世界史的視野からみる日本史の疑問
著者:井上章一
出版:角川選書
著者を知っている読者ならお分かりですが、この本も著者特有の屁理屈を捏ねまわして、既存の東大学派と称される定説に「いちゃもん」をつけている本です???
私は、著者の発想のユニークさと、表現や物語の展開が面白いので、半分与太話かなと思いながらも、京都人である著者に敬意を込めて、読み始めた次第です。
著者が昔建築史の勉強していた時に、外国人を法隆寺に案内して、「古代の建築」と説明して、聞きとがめられたことから話は始まってゆく。法隆寺建立は7世紀初頭で、ヨーロッパでは、西ローマ帝国が滅亡(476年)し、既に中世に移行している時代である。
それに比して、日本での中世の始まりは、鎌倉時代(12世紀~)以降とされているので、実に700年もの違いがある。
また、ドイツやスカンジナビア諸国には古代はなくて、中世から歴史が始まるという。
本書では、宮崎市定ら京大学派の「中国史」の時代区分を使って、今の歴史教育で用いられている時代区分を、著者特有の言い回しで、(いわゆる)東大学派が主導する既存の日本史の時代区分を執拗に批判し、自説を展開していきます。
ここで面白いのは、「ヨーロッパ史および中国史」vs「日本史」という比較で、大風呂敷を拡げて、古代と中世の区分について、述べていることです。
特に、地球の寒冷化がユーラシア大陸を覆った時に、大陸の西では、北方遊牧騎馬民族のフン族がゲルマン民族を圧迫し、彼らの大移動を引き起こし、東では匈奴の中国侵略ということに繋がてゆく。そしてその民族移動が、東西の古代文明の崩壊へと繋がり、中世へ移行していったという論理展開は、話としては壮大で、とても面白い発想です。
そして著者はヨーロッパと中国の時代区分からみて「日本に古代はなかった」という結論に辿り着く。(ここでも中国での古代と中世の時代区分の議論が別途あります)
恐らく、日本史や中国史の専門家では、このような発想での本は書けないだろうなと思うほど面白い論理展開のしかただと思います。
余談で、面白いのは、京大学派とされる梅棹忠夫や関西人代表のような司馬遼太郎が、京大学派の主張する時代区分に与しないで、中世は鎌倉時代から始まったとする東大学派と同じ発想をしていることを、嘆き悲しんでいる。(まあ話を面白くするためのポーズかもしれませんが・・・)
ただ、注目したいのは、東大教授で中世史専門の本郷和人氏が、別の本で下記のように書いています。(私が本書を読むきっかけになった記述です)
「(日本の)古代を無理やり設定する背景には、戦前の皇国史観の影響があるのではないか。国際日本文化研究センターの井上章一教授が書いた『日本に古代はあったのか』という著書は説得力があるだけに、私にとっては衝撃の一冊であった」
という訳で、本書は単なる与太話ではなさそうである。