フォロワー

2023年6月11日日曜日

読書 独ソ戦 ー 絶滅戦争の惨禍 (大木毅)

    ウクライナ侵攻に通じる戦争の悲劇


著者:大木毅
発行:岩波新書

ロシアのプーチン大統領は、ウクライナ侵攻を捉えて、この戦争はナチズムから祖国を守る「大祖国戦争」だと訴えています。
われわれにとっては「大祖国戦争」というより、「独ソ戦」という方がイメージが湧きやすいのですが、ロシア人にとっては、われわれには測りがたい独特のイメージがあるようで、本書はそれを解き明かしてくれます。
また近年、ノーベル文学賞の「戦争は女の顔をしていない」や日本では本屋大賞の「同志少女よ、敵を撃て」など、独ソ戦を舞台にした話題の本も多く、独ソ戦とはどんな戦いだったのが知りたくて、この本を手にしました。

<祖国戦争・大祖国戦争とは>


ロシアでは、帝政ロシアが1812年に戦った対ナポレオン戦争を「祖国戦争」、ソ連(当時)がナチス・ドイツと1941年6月~1945年5月に戦った戦争を「大祖国戦争」と呼び、本書は、この対独戦争の詳細を纏めたものです。

<未曾有の惨禍>


まず、驚いたのが、この戦争の人的被害です。
太平洋戦争の日本人の戦死者が、軍民合わせて約300万人と言われているのに対して、独ソ戦では、3000万人強(ロシア:2700万人、ドイツ:350万人)と言われており、日本人の死者の約10倍もの人が死んでいます。

<殲滅戦争>


何故このような悲惨な戦争になったのかを、本書では、ドイツ・ヒトラーの世界観から説き起こし、戦争に至った背景、その後の戦争の経緯、レニングラード、モスクワ、スターリングラードの包囲戦と、包囲戦に敗れたドイツ軍を掃討するソ連軍の戦い。
そして、その独ソ両軍のそれぞれの残虐非道な、殲滅戦争の戦い方を描いています。

戦後、ドイツでは、この戦争をヒトラー個人に罪を負わせていましたが、新しい事実から見えて来た国防軍・ドイツ財界・ドイツ国民の関わり方、そして、冷戦終了後に明らかになったスターリンの指示によるソ連軍の残虐さ等、最新の学説を中心に、この戦争の概要をコンパクトに纏めています。

<全体を読み終えて>


ヨーロッパ各国の世界への帝国主義侵略に、遅れて登場したドイツ。
その流れの中でのヒトラー流の帝国主義観の内容にも驚きました。(日本も他人事ではありませんが・・・)
優秀なゲルマン民族を栄えさせるために、東欧を植民化し、さらに民族的に劣っているとみなしたスラブ民族の住む地域も植民地にしようと、当初から考えていた事には、今さらながら驚きです。
現に併合した東欧から略奪した物資をドイツに還流したので、ドイツ国民は、相対的に裕福な生活を享受していた。ドイツ国民にヒトラーの政策は受け入れられたのでした。

そして「独ソ不可侵条約」は単に対仏戦争のために背後の憂いを絶つために利用したに過ぎず、対ソ戦は予定通りの行動であった。但し兵站の失敗は想定外だった。フランスとソ連は違っていた。
そしてヒトラーは劣悪なスラブ民族を殲滅、つまり皆殺しにしようと本気で考えていたことが、この戦争を悲惨なものにしていった。その攻撃を受けたソ連も、復讐心に燃え、さらに壮絶な殺し合いになっていった。

現在では、ヨーロッパでは、人道主義に反するものは・・・という批判をしているが、もとをただせば、かつての彼らの帝国主義が、このような独ソ戦に繋がっているのも無視できない事実でもあると思います。

本書を読んで、当時のヒトラー及びドイツ軍が、今日のウクライナ侵攻を始めたプーチンと同じような発想の上に立っていた事が、より鮮明に見えてきます。
共に、電撃戦で、短期決戦で終わるであろうと・・・

(追記)
以前から私の中で持っていた疑問は、第1次世界大戦で、帝政ロシアとフランスの東西2正面作戦で失敗したドイツが、第2次世界大戦で、またも同じ東西2正面作戦を取ったのが、不思議だったのですが、本書でその説明もされていました。内容は省略。

2023年6月4日日曜日

読書 誰が国家を殺すのか (塩野七生)

    小気味いい辛口エッセイが炸裂


著者:塩野七生
出版:文春新書

昭和41年(1966年)に欧米視察に行った中央公論社のデスク粕谷一希が、ローマを案内してもらったのが塩野七生だった。彼女は当時イタリアに遊学して、「婦人公論」にイタリアのモード記事などを書いていた。
この時、粕谷が彼女に「ルネサンスの女」を書いてみないかと打診したのが、作家塩野七生の誕生のきっかけだったそうだ。(「作家が死ぬと時代が変わる:粕谷一希」より)

その後、彼女は、“私はイタリアの司馬遼太郎になる”と、「ローマ人の物語」等イタリアの歴史物語を書きまくっている。(「ローマ人の物語」は、一般には歴史書と思われているが、正確には、タイトルのように歴史物語(小説?)と言った方が正しい気がします)

その彼女も御年85歳になっても、未だに気炎を発し続けているのは驚きです。
本書は、文芸春秋の巻頭随筆2017年10月~2022年1月まで書いたものを纏めたもので、辛口のエッセイが小気味いい。

多くのエッセイが掲載されていますが、以下に数例を揚げてみました。

★「五十年前の三十代が考えていたこと」

国際政治学者だった高坂正堯の「世界地図の中で考える」を読んでの感想の項。
高坂は、この本のあとがきで「われわれは前例のない激流の中に置かれている。通信・運輸の発達のおかげで世界がひとつになり、世界のどの隅でおこったことでも、われわれに大きな影響を与えるようになった。そして歴史の歩みは異常なまでに早められた。次々に技術革新がおこり、少し前までは考えられもしなかったことが可能になる。われわれは新しい技術に適応するための苦しい努力をつづけなければならないのである。ややもすると、われわれは激流に足をとられそうになる。皮肉なことにこうした状況はかつて多くの人の夢であった。そして実現した願望が今やわれわれに問題を与えている。そのような状況を捉えるためには、事実を見つめなければならない。とくに文明について早急な価値判断を避けて、その恩恵と共に害悪を見つめることが必要である」
「私はこの書物で、文明をそのようなものとして捉え、そのような文明の波が地球の上でどのような模様を作り出しているかを描こうとした。現代の世界を捉えるひとつの試みとして世に問いたいと思う」

これを受けて、塩野は、この本が1968年つまり今から50年前に、34歳になる人間によって書かれたことを考えて欲しいという。
そして高坂はこの後、首相諮問機関など国政への積極的な関与を行っていった。当時敗戦から20年しか経っておらず、いまだ観念的な平和論が支配的で、当時の進歩的文化人と呼ばれる人々からは、「保守反動」と呼ばれ、京都大学では「打倒高坂」という看板まで立った。しかし塩野はいう、「高坂の頭の中を占めていたのは、日本が再び敗戦国にならないためには何をすべきか」であった。

塩野はいう、「高坂のいう安全保障とは軍事に留まらず、文明にも視野を広げてこそ明確に見えてくるものという考えに共鳴する」と。
そしてそれから50年後の今の三十代は、この一書(世界地図の中で考える)をどう読むだろうかと考えてしまうと、若い世代を憂う。

★「民主政が取り扱い注意と思う理由」

現代のイタリア政治のポピュリズムに関しての批判に関しての項。
塩野は「ポピュリズム」という言葉より、昔の日本人が訳した「衆愚政」の方が的を得ているという。愚かになったのは大衆だけでなく、指導者たちまでが愚かになったのだからと。大衆の怒りと不安に駆られた意見に、迎合ばかりする政党が政治運営する今のイタリアを憂う。
「なぜ二千年昔に建てた橋は落ちないのに、五十年前に作った橋は落ちるのか」と。
行政が機能せず税金だけが高い現代イタリア。財源がないのではなく、財源を利用していないだけなのだという。ポピュリズム同士の連合政権、つまり、衆愚政治に問題があるので、すぐに票に結びつかない橋のメンテナンスには金が付かないと現代のイタリア政治への強烈な批判。

★「民意って何?」

政治家か自ら判断しないで、国民投票に結果をゆだね、混乱しているイギリスのEU離脱問題を批判する。
「票を投ずる人の三分の一はそれに賛成の人。他の三分の一は反対の人。残りの三分の一は、テーマの賛否ではなく、提案した人への好悪の感情で投票する」という例を引き、国民投票の結果は世論調査のようなもので、政治家が自ら判断しない政治は、代議制民主主義を放棄しているという。
「民意」こそが真の正統性を持つという幻想からいい加減に卒業してはどうか。民主政を守るためにも。
と、辛口の批判が続く。

2023年6月1日木曜日

読書 田辺聖子の古典まんだら(下)

  古典はスキャンダラスで、セクハラがいっぱい


著者:田辺聖子
出版:新潮文庫

下巻は、「平家物語」から「江戸文学」までの古典文学ナビのような本だが、その本の概略を説明した後、ポイントとなる箇所を田辺聖子流に面白おかしく解釈しているのが、滅茶苦茶に面白い。やはり一流作家の表現力は、一般の古典解釈と一味違う面白さがあります。
面白かったのは「とはずがたり」と「徒然草」。

「とはずがたり」

後深草院に仕えた「二条」という女性が、晩年になって14歳~49歳までの人生を振り返った日記文学なのですが、皇族・貴族・高僧といった身分の高い男性との恋愛(肉体?)関係を赤裸々に描がいており、内容がショッキングだったので門外不出扱いになっていたようで、昭和15年に宮内省図書寮で発見されるまで、その存在は知られてなかったようです。
今なら「週刊文春」か「女性セブン」に「私の男性遍歴」として掲載されれば、連日報道されるようなスキャンダラスな内容なのには驚きです。
 
時代は鎌倉時代の中期なのですが、京都の上流階級では、源氏物語さながらの恋愛模様が繰り広げられており、本人たちも自分たちの行為を、源氏物語に譬えているのには驚きです。著者の「二条」はこれほど多くの男性を魅了したのは、美貌とか知性というより、魔性の女だったのでしょうか?

「徒然草」

若かりし頃、高校の古文の教科書で読んで、こんなにつまらないものが・・・と思っていましたが、田辺聖子流に解釈されると、面白おかしく、こんな授業だったらもっと真面目に勉強しただろうなと思います。
 
特に女性に関しての記載では、世捨て人とは思えない「男の目」としての女性観が出てきたり、反対に女性蔑視の記述も書きたい放題です。
 
「どんな女でも明け暮れ見ていたら、つまらなくなる。女にとっても中途半端だろう。時々通って泊まるというのが、仲が長続きするだろう」
とどめは、「女というものはひがむものだ。我執が強い。強欲のうえ、理非曲解のわきまえがないし・・・(略)・・・聞かれもしないことをペラペラしゃべってしまう。素直でなく、愚かなのが女である・・・(略)・・・恋という迷妄に囚われている時だけは、女も優美で、価値があるように思える」
さすがに田辺聖子もこの記述には頭にきたのか、「この言葉をそのまま男に返してやりたいような気がします」と・・・。