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2024年2月25日日曜日

読書 増補版 藤原道長の権力と欲望 倉本一宏

    NHK大河ドラマの時代考証者の証言


著者:倉本一宏
出版:文春新書

この本は長らく絶版となっていたが、著者がNHK大河ドラマの『光る君へ』の時代考証を担うのに併せて、「紫式部と『源氏物語』」の補章を加えて、2023年夏に増補版として再出版された。

内容は、ユネスコの「世界の記憶」に指定されている藤原道長の日記『御堂関白記』に加えて、藤原実資の日記『小右記』、および藤原行成の日記『権記』を軸として、更に他の資料も加えて、藤原道長の生涯と人物を炙りだそうとしています。

(道長の栄達の歴史はここでは省略します)

「御堂関白記」は、日本史上最高の権力者の日々の記録であり、他の日記が、他人が読むことを前提に貴族社会の共有財産として認識されているが、「御堂関白記」は公開されるのを前提にしておらず、表紙の見返りに「破却すべし」と書いてあり、他の古記録とは決定的に異なるそうだ。

また、日記から見えるのは、「権記」を書いた行成は、道長に対して尽力してきた側近だが、意外と道長に対しては屈折した関係にあり、「小右記」の実資は道長に対して批判的でありながら、実際はお互いに尊重しあっていたというのが面白い。

増補された最終章の「紫式部と『源氏物語』」について、著者は、道長と紫式部の関係は、もっぱら道長長女の中宮彰子の女房として、また「源氏物語」および「紫式部日記」の執筆への支援(または命令)に限られるとし、「二人が幼なじみであったとか、まして恋仲であったなどとは、歴史学の立場からは、とても考えられることではないのである」と、冒頭から素っ気ない。
2024年のNHK大河ドラマ「光りの君へ」の時代考証の担当者としては、身もふたもない言い方である。


<蛇足>
以下、「東大新聞オンライン」に掲載されている「NHK大河ドラマ」に関して著者のインタビュー記事から抜粋しました。
「あまりにも史実に反しているストーリーはやめてほしいと考証会議で言っているのですが、受け入れてもらえない場合のほうが多いので、一応言うだけ言ってはおくという立場を取っています・・・『光る君へ』は、紫式部と道長が幼なじみだという設定から出発しているのですが、実はそもそもこの設定自体が史実に反します。NHKが制作発表の段階で発表してしまったため変えられないので妥協することにしましたが、実際には、2人が幼なじみだったということも恋仲だったということもあり得ません」

<疑問>
道長は、一条天皇の寵愛を娘の彰子へ繋げる手段として「源氏物語」を使ったのは、これまでも言われてきたので、違和感はないのだが、「源氏物語」は紫式部が宮廷へ上がる段階では、既にかなりの全体構想も出来上がっており、「須磨・明石」辺りまでは既に書き終えていたという。そんな以前から、道長は、何故、どういうきっかけで、紫式部に、執筆を依頼し、当時貴重品である紙や筆を渡していたのかが、本書では触れられていないのが残念です・・・別のどこかで理由が書いてあればいいのだが・・・これは歴史の闇の中ということか?

2024年2月17日土曜日

読書 「鬼の筆」春日太一

   戦後最大の脚本家・橋本忍の栄光と挫折


著者:春日太一
出版:文藝春秋

脚本家といえば、倉本聰や山田太一を知っている人は多いと思うが、橋本忍の名前は、映画マニア以外では、余り知られていないと思います。

橋本忍は、戦後サラリーマンをやりながら書いた脚本(芥川龍之介の「藪の中」)が、黒澤明監督の目にとまり、黒澤が手を加えて、映画「羅生門(1950年)」となり、いきなり「ヴェネツィア国際映画祭」でグランプリを受賞した。
以後、黒澤明・小国英雄の3人で共同執筆を行い「生きる」「七人の侍」等の脚本を書いていたが、徐々に黒澤から離れて独立する。
黒澤から離れた理由は、完璧を目指す黒澤は、通常の脚本の3倍以上の労力と時間がかかり、しかも映画のクレジットは、黒澤との連名になるので、全ての評価は黒澤になってしまうことへの不満があったそうだ。

その後、「真昼の暗黒」「ゼロの焦点」「切腹」「白い巨塔」「日本の一番長い日」「日本沈没」「私は貝になりたい」等の脚本を手掛け、論理的で確個とした構成力で、高い評価を受けるようになった。
当時、斜陽の映画界にあって思いうように映画化が出来ないので、自ら「橋本プロダクション」を設立し、「砂の器」「八甲田山」「八つ墓村」等を成功させたが、「幻の湖」で失敗した後は、体調不良などもあり、事実上引退した。

著者は、12年間に渡って、橋本忍の子供時代からの晩年までを追い求め、9回ものインタビューを行い、橋本が残した「創作の裏側」という備忘録を丹念に読み解き、ハードカバーで500ページに近い本書を著した。

橋本忍の脚本の例として「砂の器」(野村芳太郎監督)が興味をひいた。
松本清張が書いた原作の中の捜査会議で報告される犯人の生い立ちの説明で「父親と全国を放浪していた」という4行程度のさりげない記述に注目し、脚本では、この父子の放浪を、映画の終盤に据えて、一気に画面を盛り上げてゆくシナリオに作り替えている。
ハンセン病を患ってしまったために理不尽な差別を受け、お遍路姿で流浪することになった父子。行く先々で邪険にされ、それにめげない父子の触れ合いが、時に美しく、時に厳しい日本の四季折々の風景をバックに映し出されていく名場面を作り出していく。それを犯人の終盤の回想録として描いている。
私もこの映画の記憶として、厳冬の竜飛岬、春の信州やこの本の表紙(上掲)に載っている場面しか残っていないし、これが松本清張の原作本にも書いてあると思っていた。
この手法は、競輪でゴール直前に一気にピッチを上げて追い込んでゆく「まくり」という戦法と同じだそうだ。こういう橋本のセンスを、著者は父親譲りのギャンブラーとしての勘の冴えをあげている。事実橋本も父親同様に競輪が好きであった。

このように、橋本のオリジナル作品も面白いのであるが、原作がある作品でも、原形を殆ど留めない形に仕上げているのには驚いた。
因みに「砂の器」は原作をはるかに上回った映画作品として評価されている。

またエピソードとして、橋本が有名になった後に映画会社から「忠臣蔵」の話が何度か持ち込まれた時に「一人が四十七人を斬った話なら面白いけど、四十七人が一人のジジィを斬って、どこが面白いんだ」という父親の話を持ち出して、全て断っている。

本書では、こういう話が丹念に書き込まれてあり、映画ファンなら、一読をお薦めします。

2024年2月1日木曜日

読書 助監督は見た!実録「山田組の人びと」(鈴木敏夫)

 切れ味鋭く、ほっこりと描く山田映画の出演者たち


著者:鈴木敏夫
出版:言視舎

ジブリの「鈴木敏夫」と勘違いして、本を買ってしまった・・・よく題名を見れば、分かりそうなものなのに・・・(苦笑)・・・負け惜しみでいえば、山田洋次監督の映画の出演者の裏側が垣間見ることができ、それなりに楽しい本です。

著者は、1970年に松竹に入社し、見習い期間を終え、大船撮影所の助監督として、最初に配属されたのが、「男はつらいよ・望郷篇」だった。その撮影の間、山田組が嫌で嫌で堪らなかったそうだ。

理由は、山田監督はカット割りが決まるまで悩みに悩みぬく、芝居のテストを何度も何度も繰り返す、それでもなかなか「GOサイン」が出ない。時間だけが過ぎてゆく。
そのくせ自分が納得すると、スタッフや出演者をせかす。演出力のある監督だということは認めるし、監督は立場上自己中心的にならざるを得ないのはわかる。が、度を越していた。何よりも嫌だったのは怒鳴ること。ロケ撮影になると怒鳴りまくる。こんな野蛮な組は二度と御免だと思ったそうだ。

その頃の撮影所には助監督には「組」の選択権があり、著者は出来るだけ「山田組」を避けたそうだ。山田組のスタッフから「山田さんはお前のこと気に入っているのにどうして嫌がるの」とよく聞かれた・・・定年近くになった時に、山田監督からラブコールを受けた。その時監督は「最近僕がちょっと声を荒げると、みんなうつむいて口をつぐんじゃうんだ」・・・「声を荒げなければいいじゃないですか」と言い返したかったが、我慢して引き受けた。その後仕事をやっていて仲間から「敏さんが就いてから、監督の怒鳴る回数が減った」と。

「東京家族」「家族はつらいよ」「釣りバカ日誌」「小さいおうち」「母べえ」「学校」「男はつらいよ・望郷篇」等々の映画の出演者のエピソードが面白い。
橋爪功、妻夫木聡、松たか子、吉永小百合、緒形拳、田中邦衛、渥美清、倍賞千恵子、三国連太郎、西田敏行等々。(本の出版が2009年なので、直近の映画は含まれていません)

寝る前に読むには、緊張感なくほっこり読めるので最適です。安眠間違いなし。