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2021年8月15日日曜日

街道を撮りにゆく 加須の「ホテイアオイ・オニバス」

      道の駅「童謡のふる里おおとね」 


加須市大利根地区にある「道の駅」は「たなばたさま」「野菊」を始め、数多くの童謡を残した 作曲家・音楽教育家 下總皖一(しもおさ かんいち)のふる里です。それにちなんで「童謡のふる里おおとね」と名付けられています。
ここは、「ホテイアオイ」で有名で、また近くにはオニバスの自生地もあります。
ホテイアオイは休耕田を利用していると聞いていますが、小魚も多いようで、サギが捕食にやってきます。

以下写真でご覧下さい。







道の駅から10分ほどで、オニバスの自生地があります。
利根川を渡るので、茨城県古河市かと思ったら、ここも埼玉県加須市なので、驚きました。
オニバスは午前中に咲いて、午後は閉じてしまいます。この写真は午後に撮影しました。


2021年8月13日金曜日

読書 立花隆「知の旅は終わらない」を読んで

      「知の旅は終わらない」


著者:立花隆
出版:文春新書

月刊文藝春秋(以下文春)の1974年11月号に「田中角栄研究-その金脈と人脈」という立花隆のレポートが掲載された。この一文により、一国の総理大臣が、その座から引きずり降ろされたことは、当時衝撃的であった。それによって「立花隆」というペンネームも全国に知れ渡った。
私も衝撃を受け、その後何冊かの著者の本を読んだ記憶がある。いずれも地道に資料を集め、テーマの外堀を埋め尽くして、結論へ導いて行く手法は凄いと思った。この手法を柳田邦男は、「調査報道の先駆者・確立者」として評価している。

ただ、臨死体験に関するものから、私は方向性に疑問を持ち、著者の本から離れて行った。
臨死体験というものは、生の記憶であって、本人が実際に死んだ訳ではない。こういうものを幾ら集めても何も出て来ないような気がした。

今回著者の死去によって、標記の本を読み始めた。
良い意味でも悪い意味でも、立花隆の自画自賛で綴られた自叙伝ともいうべき本である。
生い立ちの中で、小学校でIQテストが校内で一番になったこと。高校の時に旺文社の大学入試模試において全国で1番になったこと。理系に行きたかったが色弱なので先生から理系は無理と言われ、東大の文学部へ行ったと、くどくどと書いている。このくだりは他の本でも書いていたように思う。

田中角栄関連の項は面白かった。
この記事の影響で、田中陣営から文春の上層部に圧力が掛かり、文春が完全に手を引いてしまったことを知った。
著者は、自分のやりたいことの中で、適正な時間配分を考えれば、せいぜい1ケ月程度の時間配分に値するテーマで、もうこの男(田中角栄)にはうんざりしていたと、当時書いている。ただこの時書いていた続編が文春に掲載されないことになり、それであんな奴に負けてたまるかという思いが一気に噴き上げてきて、それから1万枚にも及ぶレポートをいろんな出版社(講談社や朝日ジャーナル等)を通じて、書き続けたとのこと。
この箇所を読んで、今では文春は当時の事は忘れたかのように、「田中角栄研究」は文春の金字塔のような態度を取っているのが、メデアとはそういうものかと面白く思えた。(厳密にいえば、あの記事を書くにあたってのチーム編成やそれに伴う出費は文春が負担はしたが・・・)

本文からは逸れるが、立花隆と佐藤優の対談集「ぼくらの知能の鍛え方」を読むと、意見の対立する場面では、全体的に佐藤優が少し引いて妥協しているように思えたが、一部刺々しい箇所もあり、一般的な対談とは違って違和感が残った。
文春の8月号の追悼文で、佐藤優は、「立花氏の知性は、私とは、ほぼ対極にあるといえるくらい異質なものだった・・・略・・・対談している途中で私は立花氏と一緒に仕事をするのは、これで最初で最後になると思った」と述べている。上記の対談での違和感を抱いた感じが少し分かったような気がした。

本題に戻ると、全般に読みやすいし、立花隆という異能なノンフィクション作家の行動軌跡が分かります。
文中で「考えてみれば、書くという仕事も、まさにノマド(遊牧民:著者はフリーターの走りとも言っている)そのものであるともいえます。山ほどの好奇心を抱きかかえて、その好奇心に導かれるままに仕事をしてきた。それが僕の人生なんですね」という言葉がすべてを言い現わしていると思う。

2021年8月4日水曜日

街道を撮りにゆく 高原の風吹く「霧ヶ峰」

        ニッコウキスゲを求めて



「霧ヶ峰」という名前の単独峰はない。謂わば山域の名称である。
一般的には、車山(1925m)を最高峰とするその付近一帯の高原を「霧ヶ峰高原」と呼んでいる。
名前の通り霧の発生が多く、年間290日以上も霧が発生した年もあるようだ。現地で経験すれば分かるが、霧というより雲に包まれると言った方が正しいような気がする。
上記の写真も雨雲の中で撮影した。お陰でずぶ濡れになったのだが・・・

深田久弥は「日本百名山」の中で「山には、登る山と遊ぶ山とがある・・・(略)・・・(遊ぶ山は)当然それは豊かな地の起伏と広い展望を持った高原状の山であらねばならない。霧ヶ峰はその代表的なものの一つである」と述べている。霧ヶ峰は、戦前から「遊ぶ山」として認められていたようだ。
ここは高度が1600mもあり、7~8月の平均気温は20℃前後で、夏でも快適なので、その名を冠した某電気メーカーのエアコンもある。

かなり以前になるが、知人から「ここは、全山ニッコウキスゲが覆っていて驚いた」と聞いたことがあり、期待して行ったが、近年「鹿の食害」がひどく、電気柵で守られたかなり向こうにニッコウキスゲが咲いていた。「全山ニッコウキスゲ」には程遠い感じだった。(ここでの撮影には望遠レンズが必須です)
因みに田中澄江の「花の百名山」では、霧ヶ峰の花は「ヤナギラン」で、著者は「ニッコウキスゲ」は見ていないとのこと。逆に深田久弥は夏のニッコウキスゲを楽しんでいる。

以下、写真で霧ヶ峰を堪能して下さい。

車山山腹からの眺め(上下とも)



車山山頂(1925m)
車山山頂の気象レーダー
車山山頂から(左から前穂、奥穂、北穂)

車山山頂から(八ケ岳・左:赤岳、右:阿弥陀岳)

ハクサンフウロ
ウスユキソウ

ビーナスラインにて

ビーナスラインにて