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2026年2月11日水曜日

街道を撮りにゆく コウノトリ(元荒川)

      元荒川にコウノトリがやって来た

日課にしている散歩に出かけたところ、元荒川に見慣れない鳥がいるので、急ぎカメラを持って撮影しました。
望遠レンズを通して見ると個体識別番号が「J0925
この番号によってこの鳥の詳細が分かります。
昨年4月30日に兵庫県豊岡市で孵化した1歳に満たない若鳥で、その後7月に巣立ちをし、約半年を掛けて埼玉までやってきたようです。
以下、写真でご覧ください。





























































街道を撮りにゆく 諏訪湖・寄せ氷(2月)

         冬の風物詩となった寄せ氷


2026年の諏訪湖の「御神渡り」は立春の日に「明けの海」宣言が出て、今年で8季連続で見ることが出来ないようです。
「明けの海」とは、諏訪湖で厳冬期に全面結氷した湖面が、凍裂して氷の山脈のようなものができる現象「御神渡り」が、立春を過ぎても出現しないことを指す言葉です。
最近は「御神渡り」に変わって「寄せ氷」が冬の風物詩になった感があります。

ただ寄せ氷がどういう条件で出来るのか? またどの場所で見れるのか? 初めてのことなので、氷の張り具合そして風や波によってそれが壊れ、どこの岸に打ち寄せるのか等々調べるのに手間が掛かります。
私の撮影した寄せ氷は前日には出来ていたようで、辰野清さんのブログを見ていましたら、前日の夜が満月だったので、この場所で満月と寄せ氷の組み合わせで、撮影されたようです。

以下、写真でご覧下さい。



















上:夜明け前
左:日の出直後

ガラス片が積み重なったような状態です。































ミニ御神渡り
















アイスジュエリー①
















アイスジュエリー②


2026年2月8日日曜日

街道を撮りにゆく 裏磐梯(1月)


         ホワイトアウト&朝焼け















久々の冬の裏磐梯へ
本来の目的は、娘のお供で稲苗代町にある「梨の木」というフルーツピザが評判のピザ屋さんなのですが、折角行くので裏磐梯まで足を伸ばした次第です。

裏磐梯の初日は、少し吹雪かれてちょっぴりホワイトアウト、翌日は秋元湖での朝焼けを独りで堪能しました。
この時期の秋元湖は日の出の位置が山影になるので、来る人もなくのんびりと
一人での撮影です。ただ誰も来ないということは除雪車も入らないので、100mほど雪の中をラッセルする羽目になりました。
以下、写真をご覧下さい。

「省略の美」
















吹雪の後
















緩やかな双曲線






















誰もいない秋元湖
































































帰りに磐梯山が少しだけその威容を見せてくれました。


2026年1月22日木曜日

読書 「鬼平とキケロと司馬遷と」 山内 昌之

         読書は享楽である


著者:山内昌之(国際関係史・イスラム地域研究)
出版:中公文庫

著者は20代後半から40代にかけては、外国語資料に惑溺し、日本語の本を殆ど読む余裕などなかったという。しかし40代半ばにさしかかると、改めて無性に日本語の本を読みたくなったという。
理由の一つは、自分の学問の意味や目的を日本や日本人のあり方と無関係に考えがちな精神に歪みを感じることが多くなったからだという。
その結果辿り着いたのは、「読書に勢いをつけ面白いと感じるためには、読みやすい本や面白いものから入ればよい」という方法だという。
その結果、本のタイトルや以下の目次や見て頂ければ分かるが、乱読の山である。
〈目次〉
序章 歴史の楽しみ―司馬遷からマスペロへ
第1章 江戸のロマン―鬼平と河内山のピカレスク
第2章 政治リアリズム―ローマ・徳川日本・イスラーム
第3章 「歴史とは何か」―イブン・ハルドゥーンと内藤湖南
第4章 幕末騒動始末記―新選組のぐるり
第5章 明治という時代―夏目漱石と乃木将軍
終章 新しい教養へ―江戸情緒と泰西趣味を超えて

そして著者は明治の文芸批評家の内藤湖南の言葉を引用して「読書が勤学であるように解されたのは昔の道学の学究観で、読書は実は享楽である」と。
ただ、この本に取りあげられているのは、私のレベルに合う本もあるが、かなり専門的な知識がないと理解しにくいものもある。ただ楽しみのための読書という気持ちだけは共有できたと思う。

2026年1月15日木曜日

長谷川等伯の「松林図屏風」

      「松林図屏風」の激しい筆遣いに驚き

「松林図屏風」
〈この絵は写真撮影が許可されています〉
        










上野の国立博物館では、毎年1月には恒例の長谷川等伯の「松林図屏風」が展示され、10数年ぶりに観ました。 安部龍太郎の直木賞受賞作である「等伯」を読んで以来気になっていた作品です。

鑑賞のポイントは以下の通りです。
(以下、AIを利用しながら私見を入れて作成しました)

〈余白〉
この作品の最大の特徴は、何も描かれていない「余白」です。等伯は紙の白さをそのまま活かすことで、立ち込める深い霧や湿った空気感を表現しています。
〈墨の濃淡による距離感〉
近くの松は濃い墨で力強く、遠くの松は淡い墨でぼんやりと描かれています。 
〈屏風の折り目による効果〉
折り目によって画面に凹凸ができると、松の配置にさらなる立体感と動的なリズムが生まれ、それを上手く利用しています。
〈等伯の心情〉
この絵は、等伯が愛息・久蔵を亡くした後に描かれたという説があります。 
画面全体に漂う静寂や孤独感、あるいは厳しい自然の中に立つ松の生命力など、等伯がこの風景に託したであろう感情に思いを馳せてみるのも違う見方が出来るかも知れない。

この仮説が正しいとすれば、小説の「等伯」を読むとこの時の心情がよく理解できます。
この時期、狩野永徳が「京都画壇の絶対王者」として君臨しており、この小説のクライマックスの一つとして、等伯が狩野派の陰謀によって息子・久蔵を失ったのではないか、という疑惑が描かれます。


※私なりに、今回まじかで観て新しい発見がありました。それは、
この激しいタッチで描かれた松の葉は風により上下に揺れる動きを現わしているのではないか???
それは息子・久蔵を失ったやり場のない悲しみなのか、怒りなのか・・・

当時日本の画壇でこのような風の動きを現わす作品は観たことは無いように思えます。

※左の絵をクリックして頂ければ、画像がアップで見ることができ、筆づかいが良く分かります。

2026年1月5日月曜日

読書 「日本人にとって美しさとは何か」高階秀爾

        日本の美の伝統とは・・・

著者:高階秀爾
出版:筑摩書房

本書は著者がこれまでに発表した講演や小論を纏めたものであり、前半は「日本人の美意識」と題された講演記録を皮切りに、日本と西洋との芸術比較論や日本の油彩画、日本美術の原点や独自性について述べています。
驚いたのは美術評論家がその冒頭に「古今和歌集」を取り上げ、その序文は日本人の美意識をはっきりと告げる初めての「日本の美学の宣言書」であると述べています。
そして注目しているのが、その分類方法です。海外のアンソロジーは全て作者ごとの分類になっているのが、古今集では、四季の季節ごとの分類から始まり、その次にお祝い、恋、旅・・・等が続き、かなりの割合で季節の部分に重点が置かれています。言い換えれば考え方が作者本位というより、むしろ自然と繋がっている。
つまり、自然と繋がるという流れが古今集から現代にまで繋がっていると。
更に「反り」「平仮名の造形性」「鳥居」、更には琳派等の「絵と文字の共作」から「マンガの文字と絵」というテーマにまで広がっていきます。

※話が脱線しますが、われわれが学校で習った日本文学史は、散文(小説)が中心でしたが、詩歌(和歌・俳句等)を中心にした流れを追う方が、日本人の美学の伝統としては分かりやすいかも知れません。少なくとも散文がメインとなる近代以前は・・・

後半は、雑誌に掲載された小論が中心となっていますが、その分内容は多岐に亘っています。絵文字や漢字と日本語の関係、襲名という特異な伝統、雅楽や唱歌等の音楽、富士山、太鼓橋、旅の文化、そして行き着く先はロボットに至るまで、実に幅広い着眼点を以て日本の文化を論じています。

日本美術を語る上では欠かせない「余白の美」は、実は「切り捨ての美学」に他ならないと言う解説も興味深い考察です。
長谷川等伯の「松林図」、利休と朝顔の故事を取り上げ、たった一つの美を際立たせる為に背景や情景を全て切り捨てる・・・そんな大胆な発想が日本美術の伝統を支えている事を思うと、改めて西洋美術との根本的な違いが見えて来るのではないでしょうか。
更に面白いのは、西洋が“実体”に美を感じるのに対し、日本人は“状況”に美を見出すという点だと指摘しているのは面白い見方です。
西洋人は「ミロのヴィーナス」等、状況がどう変わろうと実物そのものの美しい物を挙げるが、日本人の美は、清少納言が見抜いたように、季節の移り変わりや時間の流れなど自然と密接に結びついていて、状況によって変化します。

ここに挙げたのはほんの僅かな一例ですが、驚きと、納得があり、知識の収穫があり・・・目から鱗のような展開があります。

2025年12月5日金曜日

読書 「街道をゆく夜話」(再読)

    「街道をゆく」に何故『洛中』を取り上げていないのか?


著者:司馬遼太郎
出版:朝日文庫

タイトルからは、「街道をゆく」の裏話のようなイメージを受けるが、掲載されているのは直接関係ないもので、「街道をゆく」のイメージに合いそうな短いエッセーを集めたものです。要するに編集者の「二匹目のドジョウ」を狙った商法のようです。ただ手短な話が多いので夜の寝る前に読むには手頃です。

以前読んでからかなりの年数が経つので、かなりの部分は忘れているものが多いが、そういう中で、新たな発見がありました。

以前「街道をゆく」を読み通した(一部抜けがあるかも?)時に、京都の洛中を扱ったものが、このシリーズに含まれていないのに気づきました。(大徳寺散歩・嵯峨散歩はあるが、これらは洛外)
著者は、産経新聞京都支局を含めて京都に7年間もいたにも拘わらず、歴史のある京都の寺社を何故取り上げていないのか、これまでずっと不思議に思ってきました。
今回本書を読んで、もしかしたらここに書かれている事がその原因ではないかと思われる記述がありましたので紹介します。

当時の著者は寺社の担当で、そこでの年中行事を書いていた。「京都の人は年中行事が生活の暦になっていたので、京都版にはこういう記事が欠かせなかった。若かったからばかな町だと思っていた・・・京都的生活への反発だけがあった。『終い弘法』という言葉を聞くだけで、いまでもやり場のない悲しみがこみあげてくる・・・『終い弘法』では人出の数だけを勘定していた。露店にどういう植木が出ていたかも記憶がない・・・要するに京の四季を味わうには、私は若すぎた・・・おれの青春はこんな陰気くさいもののなかで朽ちるのか・・・」

以上、このような気持ちが著者の中に後々まで心の澱(おり)のように残り、歴史のある場所はことごとく取り上げている「街道をゆく」の中で、例外的に「洛中」は取り上げられていないのではないかと、勝手な推測をしている次第です。