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2026年5月18日月曜日

読書 「夏目家の福猫」半藤末利子

          夏 目 家 の 福 猫

著者:半藤末利子
出版:新潮文庫

著者は、夏目漱石の孫(漱石の長女・筆子と作家・松岡譲の次女)にあたる。

家族ならではの視点で夏目家の日常や漱石の思い出を描いた短編のエッセイ集ですが、こと漱石に関しては、著者は漱石没後に生まれたので、母・筆子から聞いた話が中心となっています。

〈猫について〉

冒頭の「漱石夫人は占い好き」には、「吾輩は猫である」のモデルになった猫の話から始まる。これは原作(猫)にも書かれている通りの野良猫であったのが、漱石の「この家が気に言っているのだろうだから、飼ってやればいいじゃないか」の一言で飼うようになったのだが、響子夫人は大の猫嫌い。ところが出入りのあんま師が、その猫を見て「足の爪まで黒い珍しい福猫でございます」と言った事から、占い好きの響子夫人の態度が一変し、それまでの猫への虐待を改めて、好待遇になったそうだ。 

この箇所を読んで私の本棚の隅に「吾輩は猫である」があったので、20ページほど読み返してみた。最初に読んだのが中学生くらいだったので、殆ど記憶に残っていなかったが、驚いたことが二つ。

   原文が今の文章と全く変わらず、なんの抵抗もなくスラスラ読める事への驚き。
明治になって文章について「言文一致運動」があったが、二葉亭四迷以降、各作家は独自にその問題を試行錯誤しながら苦しんでいたが、その変遷の結果、漱石は「言文一致運動」における完成者と言われているが、成程と合点がいった次第です。

   最初に読んだ時のおぼろげな印象では、面白かったように思っていたが、歳を経た今読んでみると「苦味」がある。若い時に読んだ時と、現在読んだ時の変化・・・漱石文学の深みと言うべきか。

〈漱石の家庭内暴力〉

イギリスに留学した漱石が帰国した時は別人になっていた。ロンドンから文部省に「夏目発狂す」という電報が舞い込むほどの変化を家族は知らなかった。

漱石は、現代でいう家庭内暴力(DV)を振るうようになっていた。しかも発作が収まれば本人は全く自覚していない。世間では響子は「ソクラテスの妻」と並び称されるほどの悪妻として通っているが、母(筆子)に言わせれば、響子だから漱石とやって行けたのだと言う。また、常軌を逸した行動や傲慢さを漱石という人は微塵も有していない。彼を変えたのは周期的に襲ってくる「神経衰弱」という病気であって、生の漱石は稀にみる心の温かい物わかりの良い優しい人だったと母(筆子)はよく言っていた。
※漱石は、イギリス留学中の孤独や極度のストレスから、強い不安、不眠、気分の落ち込みに悩まされ、帰国後は、「誰かに監視されている」「毒を盛られる」といった強い被害妄想や幻聴に苦しむようになり、現代の精神医学では統合失調症や躁うつ病(双極性障害)の可能性も指摘されています。

明治40年に朝日新聞社に入社して本格的な作家活動を始め、文学という形で内面の葛藤を吐き出せるようになってからは、この激しい発作や暴力は次第に落ち着いていったそうです。

〈半藤末利子氏の批判精神〉

筆者半藤末利子氏の夫・半藤一利氏は、文藝春秋社の編集長や役員も務め、作家としても有名な人物だが、著者は「うちの宿六」とか、「テレビに夫の長い顔が登場する」とか手厳しい。
ただ、彼女の批判精神は「一歩引いて冷ややかに、かつユーモラスに観察する」という、極めてさっぱりとした風通しの良い性格が見て取れ、晴らしいエッセイストと言えるでしょう。この批判精神は、流石に漱石の孫です。

2026年5月10日日曜日

読書 「明治維新の意味」北岡伸一

                躍 動 す る 明 治


著者:北岡伸一
出版:新潮選書

圧倒的な重厚感がありながら、かつ読みやすい本です。
日本外交史の第一人者にして、元国連大使、現在は国際協力機構(JICA)の理事長を務める著者の渾身の力作である。
逆に言えば、明治維新に関しての専門家ではないが、広い視野で明治維新の世界史的意味を解き明かしている。単に明治政府の国造りの困難さだけでなく、その前の時代である江戸時代の遺産から、当時の世界およびアジア情勢まで目配りが行き届いている。
明治維新というと「富国強兵」の印象が強いが、維新の本質は民主化であり、自由化であり、人材登用革命であると著者は言う。こうした迅速な改革が実現した要因として、著者は大久保利通、伊藤博文、福沢諭吉らに注目する。

日本の学界では、昭和の初め頃は、正当な歴史学は明治のような近い過去をテーマとして扱わないという考えかた強く、近代の研究に消極的だった。その間に、マルクス主義経済学の間で研究が進み、主流の「講座派」は「絶対主義の確立」と捉え、明治維新に否定的な評価だった。(学会の一部では「マルクス主義のカテゴリーに当てはまらない民族革命」という意見もあった)
(余談)上記の部分を読んで、司馬遼太郎の「坂の上の雲」は、当時では珍しく明治時代を肯定的に描いたため、多くの論争や批判が噴出したのを思い出します。

江戸時代の価値観が崩壊するなかで、短期間に東京遷都、版籍奉還から廃藩置県、廃刀禁止令や武士に変わる徴兵制度、地租改正、通貨の発行、鉄道の敷設、義務教育、その後の産業育成、憲法の発布と帝国議会の開設と矢継ぎ早に実施している。

その中で、大久保利通の存在は大きく、一部では大久保独裁といわれているが、日本の将来ビジョンを持ち、明治11年に暗殺されるまで、日本の抱えた重要な課題を背負って、殆ど一人で実践していった貴重な存在であった。西郷隆盛には将来ビジョンがなく、木戸孝允は理想主義者であった。大久保のように泥をかぶってまでやり抜く剛毅な精神がなかったなら、東京遷都~征韓論~西南戦争に至る難局を切り抜けられなかったであろうと著者は言う。
東京遷都は、 江戸は100万人の世界有数の大都市であり、将軍の居城(江戸城)がそのまま利用できるなど、インフラが整備されているという理由もあるが、大久保は、天皇を取り巻く公家は保守色が強く、明治になっても極一部を除き攘夷主義者が多数を占めていたので、天皇をそういう環境から切り離したかったというのには驚かされる。

面白いのは、この本の前半部分を読んでいて、あたかも司馬遼太郎の「翔ぶが如く」を読んでいるような錯覚に陥った。また大久保・西郷・木戸への評価も、見事に一致している。
政治学者と作家というアプローチの違いはあれ、解釈がシンクロしているのには驚く。「近代化のリアリズム」という共通の評価軸がそうさせたのかも知れない。

そして様々な経緯を経て、憲法発布や帝国議会の開設と進むが、日露戦争後に軍の独立性が進み、その後昭和になり、政党政治が難局処理に失敗した時、軍部が政治に進出していくのであった。またかつて自由民権運動を支えたメディアの変質もあり満州事変の勃発以後、大新聞は一斉にこれを賛美し報道した。
著者は、明治維新は確かに民主化であったが、民主化の行き着くところは大衆化であったと言う。リーダーも徐々に多数を取る事に勝れたリーダーや組織に利益をもたらすリーダーが、見識にかかわらず、組織を率いる事になった。
日露戦争以後、様々な集団において制度化、合理化が進み、それとともに、リーダーの凡庸化、平凡化が進んだと見ている。

著者は「あとがき」で述べている。
「明治維新を再検討してみて、もっとも印象的なのは、日本が直面した最も重要な課題に、もっとも優れた才能が全力で取り組んでいたという事である。国際協力機構(JICA)の理事長として、世界の途上国と向き合う時も、その国が直面する最も重大な課題に、もっとも優れた才能が全力で取り組んでいるかどうかが決定的に重要だと痛感している」