「京都まみれ」
評価:★★★★★著者:井上章一
出版:朝日新書
著者は、ご存知の方が多いと思いますが、簡単に説明しますと、あの人気歴史学者の磯田道史氏の所属する「国際日本文化センター」の教授で、昨年より所長も務めている偉い人です。建築史や意匠論の専門家であるが、何故か関西の風俗研究者に変貌しつつあります。
新書大賞の大ベストセラー「京都ぎらい」のあと、2匹目のドジョウを狙って「京都ぎらい官能編」「京女の嘘」等が出版されているが、いずれも不発で、今作品が実質的に「続・京都ぎらい」と、言えそうです。著者は、「京都人」=「洛中の人」としているが、この本では、さらに「洛中の人」の定義を「祇園祭」を催すことが出来る人々(八坂神社の氏子)と捉えている。
京都人ではない私には、何故「洛中=祇園祭」なのか分からなかったが、京都の三大祭を下記のように整理するとなるほどと理解できた。(間違いであればご指摘下さい)
・「時代祭」:平安神宮の祭りなので、明治以降に始まり、他の祭りは平安時代から始まっているのに比して歴史が浅すぎる。
・「葵祭」:平安時代には「祭」といえば「葵祭」と言われていたそうだが、この祭は貴族の祭りで庶民とは縁遠い。
・「祇園祭」:庶民の祭りでしかも期間が1ケ月にも及び動員数や、祭りに掛ける労力はけた違いである。「祇園祭」が実質的に京都を代表する祭りと言っても良さそうだ。
ここでまた、よそ者の私には混乱が起きてしまう。
京都以外の人間が京都に憧れ、京都を感じるのは、所謂観光スポットなのであるが、寺社では、「京都ぎらい」で述べられていた「石、苔、金」(龍安寺・西芳寺・金閣寺)であり、他に清水寺、銀閣寺、南禅寺、伏見稲荷、貴船神社、三千院、平等院等であり、風情のある場所としては、嵯峨野、嵐山、祇園、産寧坂等々と、洛中と言われる地域ではなく、その外側の所謂洛外に位置している・・・この違いはなにか???
これに関しては、別の本を読んでいて、「洛中」と「我々が感じる京都」との違いが分かった。その本の詳細はここでは避けるが、都が京都に遷都した時の「平安京」と今の「京都」は、全くの別物であるという事を書いた本である。
現在洛中にある寺社は、殆どが江戸時代以降に作られている。
また、当時この新しい都の建設計画を作ってみたものの、現在の右京にあたる地域は湿地帯で、南部も低地で水害などが多く、人は殆ど住み着かなかった。
実際に人々が居を構えたのは、現在の左京の北、つまり理論上の平安京の東半分のしかもその北半分であった。教科書に載っている「平安京」は歴史上実在していなくて、桓武天皇の妄想に過ぎなかったようだ。
その後の平安京がどのようにして(現在の)京都に変貌していったかは、ここでは省く。
この歴史が分かって初めて、著者が言う洛中の範囲の歴史的成り立ちが分かる。
できうれば、著者の井上先生に上記のことを書いて欲しかった。
話を戻します。著者が、かつての上司で洛中に住む杉本秀太郎と話した時に、杉本は「(洛中は)北と南で言うたら御池通から五条通までは洛中に入れてもええやろ」
別の室町に住む祇園祭とかかわる旦那のS氏は、「杉本さん、そんなふうに言わはったん? ちょと了見が狭いんちゃうか。丸太町通までは洛中と言うてええんやないか・・・それでもな、丸太町通より北側を京都やと思うたことはあらへん。あっちは、もうべつの町や」
著者は「杉本もS氏も、京都御所のある場所は、洛中に入らない。かつて天皇や公家たちが暮らしていた宮廷は洛外にある・・・祇園祭の旦那たちは、事実上そう決めつけている」という。
このようなことから話はまた別の展開をするのだが、ここでは著者は京都の洛中の人々の選民意識はここまで排他的だと言いたかったようだ。
またそういう選民意識になった歴史的背景・環境まで深く掘り下げて、応仁の乱のアナーキーな時代に上京と下京の街が自分たちの自治権を獲得したことが、豊織時代~江戸時代を経ても街の深層としてあり、現在まで続いていると分析している。
最後はやはり学者らしく締めくくっている。
またそういう選民意識になった歴史的背景・環境まで深く掘り下げて、応仁の乱のアナーキーな時代に上京と下京の街が自分たちの自治権を獲得したことが、豊織時代~江戸時代を経ても街の深層としてあり、現在まで続いていると分析している。
最後はやはり学者らしく締めくくっている。
これ以外にも京都弁(洛中の人にとっては標準語)のやり取りが入り混じり、京都以外の人々にとっては、京都のことを多少知っていないと理解しにくい話が、わんさかとあるが、関西出身(と言っても私の場合は、著者のいう都から外れた畿外であるが)の私にとっては、面白いネタの詰まった本に仕上がっている。
最後まで読んで、この著者は本当に「京都ぎらい」なのか・・・???
ここまで執拗に京都(人)のことを掘り下げて批判し、揶揄しているのは、実際は、「京都大好き人間」であるが、旧洛中の人からは京都人の仲間に入れてもらえない。
その反動の屈折した気持ちを、ねじくれた表現としてうっぷんを晴らしているのではないかとも思える。
著者に関しては、へそ曲がりの一筋縄ではいかない老獪なジジイで、お友達にはなりたいとは思わないが・・・内容的には、なかなか面白く仕上がっている。
京都を深く知りたいと思う人は、(条件付きで)是非一読をお勧めします。・・・条件とは、活字の京都弁に抵抗があったり、ある程度の京都の地理、歴史、その他のイメージが分からないと、面白さは半減します。