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2026年1月22日木曜日

読書 「鬼平とキケロと司馬遷と」 山内 昌之

         読書は享楽である


著者:山内昌之(国際関係史・イスラム地域研究)
出版:中公文庫

著者は20代後半から40代にかけては、外国語資料に惑溺し、日本語の本を殆ど読む余裕などなかったという。しかし40代半ばにさしかかると、改めて無性に日本語の本を読みたくなったという。
理由の一つは、自分の学問の意味や目的を日本や日本人のあり方と無関係に考えがちな精神に歪みを感じることが多くなったからだという。
その結果辿り着いたのは、「読書に勢いをつけ面白いと感じるためには、読みやすい本や面白いものから入ればよい」という方法だという。
その結果、本のタイトルや以下の目次や見て頂ければ分かるが、乱読の山である。
〈目次〉
序章 歴史の楽しみ―司馬遷からマスペロへ
第1章 江戸のロマン―鬼平と河内山のピカレスク
第2章 政治リアリズム―ローマ・徳川日本・イスラーム
第3章 「歴史とは何か」―イブン・ハルドゥーンと内藤湖南
第4章 幕末騒動始末記―新選組のぐるり
第5章 明治という時代―夏目漱石と乃木将軍
終章 新しい教養へ―江戸情緒と泰西趣味を超えて

そして著者は明治の文芸批評家の内藤湖南の言葉を引用して「読書が勤学であるように解されたのは昔の道学の学究観で、読書は実は享楽である」と。
ただ、この本に取りあげられているのは、私のレベルに合う本もあるが、かなり専門的な知識がないと理解しにくいものもある。ただ楽しみのための読書という気持ちだけは共有できたと思う。

2026年1月15日木曜日

長谷川等伯の「松林図屏風」

      「松林図屏風」の激しい筆遣いに驚き

「松林図屏風」
〈この絵は写真撮影が許可されています〉
        










上野の国立博物館では、毎年1月には恒例の長谷川等伯の「松林図屏風」が展示され、10数年ぶりに観ました。 安部龍太郎の直木賞受賞作である「等伯」を読んで以来気になっていた作品です。

鑑賞のポイントは以下の通りです。
(以下、AIを利用しながら私見を入れて作成しました)

〈余白〉
この作品の最大の特徴は、何も描かれていない「余白」です。等伯は紙の白さをそのまま活かすことで、立ち込める深い霧や湿った空気感を表現しています。
〈墨の濃淡による距離感〉
近くの松は濃い墨で力強く、遠くの松は淡い墨でぼんやりと描かれています。 
〈屏風の折り目による効果〉
折り目によって画面に凹凸ができると、松の配置にさらなる立体感と動的なリズムが生まれ、それを上手く利用しています。
〈等伯の心情〉
この絵は、等伯が愛息・久蔵を亡くした後に描かれたという説があります。 
画面全体に漂う静寂や孤独感、あるいは厳しい自然の中に立つ松の生命力など、等伯がこの風景に託したであろう感情に思いを馳せてみるのも違う見方が出来るかも知れない。

この仮説が正しいとすれば、小説の「等伯」を読むとこの時の心情がよく理解できます。
この時期、狩野永徳が「京都画壇の絶対王者」として君臨しており、この小説のクライマックスの一つとして、等伯が狩野派の陰謀によって息子・久蔵を失ったのではないか、という疑惑が描かれます。


※私なりに、今回まじかで観て新しい発見がありました。それは、
この激しいタッチで描かれた松の葉は風により上下に揺れる動きを現わしているのではないか???
それは息子・久蔵を失ったやり場のない悲しみなのか、怒りなのか・・・

当時日本の画壇でこのような風の動きを現わす作品は観たことは無いように思えます。

※左の絵をクリックして頂ければ、画像がアップで見ることができ、筆づかいが良く分かります。

2026年1月5日月曜日

読書 「日本人にとって美しさとは何か」高階秀爾

        日本の美の伝統とは・・・

著者:高階秀爾
出版:筑摩書房

本書は著者がこれまでに発表した講演や小論を纏めたものであり、前半は「日本人の美意識」と題された講演記録を皮切りに、日本と西洋との芸術比較論や日本の油彩画、日本美術の原点や独自性について述べています。
驚いたのは美術評論家がその冒頭に「古今和歌集」を取り上げ、その序文は日本人の美意識をはっきりと告げる初めての「日本の美学の宣言書」であると述べています。
そして注目しているのが、その分類方法です。海外のアンソロジーは全て作者ごとの分類になっているのが、古今集では、四季の季節ごとの分類から始まり、その次にお祝い、恋、旅・・・等が続き、かなりの割合で季節の部分に重点が置かれています。言い換えれば考え方が作者本位というより、むしろ自然と繋がっている。
つまり、自然と繋がるという流れが古今集から現代にまで繋がっていると。
更に「反り」「平仮名の造形性」「鳥居」、更には琳派等の「絵と文字の共作」から「マンガの文字と絵」というテーマにまで広がっていきます。

※話が脱線しますが、われわれが学校で習った日本文学史は、散文(小説)が中心でしたが、詩歌(和歌・俳句等)を中心にした流れを追う方が、日本人の美学の伝統としては分かりやすいかも知れません。少なくとも散文がメインとなる近代以前は・・・

後半は、雑誌に掲載された小論が中心となっていますが、その分内容は多岐に亘っています。絵文字や漢字と日本語の関係、襲名という特異な伝統、雅楽や唱歌等の音楽、富士山、太鼓橋、旅の文化、そして行き着く先はロボットに至るまで、実に幅広い着眼点を以て日本の文化を論じています。

日本美術を語る上では欠かせない「余白の美」は、実は「切り捨ての美学」に他ならないと言う解説も興味深い考察です。
長谷川等伯の「松林図」、利休と朝顔の故事を取り上げ、たった一つの美を際立たせる為に背景や情景を全て切り捨てる・・・そんな大胆な発想が日本美術の伝統を支えている事を思うと、改めて西洋美術との根本的な違いが見えて来るのではないでしょうか。
更に面白いのは、西洋が“実体”に美を感じるのに対し、日本人は“状況”に美を見出すという点だと指摘しているのは面白い見方です。
西洋人は「ミロのヴィーナス」等、状況がどう変わろうと実物そのものの美しい物を挙げるが、日本人の美は、清少納言が見抜いたように、季節の移り変わりや時間の流れなど自然と密接に結びついていて、状況によって変化します。

ここに挙げたのはほんの僅かな一例ですが、驚きと、納得があり、知識の収穫があり・・・目から鱗のような展開があります。

2025年12月5日金曜日

読書 「街道をゆく夜話」(再読)

    「街道をゆく」に何故『洛中』を取り上げていないのか?


著者:司馬遼太郎
出版:朝日文庫

タイトルからは、「街道をゆく」の裏話のようなイメージを受けるが、掲載されているのは直接関係ないもので、「街道をゆく」のイメージに合いそうな短いエッセーを集めたものです。要するに編集者の「二匹目のドジョウ」を狙った商法のようです。ただ手短な話が多いので夜の寝る前に読むには手頃です。

以前読んでからかなりの年数が経つので、かなりの部分は忘れているものが多いが、そういう中で、新たな発見がありました。

以前「街道をゆく」を読み通した(一部抜けがあるかも?)時に、京都の洛中を扱ったものが、このシリーズに含まれていないのに気づきました。(大徳寺散歩・嵯峨散歩はあるが、これらは洛外)
著者は、産経新聞京都支局を含めて京都に7年間もいたにも拘わらず、歴史のある京都の寺社を何故取り上げていないのか、これまでずっと不思議に思ってきました。
今回本書を読んで、もしかしたらここに書かれている事がその原因ではないかと思われる記述がありましたので紹介します。

当時の著者は寺社の担当で、そこでの年中行事を書いていた。「京都の人は年中行事が生活の暦になっていたので、京都版にはこういう記事が欠かせなかった。若かったからばかな町だと思っていた・・・京都的生活への反発だけがあった。『終い弘法』という言葉を聞くだけで、いまでもやり場のない悲しみがこみあげてくる・・・『終い弘法』では人出の数だけを勘定していた。露店にどういう植木が出ていたかも記憶がない・・・要するに京の四季を味わうには、私は若すぎた・・・おれの青春はこんな陰気くさいもののなかで朽ちるのか・・・」

以上、このような気持ちが著者の中に後々まで心の澱(おり)のように残り、歴史のある場所はことごとく取り上げている「街道をゆく」の中で、例外的に「洛中」は取り上げられていないのではないかと、勝手な推測をしている次第です。

2025年11月30日日曜日

映画 TOKYOタクシー

      軽やかなヒューマンドラマ


監督:山田洋次
原作映画:パリタクシー(フランス映画)
題名:TOKYOタクシー
主演:倍賞千恵子・木村拓哉

〈あらすじ〉
本作が91本目となる山田洋次監督(94歳)が、2022年製作のフランス映画「パリタクシー」を原作に、人生の喜び(?)を描いたヒューマンドラマです。
生活に疲れたタクシー運転手の宇佐美浩二(木村拓哉)は、85歳の高野すみれ(倍賞千恵子)を東京・柴又から神奈川の葉山にある高齢者施設まで送ることになった。すみれの「東京の見納めに、いくつか寄ってみたいところがある」という頼みを受けた宇佐美は、すみれの指示で各地へタクシーを走らせる。
旅を共にするうち、次第に心を許したすみれから語られたのは、彼女の意外な過去だった。タクシーの運転手と客として偶然出会った2人の心、そして人生が大きく動き始める。

〈感想〉

ストーリーの大筋は原作に忠実につくられており、舞台をパリから東京に移し、山田流の脚色がなされているという感じで、すみれの悲惨な戦争体験、家庭内暴力とそれに伴うすみれの夫への殺人未遂事件、老化という人生の終末を迎える寂しさというものが描かれているが、暗いテーマにも拘わらず、ユーモアや軽妙さを取り入れ、暗いものを引きずっていくというよりは、軽やかな感じに仕上がった良質の映画です。
またタクシーからの景色としては、昔の面影が無くなった現代の都内の風景よりも終盤の目的地の葉山へ行く途中に見る夕焼けのベイブリッジや横浜の夜景の方が、印象強く残りました。 これは下町を愛した山田監督が失われていく東京に対して、横浜に未来を見たのだろうか???
ベイブリッジに差し掛かった時に、キムタクが「生きていて良かったですね。今、生きているからこの景色を見ることが出来るんです」というのに対して倍賞が涙を浮かべながら「そうね貴方にも会えたんだものね」というセリフも良かった。

〈パリタクシー〉

また、この映画の元になった「パリタクシー」をプライムビデオで見ることが出来たので、こちらも映画を観た翌日に観ました。 「パリタクシー」を見終わった後、もういちど「TOKYOタクシー」を観たい気がしています。

〈追記〉
キムタクのキャスティングは良かったと思います。これまで何をやってもキムタクでしたが、今回は一味違うキムタクでした。
劇中で印象深く使われている挿入曲「とても静かな夜だから」「星屑の町」の2曲も、倍賞千恵子の歌声が若々しくて素晴らしい。

2025年11月3日月曜日

街道を撮りにゆく 丸沼(群馬県片品村)

           開 高 健 も 見 た 風 景


左記の写真は、「国際魚釣りコンクール」の国ごとの審査で、金賞に輝いた開高健が丸沼で釣りあげたニジマスの写真です。
開高健は、群馬県片品村の丸沼湖岸にある環湖荘という老舗旅館を定宿にして丸沼・菅沼で釣りを楽しんでいたそうです。

環湖荘










以下、写真にて丸沼を紹介します。
沼は南に開かれているので、正面にオリオン座が見えます。













































釣りには詳しくないのですが、恐らく「フライフィッシング」ではないかと思います。



古い映画ですが、モンタナの大自然を背景に「フライフィッシング」を通して家族の交流と葛藤を描いた「リバー・ランズ・スルー・イット」(ロバート・レッドフォード監督、ブラッド・ピット主演)を思い出します。







2025年10月26日日曜日

街道を撮りにゆく 尾瀬ヶ原

       尾 瀬 の 一 日


今年の10月は雨や曇りの日が多く、17日~18日の天気予報が晴れだったので、前日に山小屋を予約し、バタバタと出かけた次第です。
以下、写真をご覧下さい。

不気味な朝焼けが拡がる





















燧ヶ岳の朝焼け





















至仏山にかかる雲






















ゴーストのスプラッシュ



































草モミジの絨毯










































ヒツジググサ


















































尾瀬の夕空に飛行機雲が・・・