「シン・ゴジラ」とオタクのナショナリズム?
著者:大澤真幸
出版:角川ソフィア文庫
本書は、2026年~2027年にかけて早稲田大学で行われた講義がベースになっている。講義内容はサブカルチャー(映画・小説・マンガ・アニメ等)を通じて現代社会の構造を分かり易く説明している。
出版:角川ソフィア文庫
本書は、2026年~2027年にかけて早稲田大学で行われた講義がベースになっている。講義内容はサブカルチャー(映画・小説・マンガ・アニメ等)を通じて現代社会の構造を分かり易く説明している。
具体的に題材としているのは<映画>「シン・ゴジラ」「ウルトラマン」「DEATH NOTE」、<アニメ>「君の名は」「この世界の片隅に」、<小説>「砂の器」、<ノンフィクション>「木村正彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」等々
まず本のタイトルの仰々しさに驚く。内容がこのタイトルのようなものであるのかは、成功しているとは言い難いように思えるが、現代社会で起きていることを規定している基本的な構造を、フィクションを通じて見だすことには若者の理解を得やすい内容だと思います。
例えば「シン・ゴジラ」(映画)について。
(Amazonのプライムビデオにあったので、再度観ました)
フィクションの世界なのだが、現実の基礎的な構造をきっちりと踏まえている。
具体的には、ゴジラが東京湾に現れ、それを駆逐するのに、自衛隊が出動し、当然のことながら、歯が立たなくて、米軍の出動を要請する。この辺りの描き方は、法律や各役所の縄張りに素早い動きの取れない政府や決断力のない政治家の対応の拙さ、そして日米安保条約の存在をきっちりと描いている。(それまでのゴジラシリーズではそういうことは描かれていない)
そして監督はその批判も忘れていないのが、改めて認識される。
米軍の兵器は自衛隊以上に破壊力はあるが、当然ゴジラには歯が立たない。次に国連に舞台が移り、日本に対して(広島長崎に次ぐ)3度目の核の使用という決定がされる。この核の使用までの限られた時間内に、日本人が独自にゴジラへの対応策を実施して、メダタシ・メデタシと問題は解決する。
ここで面白いのは、ゴジラ対応で集められた科学者等は、コミュニケーション能力の不足したオタクや変わり者ばかりで、その対応に当たり、オタク達のナショナリズムが窮地に陥った日本を救うという流れになっている。つまり現実の細かな法律の規定や日米安保等で縛られている現状を日本の若いオタク達がそれを乗り越えて、問題解決の答えを導き出すというストーリーが見えてくる。
「木村正彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」についても、敗戦後の日本人の深層心理を上手く抉り出している。
他の例も、現実とサブカルチャーの間の空間を解きほぐして、面白く読ませてくれる。
著者のサブカルチャーに対しての読みの深さと社会学者としての力量を見せてくれる本である。
こんな大学講義があれば、学生も大勢押しかけると思われる。