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2022年3月20日日曜日

読書 「イケズな東京」井上章一・青木淳

                   「イケズな東京」


著者:井上章一・青木淳
出版:中公新書クラレ

著者の井上章一氏(以下井上)は国際日本文化研究センター所長で、ベストセラーになった「京都ぎらい」の作者でもある。元々は建築史、意匠論が専門だったが、いまは風俗史や関西文化論など幅広く手掛ける。
一方の青木淳氏(以下青木)は、建築家であり東京藝術大学教授。ポストモダニズムの気質を残しつつ近代の思想を継承する建築家の一人と言われている。
タイトルからすると、両者の東京の都市論に関する対談・・・と思いきや???

恐らく編集者は「東京・京都などの街かどから都市や文化を考える」という主旨の二人の対談を企画したようだが、コロナ禍で対談ができなくなり、「個別の論考」「対談」「リレー・エッセイ」等が入り乱れ、個別には面白い箇所もあるが、テーマとしての纏まりのないバラバラな内容の本となってしまった。
テーマの統一感のなさに内容に文句をいうより、コロナ禍の被害を受けた編集者に同情すべきか???

ただ、都市景観に関する考え方の議論は興味をひいた。
井上がパリの整然と落ち着いた街並みと比較して、姉妹都市である京都の四条河原町の街角から眺めは、都市景観を無視したような色や形のばらばらな街並みが見えてくるという。
またイギリスの建築家を大阪道頓堀のネオン街に案内したら「ここは何をやってもいいところなのか。ヨーロッパではありえない表現の自由がこの界隈にはいきづいている」と大感激・・・(この道頓堀の無秩序さを笑いに転じた話は、受けを狙っているのか井上は別の書き物など至る所で使っている)

これを受けて青木は、日欧の都市景観の考え方の差を、歴史的に、また生活様式の違い等からじっくりと比較している。
かつては日本にも「町式目」があり、町家の「表構え」のデザインも事細かく決められ、町ごとにひとつに統一された「町並み」という言葉があった。それが近代以降、日本では人々が郊外に住むようになり、仕事場と住まいが分けるようになって、コミュニティが希薄になり、町への帰属意識がなくなったのが、都市景観が崩れた理由として挙げている。
(この青木の職住分離説は谷崎潤一郎の「細雪」を思い出す。大阪の船場を離れて六甲山麓のモダンな神戸や芦屋で生活する蒔岡家の分家・幸子達を彷彿させる)

一方、西欧の都市建築は石造りで、階を重ねる作りになっており、一つの建物には多くの家族が住んでおり、それぞれの居住空間から一歩でれば、皆のものだという共有意識が、都市景観の考え方に繋がって行ったという。
だが、日本においても、近年東京を中心に再開発が進み、雑然とした界隈が、スッキリと清潔な街区に変わって、広場のようなオープンスペースも増えた。これは100年前に近代建築が思い描いた理想の都市だった。しかしこれは大規模資本が統べる統一体になって実現できたことであり、これを近代化の成功として見て良いのかどうか悩ましいところであると言う。

井上には建築史家という肩書があるが、本人も言っているように「私が建築の勉強をしたのは1980年代まで」というように、現役の建築家であり東京藝術大学教授の青木に比較すると、オーソドックスな建築の話に関しては見劣りがする。やはり井上は風俗研究家と言った方が相応しいし、捻ったものの見方で人を翻弄することが巧い人だという感じがした。それに対して青木は正統派というか、オーソドックスに物事を捉えているのが印象に残った。

2022年3月17日木曜日

読書 「日本文化の謎」 司馬遼太郎・丸谷才一

 日本文化の謎(司馬遼太郎対話集2「日本語の本質」から)


著者:司馬遼太郎・丸谷才一(対談)
出版:文春文庫

前回3月15日のブログで、司馬遼太郎と丸谷才一の対談が一つしか見つからなかったと書きましたが、その一つが今回取り上げた対談です。

対談のきっかけは「諸君!」(1971年1月号)で行われた座談会「日本人にとって天皇とは何か」(出席者:福田恒存・林健太郎・司馬遼太郎・山崎正和)が丸谷・司馬対談の伏線にあった。この対談では福田・林による「天皇―武人」のイメージと司馬・山崎の「天皇―文人」のイメージの対比が鮮やかに出たそうである。
この対談を読んだ丸谷が「ぜひ司馬さんと話したい」と申し出て、司馬が快諾して実現したものであるという。

この対談を読むと両者共に、がっぷりと四つに組んだ感じの非常に緊張感あふれる対談である。共に相手をかなり意識した対談である。その分内容が濃密であり、読み手にとっては面白い対談であった。

司馬にしても丸谷にしても山崎正和との対談では、もう少しゆったりとしており、山崎がいろいろと述べるのを、聞き上手という感じで受け止めている。
ところが、この対談では二人ともそういう感じはいっさいない。
理由として考えられるのは、司馬と丸谷はそれぞれ1923年と1925年生まれと、歳が近く、また小説家という同業者でもある。それに対して山崎は1934年生まれで、この二人とは10歳程度年下で、職業も劇作家と少し違うということが考えられる。

対談は丸谷の方から宮廷文化とう切り口で始まる。
それに対して司馬は王朝文化というのは余り知らないから聞き手に回ると言うのだが、全然そういう感じはなく、ドンドンと積極的に発言している。

対談は、・宮廷文化、・何故明治以降天皇は恋歌を詠まなくなったか、・天皇という言葉がいつから使われ出したのか、・天皇の政治関与というのは歴史上特殊な事件であり、幕末の志士が天皇を担ぎ出し明治維新を起こし、天皇を政治の表舞台に引き出したことは、後の太平洋戦争へ繋がっていく遠因の一つであるなどいう話に及ぶ。

面白かった話は、★中国の皇帝を理解するには「あれは官僚のトップだと考えれば理解しやすい」つまり猛烈ビジネスマンであり、対して日本の天皇は最高の神主である。よって、後醍醐天皇というのは日本史においては異様な存在であると。

★菅原道真は、あの時期に京都の朝廷がにわかに中国風の科挙によって秀才を登用しようと考えたために、平安朝でただひとり、庶民から出て位人臣をきわめる政治家となった。その成立の仕方は輸入のモダニズムによる。また彼は大宰府に流刑されたのではなく、単に左遷された(それもかなり高官として)だけなので、総理大臣が監獄に入ったわけではないから、それほど気の毒がることでもない。

★丸谷がある会合で、「大正天皇は非常に才能のあった人」という話を聞いた時に、「あの方はいろいろ問題があったのでは?」と質問したら、「いや、丸谷君、うんと優秀な人間がああいうつまらない商売をさせられれば、おかしくなるのは当たり前じゃないか」と言われたそうだ。これを読んで、ふと雅子さんの場合はどうなのだろうかと思った。

等々、話がいろんなことに及び、二人の博学にただただ驚き、また楽しく読んだ次第です。

2022年3月15日火曜日

読書 「半日の客 一夜の友」丸谷才一・山崎正和対談集

           半日の客 一夜の友


著者:丸谷才一・山崎正和(対談11選)
出版:文藝春秋

難しそうなタイトルですが、鎌倉時代説話集の「十訓抄」よりの引用とか。
<原文>花の下の半日の客、月の前の一夜の友
<意味>趣味を同じくする人は、たとえわずかな間、語り合っただけの間柄でも、いつまでもなつかしく思われること。
 
本書は、丸谷才一と山崎正和の対談集ですが、驚くべきかな延べ100回もの対談から11選を選び出したのが本書という訳です。(以下、丸谷・山崎と略)
(内容は多岐にわたるので省略します)
この二人はこの対談とは別に更に本1冊になる対談集を何冊か出版しています。

山崎は、初めから安心して対談できる相手は丸谷才一と司馬遼太郎の二人しかいないと言う。
なぜかというと、二人とも極めて演劇的な人間、つまり間のもたせ方や話が途切れたときの繋ぎ方が巧いということのようだ。加えて「聞き上手」という要素が加わり、更に客観条件としては、「知識の共通性と差異性がどちらも非常に多くある」という条件がつくのだろう。
とにかく、二人とも博覧強記というか、汲めども尽きぬ知恵の泉という感じである。

脱線するが、司馬と山崎の対談は数多くあるが、司馬と丸谷の対談は「日本文化史の謎」というテーマで一つだけ見つけた。他にもあるのかも知れないが、数が少ないのは事実です。最終的には「ウマが合うか否か」というのを付け加える必要があると思います。

「対話(対談)の起源について」
西洋人は、集まって優雅な会話を楽しむことが好きな人種だが、彼らは素晴らしい対話集を全く残していない。西洋で対話と呼ばれているものは、日本のインタビューだそうだ。
ゲーテは「人に向かってものをいうのは好きだが、相手に中断されたり反対されるのは実に不愉快だ。だから私は対話はしない」と述べているし、他の文学者も同じだという。
この対談という形式は日本独特のものらしい。

菊池寛が、文藝春秋で座談会という形式を日本に初めてつくったのが始まりだそうだ。
西洋では議論、ディスコースという自己主張の世界と、サロン(純粋な遊戯の世界)に分かれていたのが、日本の場合、たまたまサロンが崩壊しており、座談会が発明されたことにより、両方が結びついて不思議なものができた。

山崎は、座談会という形式が日本に出来たことに功績のあったものが三つあるという。一つは、菊池寛の文藝春秋。二つ目は日本語速記術の発明。そしてもう一つの功績は日本料理(笑)・・・中華料理なら食べることに集中し、フランス料理もしかりと。
それを受けて丸谷が「日本料理というのは、料理がちょぼちょぼ、だらだら出てくる。このリズムが良い」とつなぐ。

100回も座談会をやったのは、このように二人の呼吸がぴたりと合った要素が大きいようだ。