた日に、本屋さんでたまたま遭遇したので、買った次第です。
これまでの反省もあり、積読ではなく、買ってすぐに読み始めた。

内容は、JR東日本が発行している「トランヴェール」という旅の雑誌に掲載された旅のエッセイの中から41編を纏めたものである。
旅の行き先は「遊佐(山形)」「築館町」「盛岡」「奥多摩」「箱根」「小淵沢」「輪島」「龍飛岬」「蟹田」「三内丸山」等。
旅の途中に出会った人との交流や過去の経緯で訪れた土地での思い出等々が、1つが5ページ程にまとめられており、しかもこの著者らしく端正な文章なので、寝る前に軽く読むのに適している。

能登の輪島では、白米(しろよね)の棚田まで足を延ばした時に、香港からのカップルと出合う。著者は彼らに「中国本土の龍勝の棚田の方が、規模も壮大で、同じ棚田ならそちらの方が良いのではないかと訊ねたら、二人は口々にこう言った。自分たちも龍勝の棚田には行ったことがある。しかし、良く手入れされているこの白米の棚田により心を動かされる。そして、こんなことも言っていた。以前は中国本土にも旅行していたが、最近は日本にしか来ない。日本を旅行していると、心が落ち着くのだ、と。」
・・・等々、出会った人々との心温まる交流が随所に散りばめられている。

肩の凝らない本として、一読をお勧めします。

2020年5月6日水曜日

街道を撮りにゆく シリーズ4「北海道編・利尻島」

「北海道編・利尻島 」シリーズ4


利尻の地名の語源はアイヌ語のリ・シㇼ(高い島)だそうだ。
その名のごとく、利尻岳(国土地理院では利尻山)を主体とした火山島である


この山は、深田久弥の「日本百名山」に「利尻岳(1719m)」と、最初に登場する。山の高さは2000mにも満たないが、島全体が海上に浮かぶ山のように見え、その山容の美しさから「利尻富士」とも呼ばれ、日本のクライマーの憧れの山である。

(空からの利尻島 Wikipediaから)

私の学生時代からの親友であるH君が舌癌で入院し、見舞った時に「退院したら、利尻岳に登ろうな」と彼が言ったが、果たせぬまま故人となってしまった。
彼の亡くなった1年後にこの島を訪ねた。
空から見れば、島全体が見えて最高に素晴らしいと思うが、海からの訪問となってしまった。しかも雪のない9月であった。

目が覚めて甲板に出た時に、利尻岳を始めて見た。
船の前方に神々しく横たわっていた。

                                                    利尻岳の上に朝陽が輝く

利尻オタトマリ沼

オタトマリ沼から見る利尻岳

島の湾内の風景

            「北のカナリアたち」のポスター
 2012年に映画「北のカナリアたち」が封切りされた。
この映画は、利尻・礼文が舞台になっており、私の好きな木村大作の撮影で、冬の厳しくかつ美しい利尻岳が映し出されているので、一度ご覧下さい。
なお、この映画は第36回日本アカデミー賞の各賞を総なめにしている。

 利尻島の夕景に別れを告げて、宗谷岬を回って、オホーツク海へ向かう。

 礼文島沖での夕景
 (この写真は、2017年YPC総合写真展で「住宅供給公社賞」を受賞しました)


2020年4月26日日曜日

読書「テレビの国から」倉本聰

       「テレビの国から」

評価:★★☆☆
書名:テレビの国から
著者:倉本聰
出版:産経新聞出版

『おとなのデジタルTVナビ』(産経出版)の20158月から198月まで連載したものに加筆、再構成したものだが、『ドラマへの遺言』(新潮新書)と内容がダブっている部分が多く、密度も『ドラマへの遺言』の方が充実している。
もし、この2冊を手に取って、どちらを選ぶかを迷っている人がいれば、迷わず『ドラマへの遺言』をお勧めいたします。

内容は、
第1章 昭和から平成、令和をつなぐ物語 「やすらぎの郷」「やすらぎの刻」
第2章 戦後日本を総括する物語 「北の国から」
第3章 東京を離れて見えた物語 「6羽のかもめ」「前略おふくろ様」他
第4章 富良野がつないだ物語 「昨日、非別で」「風のガーデン」他
第5章 若き日の物語 「文五捕物絵図」「ガラス細工の家」他
第6章 これからの人に贈る物語

第6章では、昔のようなテレビを見る習慣が崩れた今でも、テレビ局は「視聴率第一主義」「ゴールデンタイム信仰」「F1F2層(20~40代の女性)のターゲット主義」から抜け出せないでいることに対して痛烈に批判し、番組の質が堕ちていくことを嘆いている。
テレビという媒体が生き残るためには、上記の考え方から脱却しなくてはならないと提言している・・・これは著者が東京を離れた北海道にいるから見えてくるのかも知れない。

脇道にそれて、印象に残っているのは、「人間的にはいろいろ言う人がいるが、(ショーケンは)役者としては天才だった」と、著者はショーケン(萩原健一)をかなり評価していることだった。そして「いしだあゆみ」の言葉を紹介している。「いしだあゆみがショーケンと結婚していた頃に、『364日はひどい人だけど、1年に一度の笑顔で、一緒になってよかったと思う』」
・・・若い時に「いしだあゆみ」のファンだった私からすれば、言って欲しくないセリフです💔・・・また、こういう女心は私には分からない???

(「ドラマへの遺言」が上記に出てきましたので、以下参考にご覧ください)
2019-3-21
ド ラ マ へ の 遺 言
著者:倉本聰・碓井広義
出版:新潮新書

倉本聰ほど「伝説?」の多い脚本家も珍しい。
思い浮かぶものを羅列しても「国民的ドラマの大ヒットメーカー」「NHK大河ドラマの降板」「富良野への移住」「台本の一字一句にも拘り修正を許さない」「キャスティングにも口を出す」「80歳を超えてからのシルバータイムドラマの創出(やすらぎの郷)」・・・等々

その倉本聰へ碓井広義が行った計9回のインタビューを纏めたものが本著である。
インタビューなので読みやすく、倉本聰の考え方やそれぞれのドラマの舞台裏など面白い話がわんさかと詰め込まれており、その時代その時代に果敢にチャレンジしてドラマの可能性を広げてきたことが分かる。

裏話のおもしろかったものを挙げると、直近のドラマの「やすらぎの郷」のキャスティングの話は面白かった。
主役の石坂浩二の「元ヨメ・浅丘ルリ子」、「元カノ・加賀まりこ」のキャスティングは、前もって浅丘ルリ子と加賀まりこに話をしていた時から石坂浩二の名前は出ていたそうで、倉本が「あなたたち平気なの」って聞いたら「全然平気よ」って言うので、あとはとんとん拍子に決まったそうだ。
また「石坂浩二演じる『菊村』は倉本聰と阿久悠と久世光彦(演出家)等の同世代の複数の人間の要素を詰め込んでいるので、菊村を僕(倉本聰)だと思われるのは迷惑な話でね。女房も生きていますし、駆け出しの女優と浮気したなんて言われちゃうと困っちゃう」

それにしても84歳の倉本聰が「やすらぎの郷」の続編を書きあげ、その「やすらぎの刻~道」が4月から始まるのが楽しみだ。(2020-3末で放送終了)


2020年4月22日水曜日

街道を撮りにゆく シリーズ3「北海道編・網走と流氷」 

        街道を撮りにゆく・・・北海道編・網走と流氷

網走と言えば、高倉健主演の映画「網走番外地」や、吉村昭の小説「破獄」などから、すぐに「刑務所」を連想してしまう。
「刑務所」といえば暗いイメージに付きまとわれるが、ここ網走では、それを逆手にとって、売り物にしている。
まず、駅前に刑務所をイメージしたレンガに縦書きの標柱(通常は駅舎に横書きで駅名を書いている)、「博物館網走監獄」という見学施設、はたまた刑務所の近くに「刑務作業品展示即売所」まである。
レンガに縦書きの駅名
街道をゆく㊳

わが敬愛する司馬遼太郎の「街道をゆく」では、網走刑務所がどう扱われているか調べてみた。・・・(こんな事をするのは自分でもアホだなと思います)

㊳オホーツク街道」では、主に「アイヌ文化」や「オホーツク文化」に主眼がおかれ、その遺跡を訪ねている。この本で「刑務所」に関しては、390ページに「網走監獄」と「網走監獄保存財団」という言葉が1回出て来るだけで、それ以外には全く触れられていないのは、かの作家の見識の高さであって、私のような下賤の輩のような発想はしないようだ。

話が最初から脱線してしまったが、今回の主題の「流氷」に話を戻します。
この流氷を見る為に、真冬の2月にノコノコと網走までやってきた。この時は流氷の接岸が遅く、ヒヤヒヤしていたら、私が網走に来る2日前に、やっと気象台から「流氷の接岸初日」が発表されて、胸をなでおろした次第です。

流氷の動きに関しては、「気象台」「海上保安庁」「JAXA地球観測研究センター」や、その他「Twitter流氷なび」「Twitter流氷なう」等で、いろんな情報が流されているのには驚いた。今後流氷を見に来る方は、これらの情報を参考にされると良いと思います。
今回のルートは網走港から「網走流氷観光砕氷船 おーろら」に乗って流氷の海に出て、続いてJR網走駅から「流氷物語号」で、陸から流氷を見る旅です。

観光砕氷船おーろら号」
網走流氷観光砕氷船 おーろら

いざ、流氷の海へ

「おーろら号」の出発 

幾分愛嬌のあるマスコット的なオオワシ

悠然と飛ぶオジロワシ


2羽のオジロワシ


ガリガリと砕ける流氷



夢中でシャッターを切る観光客 やたら中国語が飛び交っていました。


港に戻るとカモメが必死で、氷の上に這い上がろうとしていました。

JR「流氷物語号」
船の観光を終えて、網走駅からJR釧網線の冬の臨時列車「流氷物語号」へ乗ります。


「流氷物語号」は冬のオホーツクの雄大な景色から「物語」を感じてほしいという思いから名付けられたそうです。
運転期間は2月1日(土)から約1カ月間、網走~知床斜里間を1日2往復し、2両編成で全席自由席となっています。
車窓からの眺め

北浜駅(無人駅) 上部に見えるのがオホーツク海の流氷

手前下の白っぽいのは「波の花」


冬のオホーツクの厳しさを感じさせる海岸の風景

【流氷ひとくちメモ】
           「北海道立オホーツク 流氷科学センター」のHPより
普通の海は上下の水が混ざり合いながら冷えていきます。そのため深いほど冷えにくい!ところが、オホーツク海は、海面から50mまでは甘く塩分濃度の薄い海水、50m以下は塩辛く塩分濃度の濃い海水の2層に分かれています。この2層は混ざることはないので、オホーツク海は水深50mの浅い海とも言えます。よって、海水の凍る温度の-1.8度に短時間で達し、毎年流氷を見ることができるのです。しかし、同緯度に位置するが、水深の深い太平洋では、対流する時間が長いので-1.8度になる前に春が訪れるのです。北半球の凍る海を見ますと、オホーツク海は最も南に位置する凍る海ということがわかります。オホーツク海は流氷の南の限界なのです。

上記の説明を読むまでは、私は流氷は黒龍江(アムール川)で凍った氷が、段々大きくなって、北海道へ来ると思っていました。実際にアムール川の氷がどのように動くのかを調査した大学の先生がいて、アムール川の氷は樺太止まりで、北海道までは来ていないそうです。

2020年4月18日土曜日

街道を撮りにゆく シリーズ2「北海道編・羅臼」 

街道を撮りにゆく・・・北海道編・羅臼

羅臼町は、知床半島の東側半分を占めており、世界自然遺産の町である。
町名の由来はアイヌ語の「ラウシ」(獣の骨のある所の意)が転化したものだそうだ。
また森繁久弥さんの名曲「知床旅情」発祥の地でもある。
海から眺めると、羅臼岳(1,661m)が町の後方に屏風のようにそびえ立っている。

右上が羅臼岳 下の海岸線に沿って羅臼の町が広がる

【鷲について】
知床半島は、オオワシ・オジロワシの世界有数の越冬地で、主にオホーツク海沿岸部からやってくる。
オオワシは全長1m、翼を広げると2.5mにもなり、世界のワシ類でも屈指の大きさだそうだ。羽毛真っ黒で、尾羽とさらに翼の前の部分(肩)が白く、オジロワシより目立つ。
一方、オジロワシは、オオワシよりは少し小さいが、それでもかなり大きなワシで、褐色の羽毛に覆われており、名前の通り尾羽は白い。

左がオオワシ、右がオジロワシ

羅臼を訪れたのは、流氷の上にいるオオワシ・オジロワシを前から一度見たいと思っていたという単純な理由です。
残念ながら、この時はまだ流氷は羅臼沖まで流れ着いていませんでした。
またオジロワシの写真はバッチリと撮れましたが、オオワシは飛んでいる場面が撮れなかったので、もう一度チャレンジしようと思っています。


オジロワシの飛び立つ瞬間

大空を悠々と飛ぶオジロワシ
獲物を撮り見つけて急降下するオジロワシ

獲物をゲッット まさに「わしづかみ」
着地態勢




翼を最大限に使ってブレーキをかける

着地の瞬間 足が力強く雪を捉える 雪が舞い上がっている

【北方四島のこと】
羅臼町は、根室海峡を挟んで北方領土の国後島と対峙している。
漁業は、近海では捕獲量が減少し、最近はロシアへ入漁料を支払って、北方4島付近での操業となる。この話を聞くと突然厳しい現実に引き戻される。

国後島近海での操業から戻ってきた漁船
以前のクルージングで見たオホーツク海での国後島
これまでに見たこともないような凄い朝焼けだった
下部中央の小さな突起物は、国後島最高峰の爺々岳
雲の上に頭を出した国後島の爺々岳(ちゃちゃだけ)1822m