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2022年10月26日水曜日

街道を撮りにゆく 2022八甲田山の黄葉③(田代平湿原)

     八甲田山麓の隠れたスポット


青森3日目は、八甲田山を挟んで城ヶ倉渓谷や酸ヶ湯温泉と反対側の「田代平湿原」へ行きました。時間の関係で田代平湿原の入り口部分だけになり、「グダリ沼」は断念しました。

青森市内から行く途中に「雪中行軍遭難碑」があります。
八甲田温泉(現在休業中)近くに、田代平湿原の入り口があり、そこから木道が続きます。
八甲田山の南側(城ヶ倉や酸ヶ湯温泉等)のブナの樹海とは、また違った雰囲気が味わえます。
以下、写真をご覧下さい。

「雪中行軍遭難碑」
新田次郎の小説「八甲田山死の彷徨」で有名です。明治35年、八甲田山で起きた陸軍の大規模遭難事件。199名の死者が出た悲劇を小説化。但し完全なノンフィクションではないという説もある。高倉健、北大路欣也主演の映画原作としても知られる。



湿原の入り口近くには八甲田山麓では珍しくシラカバが多くあります。
湿原の水は抜けるような透明度です。

湿原から八甲田山を望む
中央が八甲田大岳、左が高田大岳
湖沼群の一つ









ヒツジ草の紅葉

紅葉の奥に薄く雪を被った八甲田大岳




2022年10月24日月曜日

街道を撮りにゆく 2022八甲田山の黄葉②(蔦沼・地獄沼周辺)

    雨のブナからの贈り物・・・樹幹流


この日は曇りから雨、しかも霙(みぞれ)、そして夕方には晴れと目まぐるしく変わりました。ブナには曇りか雨が似合います。
以下、写真をご覧ください。(写真をクリックすると拡大します)

池には雨の雫の輪が広がります。
美しいブナ林は、雨の日にしか見られない姿があります。

葉っぱが受けた雨水が枝を伝い、幹、根本へと流れ降りてきます。


雨が降るブナの森を歩いた人だけが見ることが出来る自然の贈り物・・・それが「樹幹流」(じゅかんりゅう)














足もとには「森の神輿(みこし)

落葉を「苔の子供達」が協力して、みんなで担ぎます。









夕方になり、突然太陽が・・・


ブナが真っ赤に燃え上がります。
自然の摩訶不思議!!!

街道を撮りにゆく 2022八甲田山の黄葉①(城ヶ倉渓谷)

      城ヶ倉渓谷は黄葉真っ盛り


久々に八甲田山へやってきました。前にここの黄葉を見たのは、まだポジフィルムの時代だったので、かなり前になります。
東北の紅葉はブナが中心なので「紅葉」ではなく「黄葉」になります。
初めて東北の黄葉を見た時は全山を黄葉が覆いつくし、その迫力に圧倒され、かつ驚かされました。
以下、写真をご覧下さい。(写真をクリックすると拡大します)

城ヶ倉大橋









城ヶ倉大橋から見た八甲田山側
城ヶ倉大橋から見た岩木山方面
ブナの樹海が地平線まで続きます
ブナの森

黄葉も色とりどりで、麓に近いほど緑が多く、高度を上げるにしたがって黄色から段々と色が濃くなってきます

ブナの大樹











虹色の衣装を着たブナ

2022年10月7日金曜日

読書 「歴史学者という病」 本郷和人

著者:本郷和人
出版:講談社現代新書

著者は、磯田道史と同様によくTVに出演する東大史料編纂所の教授で、東大教授らしからぬヌーボーとした雰囲気で人気があるようだ。
「歴史学者という病」という仰々しいタイトルや、表紙の深刻そうな著者の顔とは裏腹に比較的軽い感じで読み進められます。

内容は著者の半生記とそれに絡めて、東大(というか日本の)歴史学の流れが述べられている。その中でのメインテーマは、「歴史を研究するということの意味について考える」という硬派のものであるが、そこへ時おり、大学院時代に奥さんに惚れ込んだ話や、現在の自分の上司が奥さんという自虐ネタを織り込んだりして、硬軟織り交ぜ内容を柔らかくもみほぐして読みやすい内容に仕上げている。

日本では、飛鳥・奈良・平安の3時代にかけ、時の律令政府の手によって「日本書紀(720年)」を始め、6つの国史が編纂・作成された。
その後の日本ではずっと国史の編纂が行われなかった。具体的には、宇多天皇が即位する887年から、幕末の1867年までを対象とする約980年間の国史はなく、明治34年以降、東大ではその間の日本の歴史をまとめようという壮大なプロジェクトが行われている。それを行っているのが、著者の所属する東大史料編纂所である。

その東大の歴史編纂の中で、時代により歴史の見方の変遷があり、著者は明治以降の歴史学の流れを四つの世代に分けている。  
第0世代 皇国史観の歴史学  
第一世代 マルクス主義史観の歴史学  
第二世代 社会史「四人組」の時代(網野善彦・石井進・笠松宏至・勝俣鎭夫)
第三世代 現在
そして第三世代の現代では、「実証主義」オンリーで、思考停止になっているとの批判が渦巻いている。

また現在の学者に必要な資質とは何かというと、研究者としての実力はもちろんだが、それだけでは駄目だめで、必要なのは、文部科学省を始めとして各方面から「競争的研究資金を得る」能力だという。
これは歴史学だけの問題ではなく、どの分野の研究者にも関係することだろうけど、歴史学は、古文書を隈なく調べ「正解がない」地道な学問で、成果の見えにくさはやはりあるのだろう。