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2022年3月15日火曜日

読書 「半日の客 一夜の友」丸谷才一・山崎正和対談集

           半日の客 一夜の友


著者:丸谷才一・山崎正和(対談11選)
出版:文藝春秋

難しそうなタイトルですが、鎌倉時代説話集の「十訓抄」よりの引用とか。
<原文>花の下の半日の客、月の前の一夜の友
<意味>趣味を同じくする人は、たとえわずかな間、語り合っただけの間柄でも、いつまでもなつかしく思われること。
 
本書は、丸谷才一と山崎正和の対談集ですが、驚くべきかな延べ100回もの対談から11選を選び出したのが本書という訳です。(以下、丸谷・山崎と略)
(内容は多岐にわたるので省略します)
この二人はこの対談とは別に更に本1冊になる対談集を何冊か出版しています。

山崎は、初めから安心して対談できる相手は丸谷才一と司馬遼太郎の二人しかいないと言う。
なぜかというと、二人とも極めて演劇的な人間、つまり間のもたせ方や話が途切れたときの繋ぎ方が巧いということのようだ。加えて「聞き上手」という要素が加わり、更に客観条件としては、「知識の共通性と差異性がどちらも非常に多くある」という条件がつくのだろう。
とにかく、二人とも博覧強記というか、汲めども尽きぬ知恵の泉という感じである。

脱線するが、司馬と山崎の対談は数多くあるが、司馬と丸谷の対談は「日本文化史の謎」というテーマで一つだけ見つけた。他にもあるのかも知れないが、数が少ないのは事実です。最終的には「ウマが合うか否か」というのを付け加える必要があると思います。

「対話(対談)の起源について」
西洋人は、集まって優雅な会話を楽しむことが好きな人種だが、彼らは素晴らしい対話集を全く残していない。西洋で対話と呼ばれているものは、日本のインタビューだそうだ。
ゲーテは「人に向かってものをいうのは好きだが、相手に中断されたり反対されるのは実に不愉快だ。だから私は対話はしない」と述べているし、他の文学者も同じだという。
この対談という形式は日本独特のものらしい。

菊池寛が、文藝春秋で座談会という形式を日本に初めてつくったのが始まりだそうだ。
西洋では議論、ディスコースという自己主張の世界と、サロン(純粋な遊戯の世界)に分かれていたのが、日本の場合、たまたまサロンが崩壊しており、座談会が発明されたことにより、両方が結びついて不思議なものができた。

山崎は、座談会という形式が日本に出来たことに功績のあったものが三つあるという。一つは、菊池寛の文藝春秋。二つ目は日本語速記術の発明。そしてもう一つの功績は日本料理(笑)・・・中華料理なら食べることに集中し、フランス料理もしかりと。
それを受けて丸谷が「日本料理というのは、料理がちょぼちょぼ、だらだら出てくる。このリズムが良い」とつなぐ。

100回も座談会をやったのは、このように二人の呼吸がぴたりと合った要素が大きいようだ。

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