「みやび」を体現する業平
在原業平生誕1200年の記念行事として、三井記念美術館で、「在原業平と伊勢物語」が開催されています。美術館に入る前に地下鉄を降りて地上に出ると、日本橋の景色が一変しているのに驚きです。高層ビル群が立ち並び見違えるようです。恰も三菱地所の丸ノ内の高層ビル群に対して、三井不動産がコレドや三井タワーを中心とした高層ビル群を建てて、競い合っているような感じです。
美術館内は撮影禁止なので、内容は下記のカタログの写しでご覧下さい。
在原業平について
(大岡誠氏や高樹のぶ子氏の本を中心に、備忘録として整理しました)時代:平安時代初期~中期(西暦825~880年)、同時代に空海、菅原道真などがいます。特に菅原道真は在原業平の役所での上司です。
紫式部の時代には「伊勢物語」は既に古典になっていました。
家柄:桓武天皇の末裔で、皇族だったのですが、父が願い出て兄と共に在原姓を賜って臣籍降下しています。
エピソード
漢文で書かれた正史「六国史」の中で、菅原道真は、在原業平について「ほぼ学才なし」と書いているそうです。この場合の学才とは漢学を差します。菅原道真から見れば、誰でも「学才なし」かも知れませんが・・・
ただ、非常にのどかで、和歌が上手く、美男子で女性にもてたらしい。伊勢神宮の神の妻として仕える女性とか、幼少だった天皇の年上の奥方(高子)と同衾してしまい、それが藤原氏の怒りを買い、伊勢物語の「芥川」(※1)や「東下り」の物語が出来たという説があります。
(※1「芥川」:主人公の男(在原業平?)が恋人を盗み出して逃げるものの、悲劇的な結末を迎える話)
また、高樹のぶ子氏によると、「在原業平は、プレイボーイの代名詞のように言われるが、『伊勢物語』を読むと、彼は決して女を次々と射落とすハンター型ではなく、むしろ受け身で、巻き込まれ型の恋が多かったと述べています。
出世を望まないにしろ、何らかの形で自分を認めて欲しい。その思いが向かった先が歌でした。不遇をかこった業平には、思うに任せぬ事も多くあったわけですが、それがそのまま歌をつくる力になり、モチベーションにもなった。命のエネルギーを思い切り歌に注いだため、業平の歌は人々の心を打ち、その結果として、女性にモテた。そういう順番だったと思います」
不遇を囲った業平だが、晩年には、かつての恋人(高子皇太后)が主宰するサロンに呼ばれ、その縁で蔵人頭に登り、藤原氏ほどではないが、政治の中枢にはいたようである。



