評価:★★★★★
著者:押谷仁、瀬名秀明(インタビュー形式)
出版:岩波新書
2009年の新型インフルエンザによるパンデミックへの対応についての本だが、今回の新型コロナと置き換えても、全く違和感はない。
最近のNHKスペシャルや、新型コロナウイルス感染症対策専門家会議のメンバーとして脚光を浴びている押谷仁東北大教授に、瀬名秀明がヒアリングする対談形式で、非常に読みやすい。
押谷教授は、中学生の頃から、途上国で何か仕事をしたい、フィールドに出て研究をしたいという事で、感染症の世界に入ったということからして、頭が下がります。
アフリカのザンビアやフィリピン等海外での感染症の経験も豊富で、日本にこういう人がいたのかと驚くばかりです。
専門の公衆衛生学というのは、人間の集団として何がベストかという考え方をして、個々の視点も必要だが、同時に社会全体として、いま何を優先して考えるかという視点が求められるので、この点が目の前の患者を救うという医学教育を受けてきた人には馴染めない分野だという。(下記の「トリアージ」を参照して下さい)
インフルエンザのパンデミックは完全には抑えられないという基本的な前提があるという。ある程度の被害は避けられないので、対策としてはいろんな方策を組み合わせて、以下の3つの方向に持っていくしかないそうだ。
1. 流行のピークを遅らせて、ワクチンや治療薬の生産のための時間稼ぎをする。
2. 流行の規模を小さくして、医療崩壊や社会破綻を防ぐ。
3. なだらかなピークにして、医療崩壊や社会破綻を防ぐ。
今回の新型コロナの対策についても同じだろうと思う。
また、ウイルスの感染が広がりやすいのは先進国だと、今回の新型コロナの感染状況を既に見通している。
押谷教授はさらにこのように言う。
「感染症のパンデミックが起こった時に、日本の社会は被害に対する許容力が非常に小さい。対応に当たる人たちは、そういう社会の中で本当の意味でのトリアージをしていかなくてはいけない。トリアージの本来の意味は、災害などの緊急時に助かる人と助からない人とを即座に見分けて、助かる人を優先して、助からない人はあとまわしにするという対応です。
人工呼吸器やワクチンが足りないとか、現場ではそういう切迫した問題が起きてきます。そのときは個でなく全体を見て決断しなくてはいけない。
医療は一人ひとりの患者に最善を尽くすことが基本ですが、それをある程度あきらめなくてはいけない。日本のような(被害に対する許容力の小さい)社会でそれを実行するのは、非常に大変だと思います。
また時代の風潮としても、社会を守るという考え方よりも、個人を守るという考え方になってきているので、公衆衛生という考え方とどんどん乖離していくような気がしています」
押谷教授が心配するように、仮に今回の新型コロナで医療崩壊を起こし、集中治療室の使用などでトリアージを実施したなら、マスコミやネットで日本中が気が狂ったような騒ぎになっていたかも知れない。
少し脇道の話にそれるが、コウモリの話は、非常に興味を覚えた。
ウイルスとはもともと動物のもので人間には適応していないので、人間に感染すると非常に悪さをする。新興感染症で、人間に対して病原性の高いウイルスのほとんどが、元をたどるとコウモリのウイルスだということが分かってきているという。エボラもSARSも狂犬病もコウモリ由来だそうだ。狂犬病のウイルスに感染するほぼ100%死ぬが唯一の例外がコウモリで、コウモリには何か特別な免疫機能があるという。
今回の新型コロナもコウモリ由来と言われているので、なるほどと納得をした。
日本にも押谷教授のような信頼するにたる人が「専門家会議のメンバー」にいることが嬉しくなった。
この本の冒頭にインタビューアーの瀬名秀明が書いている意味が全体を読んで分かった。
「本書のタイトルは『パンデミックとたたかう』である。しかし実際のところ、私たちはパンデミックとたたかっているのではない。本当はこの現代社会とたたかっているのだ」
この本の内容は、簡単には纏められませんが、是非お薦めの一冊であると、自信を持って言えます。