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2022年1月19日水曜日

読書 「文学フシギ帖」池内紀

  池内流の究極のエッセイで日本文学の百年を読む


著者:池内紀
出版:岩波新書

カフカ全集の翻訳を完成させたくて、東大教授を辞めたドイツ文学者の池内紀だが、明治以降の日本文学にこれほど精通しているとは舌を巻いてしまう。
北海道新聞に4年余りに渡って連載したものを纏めたのが本書である。

森鴎外・夏目漱石から寺山修司・村上春樹までの51人の作家についての「フシギ」を秘めた作品に、少し切口を変えた視点で切り込む池内流の解説が何とも言えない魅力です。



本文の一部を以下に抜粋(青地部分)してみた。
「子規と明治の女」
(子規は)これほど恵まれない状況のなかで、これほどゆたかな文業を生み出したケースは、世界の文学にも類がないのではなかろうか・・・(略)・・・この子規を支えたのは、いかにも明治の男らしい強靭な精神力である。それに違いないが、うしろにひっそりと『明治の女』がいた。母は台所にいて、薬をとりに医者へ走った。妹は病床にいて、墨をすり、墨を含ませた筆を渡し、書き物板を受け止めていた。モルヒネが切れて病人が苦痛にうめくとき、二人とも夜っぴてからだをさすった。わずかな眠りが訪れると、目くばせし合って退いた・・・(略)・・・明治35年9月、ひっそりと息をひきとった。翌朝、遺体をととのえるために、わが子の骸をかかえ起こした母は、「さア、も一遍痛いというてお見」と、強い口調で話しかけたそうだ」

「高村光太郎の贖罪」
「『私の好きな恋愛詩集』と問われたら、高村光太郎の『智恵子抄』をあげる人が少なくないのではあるまいか。
  あれが阿多多羅山
  あの光るのが阿武隈川
有名な『樹下の二人』を暗記したように覚えている人もいるだろう。冒頭が詩のリフレーンのようにくり返されて、しみるように記憶に入ってくる」

光太郎は千葉県犬吠埼に写生にいった時に、智恵子と知り合った。やがて智恵子は、親の手ですすめられている結婚のことを、光太郎に話したのだろう。
ひそかなライバルのせいで、なおのこと急速に恋愛が進行した。詩篇がきちんと恋の進展を報告していく。『郊外の人に』は、性愛すれすれにいる二人であり、つづく『人に』では性愛ひと色に染められた。
智恵子に統合失調症の症状があらわれるのは、結婚して17年後のこと。

「それはまず『人生の遠視』と題した五行の詩で告げられた。
  足もとから鳥がたつ 
  自分の妻が狂気する 
  自分の着物がぼろになる 
  もう人間であることをやめた智恵子
  もう天然の向こうへ行ってしまった智恵子」
そして死。
「詩集『智恵子抄』の刊行は昭和16年のこと。光太郎58歳。この永遠の恋愛詩集は初老の男によってまとめられた。それにしても奇妙なことである。詩人からすると詩集はすべて原理的に『抄』であるのに、わざわざタイトルにまでつけたのだろう。高村光太郎と親しかった詩人の草野心平が、智恵子の『凶暴性を発揮した場合』の詩がないのを惜しんでいる。もしそれが一篇でもあれば、『さらに残酷で凄烈な美』を加えただろうというのだ・・・(略)・・・光太郎は自分たちの日常に狂気をもたらした何かのあることをよく知っていたのではあるまいか。その贖罪の意識が哀しく美しいアイドル的智恵子をつくり上げた。創造にたずさわる者の誠実さから、省かれたものを明示する『抄』の一語をタイトルに付加したのではないだろうか」

「深沢七郎と人間喜劇」
「楢山節考」は中央公論社の小説新人賞を受賞した。内容は、山深い村の姥捨伝説を踏まえている。
主人公「おりん」は69歳。20年前に亭主をなくした。「おりん」の一人息子が辰平。母は楢山行きの気がまえ、準備に怠りない。息子は母を思いやり、気づかいしつつ、なるたけ先にのばそうとする。
そんな二人と対比させるようにして、隣家の老父「又やん」と倅が語られている。いやがって逃げ回るのを、倅はとうとう芋俵のように縛りあげて、山へ捨てに行く。そして谷に捨てようとしたとき、「又やん」はわずかに自由になる指で必死に倅の襟をつかんでいた・・・「おりん」親子が山へ行く時は、そうではなかった・・・
「又やん、おりんのどちらも場合も、(小説を読むと)まるで舞台を見るかのようだ。深沢七郎は芝居としての小説を書いたに違いない。わが国の各地に伝わる棄老伝説を借りて、歌入りの楽しいお芝居をつくった。すぐにでも使えるように、応募作にはきちんと自作の楽譜をつけた。だが『楢山節考』は作者の意図とはまるでちがう情緒的な読み方をされた。深刻な小説としてである。老人が山に捨てられる。不要になったものは山のかなたへ捨ててくる。深沢七郎はそれを当然至極のことと考えていたのだろう。この人は徹底して理性的なリアリストであって、すべてを人間喜劇とみる乾いた目を持っていた。
だからこそ半世紀のちを正確に予告することができたのだろう。いまや無数の「おりん・辰平」が生まれてくる。「楢山」ではなく、病院、施設、あるいはシャレたカタカナ名で、個室、完全介護をうたっている。ときには心ならずも又やん親子になりかねない。
「一つ、山から帰るときは必ずうしろをふり向かぬこと」
別れの手を振ってから、家族一同マイカーに乗りこんで、一目散にわが家へと帰っていく。その作法まで小説はきちんと書きとめている」


著者が2019年に没したのは、かえすがえす残念でたまらない。

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