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2023年12月4日月曜日
街道を撮りに行く 東京大学本郷キャンパス
2023年11月21日火曜日
読書 「昭和」という国家 司馬遼太郎
DVDは司馬遼太郎の魅力がたっぷり
原題:「雑談『昭和』への道」1986年(昭和61年)NHKにて放映
著者:司馬遼太郎
出版:NHKブックス
「雑談『昭和』への道」は、司馬遼太郎誕生100年を記念して、NHK大阪放送局で、関西地区中心に再放送されたそうです。そのDVDを頂いたので、それを見ながら、また並行して放送内容を活字にした「『昭和』という国家」を読み進めました。
この放送は全12回に渡ったが、司馬は毎回撮影スタジオへはひとりで手ぶらでやってきて、メモも見ることも無く全てをやり切ったそうです。
内容については、日本が無謀な太平洋戦争へとまっしぐらに進んだ原因が何であったかを訴えるものであるが、改めてこの人の誠実さというか、憂国の士というイメージを感じさせるものであった。
この放送内容は、原題に「雑談」とあるように、内容が多岐に渡り纏めるのが非常に難しいが、特に、面白かったのは、9章(9回目放映)の「買い続けた西欧近代」と11章(11回目放映)の「江戸日本の多様さ」です。
この二つの章の内容は、明治政府は、多様性のあった江戸期を否定し、ヨーロッパの近代を買い続けたことによる弊害が、時間を経るにしたがってより顕著になり、日本の不幸を生んだという。
江戸幕府が定めた漢学は朱子学であったが、実態はゆるい統制であったので、いろいろな学問や思想が噴出して、海保青陵、山片蟠桃のような市場経済の研究や、その他富永仲持(哲学・宗教学)、三浦梅園(自然科学)、本居宣長(国文学)、荻生徂徠(儒学・政治学)、関孝和(和算)等、今と変わらないような学問のレベルまで達していた。
その不幸の代表例が、明治の申し子というべき漱石であった。漱石の基本的な学問は子供の頃に習い覚えた漢学であったが、その上に洋学が覆い重なった。ここには日本という要素は入っていない(司馬はこれは漱石が悪いのではないと強調している)。その結果ロンドンで漱石はノイローゼになる。漱石をノイローゼにさせるような日本人には越え難いものが、ヨーロッパの近代であったという。
山崎正和の「不機嫌の時代」を例に挙げて、明治以降日本の知識人はノイローゼ気味であったと。
それに関して、若干話が外れるが、真珠湾攻撃の直後に「文学界」という雑誌が、「近代の超克」というテーマで座談会を催し、論文が発表されたことに、司馬は注目する。
この内容を評して司馬は「西欧というものにあこがれながらも、どうしても及ばないと思っていた日本の知識人にとって、真珠湾攻撃の成功と、イギリスの東洋艦隊の壊滅という華々しい戦果に日本の知識人は、大きな解放感、つかの間の極めて心理学的な解放感を得た」という。(当然この座談会は戦後批判に晒された)
出席者や論文寄稿者は、小林秀雄、河上徹太郎、亀井勝一郎、林房雄等々13名、当時を代表する知識人であった。
司馬はいう。「この座談会が基本的におかしなことは、ここでいう超克すべき近代というのは、情けないことに江戸時代ではなく、明治維新以後にずっと買い続け、あるいは移植や接ぎ木されてきたヨーロッパの近代を言っている。そこにはリアリズムはなく、それまで西欧には敵わないと思い、ノイローゼ気味の知識人が溜飲を下げた姿がある」
司馬としては、江戸期に始まった合理主義的な日本の近代を再評価すべきと強調する。
以上は、内容の一例であるが、要するに多様性・合理主義的であった江戸文化を断ち切って、近代化を突き進んだ日本が、その不幸の積み重なりを抱えながら昭和へと突入した。
その中でも、特にドイツ陸軍を真似た日本陸軍は、偏差値エリート集団による「参謀本部」を強化し、後には「統帥権」の乱用により、合理主義を捨て、視野狭窄症状態で太平洋戦争へと突き進んだ。
以上、纏まりに欠けますが、司馬の論理展開の巧さ、博覧強記ともいうべき膨大な知識の中から具体的に持ち出す事例のリアリズムに飛んだ的確さ、物憂げな表情や人懐っこい笑顔、その魅力を存分に味わえました。
2023年11月9日木曜日
読書 建築家、走る(隈研吾)
華々しい建築家の源は挫折から出発していた
出版:新潮文庫(初版の単行本は2013年出版)
(因みに新国立競技場の1回目のコンペには著者は参加していない)
私が隈研吾を知ったのは、毎年カキツバタの咲く時期に、根津美術館で公開される尾形光琳の「燕子花図屏風」を見に行った時でした。
その年(2012年)は、「燕子花図屏風」とNYのメトロポリタン美術館所蔵「八橋図」の光琳の二つの屏風が展示されるというので、初めて根津美術館へ行き、その敷地に足を踏み入れた瞬間に、シンプルかつ印象的なエントランスに魅了され、後で調べたらそれが隈研吾の設計ということを知った次第です。
著者としては、東京のバブル全盛時代の「カオス」を現代建築的に翻訳しようと試みて、復古主義的ポストモダニズムへの意地の悪い批評のつもりが、その意図はまったく伝わらず激しい非難にさらされた。
<1994年「見えない建築:亀老山展望台(今治市)」>
山の中に建物を埋め込んでいる。
入口のトンネルを入り、出口が山の頂上で、頂上に出たとたん展望が一気に開け
<1995年「見えない建築の進化:水/ガラス(熱海市)」>
海と部屋の一体化
<1996年「予算がなくてアイデアの建物:森舞台(宮城県登米市)」>
周囲の森を舞台装置に見立て、建物の簡略化と地元産の節のある安い木の活用。
<2000年「石を使い尽くす:石の美術館(栃木県那須町)>
予算を絞るため通常の建築材を使わず、全部石で作る。自前の石職人の活用。
「石格子」の発明。
<2000年「やがてライトの建築につながる:那珂川町馬頭広重美術館」>
広重「大はしあたけの夕立」の「雨」を再現した建物。
広重が直線で描いた雨を、木の格子の重層で表現。屋根への不燃材処理した
ライトは、大の広重ファンで、かつ20代の時にシカゴ万博の日本館を見て
そして、上記の地方の作品で、ヨ-ローッパから「国際石の建築賞」と「国際木の建築賞」を受賞している。
このようにして、著者は地方の仕事で「場所」と自分をつなぐ方法を発見し、その後海外に広がった舞台で、更に大きな制約にさらされ、揉まれ、更に「場所」をつかんでいったと述べている。
隈研吾の作品は一般に「和の大家」と言われているが、これらの作品群を見ると(木とは限らない)自然素材を使って「環境に溶け込む建築家」と言えそうだ。
この本を読んで、建築の世界の門外漢である私にも、近代以降の建築様式の流れや、建築家がどのようにして自分の作品に思いを込めていくのかが、よく分かる。
また、「住宅ローン」というアメリカでの発明が、「賃貸住宅」の考えから「持ち家」への考えに変化したことで、ヨーロッパとアメリカの経済の差に繋がっていったかという見方や、更に、コンクリートでできたマンションは完成した瞬間から劣化が始まり、かつての日本の木造建築のような部材取り換えや設備更新が難しいので、ドンドン朽ち果てていくという考えも、今のタワマンブームに対しての批判として面白かった。
2023年10月28日土曜日
2023年10月26日木曜日
写真 錦平(山形県)雪と紅葉の絶景
10月22日、前夜から未明にかけてのの寒冷前線の通過により、ここ山形県の錦平では、三段紅葉が見られました。
錦平へ向かう西吾妻スカイバレーの景色
2023年10月6日金曜日
読書 翔ぶが如くー全10巻(司馬遼太郎)
薩摩隼人の滅びへの鎮塊歌「明治版・平家物語」
全10冊を読み終えて感じたのは、この本は世評言われている「西郷と大久保の対立」を描いたというより、薩摩士族あるいは、それ以前の鎌倉期から起こった武士の滅亡してゆく姿を描いた「明治版・平家物語」だという印象です。
明治政府が成立して、まもないこの時代の空気というものは、われわれには感じとることは出来ない。この小説は、その時代の空気を現代に甦らせようと試みているかのように、この時代の出来事を詳細に描いていく。
これは、もはや小説ではなく、この時代のドキュメントであり、歴史書といえるかもしれない。
従来の小説をイメージしていた人は、面食らったと思います。そういう意味では「竜馬がゆく」や「燃えよ剣」の主人公が溢れ出る情熱で時代にたち向かってゆく小説とは一線を画しています。
著者の小説は「坂の上の雲」あたりから、(それまでも歴史を詳細に調べていたが)より緻密に史実を積み重ねて書く傾向が顕著になり、本著ではそれが徹底して、実に詳細な出来事までこまごまと記載しています。そういう意味で、冗長な部分も一部あり、不評が出るのかも知れません。
この本に描かれている時期(明治6年~明治10年)は、新政府が成立はしたものの、その基盤もあやふやで、不満が横溢し、日本の舵取りも定まっていない時期で、そこに西郷隆盛らが主張する「征韓論」と、帰国組の大久保らの「反征韓論」が激突し、やがては、西南戦争へ連なってゆく時代を描いています。
現代から見れば、「征韓論」という、この時代にそぐわない議論が出てきたのかは理解ができませんが、著者は丁寧にその原因を描いていきます。
この時期、政府は、矢継ぎ早に「廃藩置県」「秩禄処分」「廃刀令」「断髪令」で、武士の特権、あるいはプライドまでを一切切り捨てた。更に戊辰戦争を戦った膨大な数の武士たちも戦争が終わると、そのまま帰郷させられ、上記の改革で、いわば失業者と化した。
そのような中で、特に討幕派であった「薩長土肥」では、彼らのごく一部の官に仕えた者だけが、維新の果実を貪っていることが、より彼らの不満を募らせた。
一方政府は「徴兵制」「地租改正」も打ち出し、こちらは、農民に対して、これまで兵役とは無縁であったのが、新たな負荷になり、租税はこれまで米を上納していたものが、金銭での徴収となり、農民への混乱を起こし、また日本の近代化(工業化や鉄道等インフラ建設)のために重税になり、「血税一揆」まで起こっていた。
このような社会情勢のなかで、旧武士団にも農民にも、政府に対する不満が充満し、一触即発の状態にあったのが、この時代の空気のようである。
そして、佐賀の乱で始まった反乱が、秋月の乱、萩の乱、神風連の乱と続き、最後の西南戦争で、日本最強と言われた薩摩士族が、庶民から募った政府軍に完膚なきまでに敗北した。そういう意味で、この時に明治維新は名実ともに武士の世から新しい時代に切り替わったと言えるのかもしれない。
本書では、西南戦争の「田原坂の戦い」や最後の「城山の戦い」は、司馬遼太郎の得意の(悲愴ではあるが)躍動感を持って描かれる。
そして最後の章の「紀尾井坂」では、一人孤独に新国家の建設を目指した大久保利通の最後に涙を誘われる。
本書の解説者は、「司馬遼太郎は、いつも史料を学びながら、またそれをもとに考えながら小説を書いた。研究と執筆は同時進行であった。読者もまた、司馬遼太郎の発見と思考の過程を追うことを読書のたのしみとした」と書いている。
本著は、昭和47年(1972年)から4年半に渡り新聞連載された。この時の読者は、どのような歓びを持って新聞小説を読んだのか、そのチャンスを逃したのが、残念な気がします。
2023年10月2日月曜日
写真 彼岸花・変わり種編
過酷な条件下に咲く彼岸花
2023年10月1日日曜日
2023年9月20日水曜日
映画 「こんにちわ、母さん」山田洋次監督
観終わった後には、ほっこりとした気持ちが残り、最高に良い映画です。
「山田ワールド」にはまり込んで、何度か思わず涙が出てしまいまいました。
(ストーリーは省略します。全体を読んでいただければ、何となく流れが分かると思います)
★この映画を観て「男はつらいよ」を思い出しました。
「山田ワールド」という、ありふれた日常を描いたワンパターン的なストーリーの中にいろんなものを、丁寧に詰め込んでいく山田洋次監督らしさが伺えます。
<寅さん>
大泉洋が、大企業の部長の座を投げ出し、リストラされる友人(宮藤官九郎)を救うなんて、実際はありえない話ですが、まさに「寅さん」的な気持ちが伝わってきます。
「男はつらいよ」シリーズでは、途中から懐かしい(あるいは残したい)日本の風景というものを、映画の中に取り込んでいきます。
京都・伊根の風景や、九州・日田の風景は印象的でした。
隅田川や吉永小百合の家の周辺では、(そこに住んだこともないけれど)何となく懐かしい下町の雰囲気が、醸し出されています。
家に鍵を掛けないので、近所の人が勝手に入ってくる場面は、子供の頃の家のことを思い出してしまいます。(私が子供の頃はどこの家もこんな感じでした)
隅田川の花火は、長岡の花火等と比較すると、スケール的にはそれほどでもないと思うのですが、吉永小百合が、向かいの家の屋根越しに見る花火の場面は、情緒的な光景だなあと思ってしまいました。
また、ボロ自転車に空き缶を山のように積んで、よろけながら自転車に乗っている場面や、言問橋の上での東京大空襲を思い出して暴れるシーンでは、凄い迫力です。
「上意打ち」に怯むことなく、酒に溺れて荒んだ侍というものを、凄まじいまでの迫力で演じていたのには驚きました。
田中泯は、器用な俳優?(本職はダンサー)ではないので、平凡な役では下手くそな演技ですが、役がハマると凄い迫力の演技をします。
山田監督はきっとこのホームレスの役に使いたかったのでしょう。
<青春の思い出>
大泉洋が、実家の押入れから高校時代に夢中になったカセットデッキを探し出してきて「涙のキッス」を歌う場面は、この場面の挿入の仕方がうまいのと、大泉の歌も良かったです。
若い世代には、この映画の良さが、分からないのではないかと懸念されます。