感染症と戦った二人の対立
著者:海堂尊
(「チーム・バチスタの栄光」の著者)
出版:文春文庫
〈あらすじ〉
明治時代に日本の感染症医学と衛生行政の確立に奔走した「細菌学の父」と呼ばれる北里柴三郎と、陸軍軍医総監にして文豪の森林太郎(鷗外)の知られざる対立や影響しあった事を描いた歴史医療小説です。
二人は「感染症から国民の命を守る」という同じ志を抱き、共にドイツへ留学し、世界的権威ロベルト・コッホの秘蔵っ子となる北里。その縁で森もコッホの下で学びます。帰国後、理想を掲げる二人は次第に道を違えていき、北里が民間の立場から実学としての細菌学を追及する一方、森は陸軍という組織の中で官僚的な衛生行政を担っていく。
結核菌やコレラ菌を発見したコッホ。その秘蔵っ子の北里もペスト菌や破傷風菌の発見、また破傷風菌の血清療法の開発等、世界的な学術成果を挙げた。
だが、北里は政府の官僚的な体質を批判したのが祟って、帰国後は冷遇され宙ぶらりんの状態であった。そこへ福沢諭吉が救いの手を差し伸べて私立の研究所を設立し、北里も活動の場を得るが・・・
一方の森は順調に軍隊での出世と作家としての才能を開花させるが、脚気(かっけ)問題では、後世に大きな汚点を残している。
当時は、脚気(かっけ)での死亡が深刻な社会問題となっていた。
陸軍では、脚気は細菌感染という考え方が主流であったのを配慮した森は、栄養学の観点から陸軍の白米食を理論的にバックアップし、海軍が採用した洋食+麦飯(麦と米の混合食)への切り替えを認めず、白米食を維持する立場を取り続けた。
その結果、日露戦争では、戦死者よりも脚気での死者が多い事態(28,000人以上)となるが、陸軍はその事実をひた隠しにし、陸軍軍医としての森の立場は揺るぎなかった・・・しかし死にさいしては・・・
〈読後感〉
明治という時代には、感染症等の病気の原因は分かっていなかったが、光学顕微鏡の出現によって、次第に明らかになっていく時代であり、更にpost顕微鏡に移行する時代でもあった。その時代の流れに乗り切れなかったら、落ちこぼれていく過酷な世界でもあり、現在のような激しい世界的な競争が、既にこの時代に始まっていたのがよく分かります。
陸軍軍医としては最高位の陸軍軍医総監(中将相当)まで登り詰めた森だが、北里の大鷲のような強靭さと、目標に対して一直線に翔けて行く意志に対し、森は常にコンプレックスを抱いていた。また森家の家長としての期待、組織人としてのしがらみに常に悩まされていたので、そのはけ口として文学の道へもひた走るが・・・
全体として面白く読み通せたのですが、読後感となると、いまひとつ物足りないという感じになったのは残念です。
故山崎正和氏の「鷗外 戦う家長」という優れた評論があります。そこでは明治という国家の期待を背負いながら、家というものを必死に守り抜こうとした一人の男の「闘い」と「孤独」を浮き彫りにしています。
「挫折しないことへの不安」に怯えながら、最後まで社会的役割を演じ続けた森が、死の床ですべての社会的肩書きを拒否し、「森林太郎」として死んでいく事実。そこから逆に遡って考えれば、もっと哀れな、悲劇的な人間として森を描けたのでは・・・読者の身勝手な思いですが・・・


