「学校では教えてくれない日本文学史」
評価:★★★★☆著者:清水義範
出版:PHP文庫
原題は「身もフタもない日本文学史」を文庫化にあたって今のタイトルに改題。改題しない方が面白いと思うのだが・・・
日本文学史をこの本のように学校の授業で教えたら、子供たちももっと日本文学や古典に興味を持つのではないかと思うほど、的を得て、かつ面白い。
つまり、この本を読むと、日本文学の特徴は何かとか、日本文学の値打ちはどんなところにあるのかなどのことが、一目瞭然となる。
文部省の推薦書にでもすれば良いと思うが、文部省にはそんな器量はないだろうなぁ。
本書の見出しを見るだけでもポイントが掴めるので、以下に掲げる。
第一章:「古事記」はただものではない
第二章:「源氏物語」のどこが奇跡か
第三章:短歌のやりとりはメールである
第四章:エッセイは自慢話だ
第五章:「平家物語」と「太平記」
第六章:紀行文学は悪口文学
第七章:西鶴と近松
第八章:「浮世風呂」はケータイ小説
第九章:漱石の文章は英語力のたまもの
第十章:みんな自分にしか興味がない
第十一章:戦後文学は百花繚乱
第十二章:エンターテイメントも文学の華
上記の見出しで何となく内容が分かると思うが、例えば「第六章:紀行文学は悪口文学」を読むと、「紀貫之の『土佐日記』以来、田舎の悪口を言うのが紀行文学の型なのである。紀行文学は根本的に、とんでもない所に来てしまった、という嘆きで成り立っているのだ・・・(略)・・・旅人だからこそ田舎のつまらなさが見え、そのつまらなさを語れば語るほど、そんなところに来てしまった自分の芸術的価値が高まるのだ。ひどい所へ来ているからこそ味わいが深いのである。
そして芭蕉もまたその伝統をふまえて、東北の悪口を書く。(奥の細道の)<尿前の関>の段で、泊めてもらったところに、蚤はいるは虱はいるわ、馬も一緒にいるような部屋で、馬は尿をして難儀したと、尿前の関がとんでもない田舎だったことを嬉々として書く」
というような内容が各章に散りばめられており、日本文学の古事記・源氏物語から現代文学まで一気に読み通して、理解した気分になること請け合いである。