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2020年4月26日日曜日

読書「テレビの国から」倉本聰

       「テレビの国から」

評価:★★☆☆
書名:テレビの国から
著者:倉本聰
出版:産経新聞出版

『おとなのデジタルTVナビ』(産経出版)の20158月から198月まで連載したものに加筆、再構成したものだが、『ドラマへの遺言』(新潮新書)と内容がダブっている部分が多く、密度も『ドラマへの遺言』の方が充実している。
もし、この2冊を手に取って、どちらを選ぶかを迷っている人がいれば、迷わず『ドラマへの遺言』をお勧めいたします。

内容は、
第1章 昭和から平成、令和をつなぐ物語 「やすらぎの郷」「やすらぎの刻」
第2章 戦後日本を総括する物語 「北の国から」
第3章 東京を離れて見えた物語 「6羽のかもめ」「前略おふくろ様」他
第4章 富良野がつないだ物語 「昨日、非別で」「風のガーデン」他
第5章 若き日の物語 「文五捕物絵図」「ガラス細工の家」他
第6章 これからの人に贈る物語

第6章では、昔のようなテレビを見る習慣が崩れた今でも、テレビ局は「視聴率第一主義」「ゴールデンタイム信仰」「F1F2層(20~40代の女性)のターゲット主義」から抜け出せないでいることに対して痛烈に批判し、番組の質が堕ちていくことを嘆いている。
テレビという媒体が生き残るためには、上記の考え方から脱却しなくてはならないと提言している・・・これは著者が東京を離れた北海道にいるから見えてくるのかも知れない。

脇道にそれて、印象に残っているのは、「人間的にはいろいろ言う人がいるが、(ショーケンは)役者としては天才だった」と、著者はショーケン(萩原健一)をかなり評価していることだった。そして「いしだあゆみ」の言葉を紹介している。「いしだあゆみがショーケンと結婚していた頃に、『364日はひどい人だけど、1年に一度の笑顔で、一緒になってよかったと思う』」
・・・若い時に「いしだあゆみ」のファンだった私からすれば、言って欲しくないセリフです💔・・・また、こういう女心は私には分からない???

(「ドラマへの遺言」が上記に出てきましたので、以下参考にご覧ください)
2019-3-21
ド ラ マ へ の 遺 言
著者:倉本聰・碓井広義
出版:新潮新書

倉本聰ほど「伝説?」の多い脚本家も珍しい。
思い浮かぶものを羅列しても「国民的ドラマの大ヒットメーカー」「NHK大河ドラマの降板」「富良野への移住」「台本の一字一句にも拘り修正を許さない」「キャスティングにも口を出す」「80歳を超えてからのシルバータイムドラマの創出(やすらぎの郷)」・・・等々

その倉本聰へ碓井広義が行った計9回のインタビューを纏めたものが本著である。
インタビューなので読みやすく、倉本聰の考え方やそれぞれのドラマの舞台裏など面白い話がわんさかと詰め込まれており、その時代その時代に果敢にチャレンジしてドラマの可能性を広げてきたことが分かる。

裏話のおもしろかったものを挙げると、直近のドラマの「やすらぎの郷」のキャスティングの話は面白かった。
主役の石坂浩二の「元ヨメ・浅丘ルリ子」、「元カノ・加賀まりこ」のキャスティングは、前もって浅丘ルリ子と加賀まりこに話をしていた時から石坂浩二の名前は出ていたそうで、倉本が「あなたたち平気なの」って聞いたら「全然平気よ」って言うので、あとはとんとん拍子に決まったそうだ。
また「石坂浩二演じる『菊村』は倉本聰と阿久悠と久世光彦(演出家)等の同世代の複数の人間の要素を詰め込んでいるので、菊村を僕(倉本聰)だと思われるのは迷惑な話でね。女房も生きていますし、駆け出しの女優と浮気したなんて言われちゃうと困っちゃう」

それにしても84歳の倉本聰が「やすらぎの郷」の続編を書きあげ、その「やすらぎの刻~道」が4月から始まるのが楽しみだ。(2020-3末で放送終了)


2020年4月22日水曜日

街道を撮りにゆく シリーズ3「北海道編・網走と流氷」 

        街道を撮りにゆく・・・北海道編・網走と流氷

網走と言えば、高倉健主演の映画「網走番外地」や、吉村昭の小説「破獄」などから、すぐに「刑務所」を連想してしまう。
「刑務所」といえば暗いイメージに付きまとわれるが、ここ網走では、それを逆手にとって、売り物にしている。
まず、駅前に刑務所をイメージしたレンガに縦書きの標柱(通常は駅舎に横書きで駅名を書いている)、「博物館網走監獄」という見学施設、はたまた刑務所の近くに「刑務作業品展示即売所」まである。
レンガに縦書きの駅名
街道をゆく㊳

わが敬愛する司馬遼太郎の「街道をゆく」では、網走刑務所がどう扱われているか調べてみた。・・・(こんな事をするのは自分でもアホだなと思います)

㊳オホーツク街道」では、主に「アイヌ文化」や「オホーツク文化」に主眼がおかれ、その遺跡を訪ねている。この本で「刑務所」に関しては、390ページに「網走監獄」と「網走監獄保存財団」という言葉が1回出て来るだけで、それ以外には全く触れられていないのは、かの作家の見識の高さであって、私のような下賤の輩のような発想はしないようだ。

話が最初から脱線してしまったが、今回の主題の「流氷」に話を戻します。
この流氷を見る為に、真冬の2月にノコノコと網走までやってきた。この時は流氷の接岸が遅く、ヒヤヒヤしていたら、私が網走に来る2日前に、やっと気象台から「流氷の接岸初日」が発表されて、胸をなでおろした次第です。

流氷の動きに関しては、「気象台」「海上保安庁」「JAXA地球観測研究センター」や、その他「Twitter流氷なび」「Twitter流氷なう」等で、いろんな情報が流されているのには驚いた。今後流氷を見に来る方は、これらの情報を参考にされると良いと思います。
今回のルートは網走港から「網走流氷観光砕氷船 おーろら」に乗って流氷の海に出て、続いてJR網走駅から「流氷物語号」で、陸から流氷を見る旅です。

観光砕氷船おーろら号」
網走流氷観光砕氷船 おーろら

いざ、流氷の海へ

「おーろら号」の出発 

幾分愛嬌のあるマスコット的なオオワシ

悠然と飛ぶオジロワシ


2羽のオジロワシ


ガリガリと砕ける流氷



夢中でシャッターを切る観光客 やたら中国語が飛び交っていました。


港に戻るとカモメが必死で、氷の上に這い上がろうとしていました。

JR「流氷物語号」
船の観光を終えて、網走駅からJR釧網線の冬の臨時列車「流氷物語号」へ乗ります。


「流氷物語号」は冬のオホーツクの雄大な景色から「物語」を感じてほしいという思いから名付けられたそうです。
運転期間は2月1日(土)から約1カ月間、網走~知床斜里間を1日2往復し、2両編成で全席自由席となっています。
車窓からの眺め

北浜駅(無人駅) 上部に見えるのがオホーツク海の流氷

手前下の白っぽいのは「波の花」


冬のオホーツクの厳しさを感じさせる海岸の風景

【流氷ひとくちメモ】
           「北海道立オホーツク 流氷科学センター」のHPより
普通の海は上下の水が混ざり合いながら冷えていきます。そのため深いほど冷えにくい!ところが、オホーツク海は、海面から50mまでは甘く塩分濃度の薄い海水、50m以下は塩辛く塩分濃度の濃い海水の2層に分かれています。この2層は混ざることはないので、オホーツク海は水深50mの浅い海とも言えます。よって、海水の凍る温度の-1.8度に短時間で達し、毎年流氷を見ることができるのです。しかし、同緯度に位置するが、水深の深い太平洋では、対流する時間が長いので-1.8度になる前に春が訪れるのです。北半球の凍る海を見ますと、オホーツク海は最も南に位置する凍る海ということがわかります。オホーツク海は流氷の南の限界なのです。

上記の説明を読むまでは、私は流氷は黒龍江(アムール川)で凍った氷が、段々大きくなって、北海道へ来ると思っていました。実際にアムール川の氷がどのように動くのかを調査した大学の先生がいて、アムール川の氷は樺太止まりで、北海道までは来ていないそうです。

2020年4月18日土曜日

街道を撮りにゆく シリーズ2「北海道編・羅臼」 

街道を撮りにゆく・・・北海道編・羅臼

羅臼町は、知床半島の東側半分を占めており、世界自然遺産の町である。
町名の由来はアイヌ語の「ラウシ」(獣の骨のある所の意)が転化したものだそうだ。
また森繁久弥さんの名曲「知床旅情」発祥の地でもある。
海から眺めると、羅臼岳(1,661m)が町の後方に屏風のようにそびえ立っている。

右上が羅臼岳 下の海岸線に沿って羅臼の町が広がる

【鷲について】
知床半島は、オオワシ・オジロワシの世界有数の越冬地で、主にオホーツク海沿岸部からやってくる。
オオワシは全長1m、翼を広げると2.5mにもなり、世界のワシ類でも屈指の大きさだそうだ。羽毛真っ黒で、尾羽とさらに翼の前の部分(肩)が白く、オジロワシより目立つ。
一方、オジロワシは、オオワシよりは少し小さいが、それでもかなり大きなワシで、褐色の羽毛に覆われており、名前の通り尾羽は白い。

左がオオワシ、右がオジロワシ

羅臼を訪れたのは、流氷の上にいるオオワシ・オジロワシを前から一度見たいと思っていたという単純な理由です。
残念ながら、この時はまだ流氷は羅臼沖まで流れ着いていませんでした。
またオジロワシの写真はバッチリと撮れましたが、オオワシは飛んでいる場面が撮れなかったので、もう一度チャレンジしようと思っています。


オジロワシの飛び立つ瞬間

大空を悠々と飛ぶオジロワシ
獲物を撮り見つけて急降下するオジロワシ

獲物をゲッット まさに「わしづかみ」
着地態勢




翼を最大限に使ってブレーキをかける

着地の瞬間 足が力強く雪を捉える 雪が舞い上がっている

【北方四島のこと】
羅臼町は、根室海峡を挟んで北方領土の国後島と対峙している。
漁業は、近海では捕獲量が減少し、最近はロシアへ入漁料を支払って、北方4島付近での操業となる。この話を聞くと突然厳しい現実に引き戻される。

国後島近海での操業から戻ってきた漁船
以前のクルージングで見たオホーツク海での国後島
これまでに見たこともないような凄い朝焼けだった
下部中央の小さな突起物は、国後島最高峰の爺々岳
雲の上に頭を出した国後島の爺々岳(ちゃちゃだけ)1822m




2020年4月16日木曜日

街道を撮りにゆく シリーズ1「北海道編・釧路」 

  街道を撮りにゆく・・・北海道編・釧路


司馬遼太郎の「街道をゆく」という、人気シリーズがあった。
司馬遼太郎のライフワークでもあり、43巻目の「濃尾三州記」が、絶筆の書となった。
このシリーズでは、その土地の歴史を掘り起こし、読者をいろんな時代や場所へ「ワープ("Warp drive")」、つまり本を開けば、ある時代や場所へ瞬間移動させてくれる魅力的な名著であった。
私には、司馬遼太郎のような、歴史の薀蓄も、文才もないので、過去に行った街や山の写真を中心に、今回のシリーズを始めようと思ます。

第一回目は、釧路。
ここ釧路は、私の友人の出身地でもあり、この時の流氷を見るための旅の出発点でもあり、このシリーズの最初の場所としました。

釧路市は人口16万人の道東最大の都市ですが、近年人口の減少が続いており、過疎地域に指定されている。
市の面積は香川県の7割にあたる広大なものであり、日本最大の釧路湿原および阿寒摩周の2つの魅力的な国立公園を有する。 

北海道にはこれまで10数回訪れているが、ここ釧路は3回目である。
1回目は学生時代に約1ケ月間の北海道旅行の途中で訪れたが、この街の記憶は殆ど残っていない。単なる通過点であったのかも知れない。

2回目はバブルの絶頂期に北海道のリゾート施設の視察の一つとして、当地の「フィッシャーマンズワーフ」を見学した。この時は「和商市場」で蟹(毛ガニ・タラバ・花咲ガニ)を格安で買った記憶が残っている。

3回目は真冬の2月に来た。
「しばれる」厳しい寒さを覚悟していたが、あいにくの暖冬で、通常の北海道の4月並みの暖かさといのには面食らった。
釧路湿原のタンチョウ鶴を見学し、翌朝には暖かいとは言いながら、寒い時にしか見ることの出来ない「蓮葉氷」を釧路川の幣舞橋(ぬさまいばし)付近で目にした。

釧路湿原のタンチョウ鶴

釧路川の夕景。残念ながら夕日には間に合わなかった。

世界三大夕日」というものがあるのをご存知でしょうか。 フィリピンのマニラ、インドネシアのバリ島、そして最後のひとつは、なんと!ここ日本の北海道釧路なんです。

「蓮葉氷」とは聞き慣れないが、川一面に張った氷が割れて、氷塊がぶつかり合い、縁がめくれ上がって蓮葉に似たような形になることから「蓮葉氷」と呼ばれている。

夜明け前の凍った釧路川と幣舞橋(ぬさまいばし)

      氷に近づいて見ると割れた周辺がめくれあがっている(奥が幣舞橋)


幣舞橋の欄干にある乙女像が朝陽に輝く