池内流の究極のエッセイで日本文学の百年を読む
出版:岩波新書
カフカ全集の翻訳を完成させたくて、東大教授を辞めたドイツ文学者の池内紀だが、明治以降の日本文学にこれほど精通しているとは舌を巻いてしまう。
北海道新聞に4年余りに渡って連載したものを纏めたのが本書である。
森鴎外・夏目漱石から寺山修司・村上春樹までの51人の作家についての「フシギ」を秘めた作品に、少し切口を変えた視点で切り込む池内流の解説が何とも言えない魅力です。
「(子規は)これほど恵まれない状況のなかで、これほどゆたかな文業を生み出したケースは、世界の文学にも類がないのではなかろうか・・・(略)・・・この子規を支えたのは、いかにも明治の男らしい強靭な精神力である。それに違いないが、うしろにひっそりと『明治の女』がいた。母は台所にいて、薬をとりに医者へ走った。妹は病床にいて、墨をすり、墨を含ませた筆を渡し、書き物板を受け止めていた。モルヒネが切れて病人が苦痛にうめくとき、二人とも夜っぴてからだをさすった。わずかな眠りが訪れると、目くばせし合って退いた・・・(略)・・・明治35年9月、ひっそりと息をひきとった。翌朝、遺体をととのえるために、わが子の骸をかかえ起こした母は、「さア、も一遍痛いというてお見」と、強い口調で話しかけたそうだ」
「高村光太郎の贖罪」
「『私の好きな恋愛詩集』と問われたら、高村光太郎の『智恵子抄』をあげる人が少なくないのではあるまいか。
あれが阿多多羅山
あの光るのが阿武隈川
有名な『樹下の二人』を暗記したように覚えている人もいるだろう。冒頭が詩のリフレーンのようにくり返されて、しみるように記憶に入ってくる」
ひそかなライバルのせいで、なおのこと急速に恋愛が進行した。詩篇がきちんと恋の進展を報告していく。『郊外の人に』は、性愛すれすれにいる二人であり、つづく『人に』では性愛ひと色に染められた。
智恵子に統合失調症の症状があらわれるのは、結婚して17年後のこと。
そして死。
「深沢七郎と人間喜劇」
「楢山節考」は中央公論社の小説新人賞を受賞した。内容は、山深い村の姥捨伝説を踏まえている。
主人公「おりん」は69歳。20年前に亭主をなくした。「おりん」の一人息子が辰平。母は楢山行きの気がまえ、準備に怠りない。息子は母を思いやり、気づかいしつつ、なるたけ先にのばそうとする。
そんな二人と対比させるようにして、隣家の老父「又やん」と倅が語られている。いやがって逃げ回るのを、倅はとうとう芋俵のように縛りあげて、山へ捨てに行く。そして谷に捨てようとしたとき、「又やん」はわずかに自由になる指で必死に倅の襟をつかんでいた・・・「おりん」親子が山へ行く時は、そうではなかった・・・
「又やん、おりんのどちらも場合も、(小説を読むと)まるで舞台を見るかのようだ。深沢七郎は芝居としての小説を書いたに違いない。わが国の各地に伝わる棄老伝説を借りて、歌入りの楽しいお芝居をつくった。すぐにでも使えるように、応募作にはきちんと自作の楽譜をつけた。だが『楢山節考』は作者の意図とはまるでちがう情緒的な読み方をされた。深刻な小説としてである。老人が山に捨てられる。不要になったものは山のかなたへ捨ててくる。深沢七郎はそれを当然至極のことと考えていたのだろう。この人は徹底して理性的なリアリストであって、すべてを人間喜劇とみる乾いた目を持っていた。
だからこそ半世紀のちを正確に予告することができたのだろう。いまや無数の「おりん・辰平」が生まれてくる。「楢山」ではなく、病院、施設、あるいはシャレたカタカナ名で、個室、完全介護をうたっている。ときには心ならずも又やん親子になりかねない。
「一つ、山から帰るときは必ずうしろをふり向かぬこと」
別れの手を振ってから、家族一同マイカーに乗りこんで、一目散にわが家へと帰っていく。その作法まで小説はきちんと書きとめている」