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2023年3月25日土曜日

読書 新装版 日本の未来へ 司馬遼太郎との対話(梅棹忠夫編)

      知的興奮と先見性に驚愕する対談


著者:梅棹忠夫・司馬遼太郎(対談集)
出版:臨川書店(単行本)

中央公論社の名編集長と言われた粕谷一希によると、戦後のある時期、梅棹忠夫と司馬遼太郎の二人の関西人が、論壇と文壇の世界において圧倒的な影響力を持っていたという。
司馬遼太郎については、何度も書いてきたので省略して、梅棹忠夫について、少し紹介しておきます。
梅棹は民俗学・文化人類学者で、1957年に「文明の生態史観序説」によって、注目を浴びた。この論文では、日本はアジアの一部というより、むしろ英国やヨーロッパに似ていると主張した。中国・ロシア・インドは全く別の世界で、専制国家が交代するだけで、近代化というのは、封建制が発達した国が近代国家になって、現代社会をつくるという仮説を出し、その後1960年代の日本の高度成長を予言することになった。
またダニ・エルベルが「脱工業社会」を主張し「脱」は何かと議論している頃に、梅棹忠夫は、具体的に「情報化社会」の到来を予測していた。

その梅棹が、司馬遼太郎の死後、彼との交流を懐かしんで、二人の対談を纏めたのが本書であり、新装版を書店で見つけたので、早速入手した次第です。
民族・国家・文明・日本人・教育と言ったテーマで対談しています。

二人の対談の内容も非常に面白いのですが、生粋の関西人(梅棹は京都、司馬は大阪)どうしなので、関西弁がそのまま文字になっているのも、二人の肉声を聞くようで面白かった。
例えば、
「国家あるいは帝国が出現して、ナショナリズムが地球をおおったとたんに少数者の問題が発生したんです。これは厄介でっせ
「文明が成立して、そこで少数者というのが出現した。なんぼでもその細分化が進行していく、挙句の果てにどないなるのやろか? これ、どない思わはります?
これを読んでいて、井上章一の本に書いてあったことを思い出した。井上が京都弁で講演したあと、講演を聞いていた女学生が来て、先生は学者やさかい、標準語で話された方が、ええと思いますと言われたそうです。
確かに、関西弁で話すと、知的レベルが落ちたような感じにならないでもない・・・が、私は生の声が聞けるようで、この方が好きである(このほうが好きやねん)。
この標準語と方言の問題も征服者の少数者に対する差別と同じようなものだろう。

本題に戻る。
上記の関西弁の内容でも述べられているように、1986年の対談の中で、早くも民族問題に、触れて、さらに、20世紀の後半~21世紀にかけて「トラブルの時代」と断言しているのには驚いた。
「教育が進み、医療・衛生が進むと、長生きして皆、賢こうなりよる。人口も増える、ということは文明そのものが、実は少数者を次々と作り出すんです。いま中国やソ連は社会主義というある種の普遍原理で救うているような格好になってますけども、それもどうなるかわからんですよ。普遍主義でもって世界中の人類をまとめていこうということは、私はできないと思っているわけです
その後の対談では自分の目の黒いうちに、社会主義が全面的に崩壊するのを見ることができるかもしれんとも言っている。
「人間における分類感覚みたいなものがありまして、これが具合悪い。差別が基本原理です。人間を何かの特徴で分けてしまうんです。それでレッテルを貼る」
「差別、少数者の問題は、違う文化は全部悪いと思う。おかしいと思う。異端なるものと思う・・・文化というものは要するに『全部自分が正しくて、ほかのやつはいかん』とうことを教えるんです」
これらの内容は凄い、ソ連崩壊や世界各地で民族問題が起きる、さらにはイジメの問題まで、はっきりと予言しています。

さらにソ連崩壊後の対談では、ロシアとウクライナの対立のことや、原理主義が民族を動かす異様なエネルギーになると言っている。
帝国(帝国主義ではない)やマルクス主義のような、民族を抑える蓋というか民族を超える原理がない現在では、普遍的な解決方法はなく、個別に解決していくしかないという。
民族問題は、いじめの構造と同じで、それを乗り越えて融和を保っていくのは、かなり「高度の人間的技術」と言っている。この下りを読んだとき、直近の日韓問題に対応している韓国ユン大統領を連想した。
 
柄谷行人は「世界史の構造」等で昨年、哲学のノーベル賞と言われている「バーグルエン哲学・文学賞」を受賞した。その中で「交換」という概念で世界をA・B・C・Dと体系化し、現代のCは限界に近付きつつあり、それを超えるためには、次のDという社会を考えなればならないと主張している。この普遍的な社会が現れるのか、この対談で言っているように「普遍主義でもって世界中の人類をまとめていくのはできない」のかは、興味ある問題です。(私はまだ柄谷行人を理解していないので、この箇所の表現が適切か否かは分かりません)

また別の箇所では「情報化」についての対談もあり、そこでは、
「情報産業といってもまだ黎明期で、なんか能率をあげるための手段だと思われている。しかしこれは能率とは関係なく、創造というか遊びの精神にかかわりがある。いまに才能のある非帰属遊戯者が沢山出てきますよ」
更には人類は「単層社会」⇨「重層社会」から、今後は「無層社会へと向かう。
今の日本は人類史上最初の無層社会へ突入しつつあると言っている。紙面が足りないので、詳細を本書でご覧下さい。
とにかく「めちゃおもろい対談」です。

2023年3月16日木曜日

読書 おどろきのウクライナ(橋爪大三郎・大澤真幸)

  社会学者によるウクライナ戦争と巨大化する中国資本主義の謎

著者:橋爪大三郎・大澤真幸(対談)
出版:集英社新書

タイトルは「おどろきのウクライナ」だが、内容は、「アフガニスタンからのアメリカの撤退」「ウイグル問題と中国の資本主義」、「ロシアのウクライナ侵攻とその背景」と多岐に渡り、その時々の国際問題についての二人の対談を纏めたもの。ウクライナ問題以外もあるが、内容は決して「羊頭狗肉」ではなく、逆にかなり刺激に飛んだものになっている。

ロシアのウクライナ侵攻を始め、過去の国際問題については、これまで政治学者が主に、さらに経済学者が論じてきたが、社会学者が論じると、民族問題、宗教問題、歴史問題、文化問題さらには指導者の深層心理などの視点が入り混じり、これまでの論者と違った面白い内容になった。

またこの二人の対談は以前に読んだ「ふしぎなキリスト教」と同様に、対談という真剣勝負のような雰囲気の中で、できかけのアイデアが、相手に触発されて「形」になっていく、その生成の現場を味わうことが出来る魅力があります。

本書の出だしから、刺激的だった。
「ウクライナ戦争が始まった。西側世界の人びとは、おどろいた。まさかと思った・・・(略)・・・人びとはなぜ、おどろいたのか。それは自明だと思っていた前提が、あっさり崩れさったから・・・自由と人権と民主主義と法の支配と・・・(略)・・・世界はだんだんましな場所になってく。―そういう思いを共有しない異質な他者がいる。もしかしたら、世界の本質は、その異質な他者の方がよく見えているのかも知れない」
「大事なのは、この世界に隠れている、(真っ赤に噴出する)マグマのありかを突き止めること。そして、実はもう始まっている、「ポスト・ウクライナの世界」を見極めることだ」

本書の論点をざっくりと纏めると、以下のようなものです。
1.アフガニスタン問題では、
 ・アメリカの凋落
 ・イスラムの考え方とナショナリズム
2.中国のウイグル問題では、
 ・資本主義には二つある? 
 ・中国の権威主義と資本主義の親和性は本物か?
3.ウクライナ問題では、
 ・ロシアはヨーロッパではないのか?
 ・ロシアやプーチンの背景に横たわる、西欧へのコンプレックスとルサンチマン
4.ポスト・ウクライナ問題では、
 ・グローバル経済の残酷さ
 ・アフリカ、ラテンアメリカやインドはなぜ棄権したのか?
 ・世界が戦国時代に見えてくる
 ・豊かな国への切符
 ・ポスト・ウクライナ戦争の新世界

等々、非常に知的好奇心を刺激してくれる面白い内容です。
寝る前に読むと、脳が興奮して眠れなくなるので、昼間に読むことをお勧めします。