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2021年9月21日火曜日

写真 彼岸花2021

   元荒川沿いに咲く彼岸花と蔓のコラボ



今年は新型コロナ感染拡大防止のため、埼玉県日高市の「曼殊沙華の里・巾着田」の彼岸花は開花前に全て刈り取られるとのニュースを聞き、自宅近くの元荒川での彼岸花の撮影です。

元荒川沿いの彼岸花は例年より開花が早く、お彼岸前に花は終わりそうです。
何故こんなに早く咲いたのかと疑問に思い、ネットで調べてみました。
彼岸花は、夏に花芽を作り始め、最低気温が20℃まで下がってくると、一気に茎が伸び開花するとのことでした。
確かに、今年の夏は例年になく多雨で涼しく、また厳しい残暑もなく終わりました・・・彼岸花の早い開花に納得。

元荒川の堤では、名前の知らない蔓性の植物が大繁殖して、彼岸花に絡みついていましたので、今年はこの蔓性植物と彼岸花のコラボにしました。








花のやや下からの撮影
魚眼レンズなので、花の上を覆っている木まで入ります














しなやかに伸びる蔓










 緩やかな螺旋状の蔓








 時には、鞭のように花弁を絡めとる







 鋼鉄のバネのような蔓









嫌がるヒガンバナを絡めとるような蔓















                                   


2021年9月11日土曜日

読書 「コブのない駱駝」きたやまおさむ

    北山修によるきたやまおさむの「心」の分析


著者:きたやまおさむ
出版:岩波現代文庫

著者については、今の若い人は知らない人が多いと思うが、70年代のフォークブームの先駆けとしての「ザ・フォーク・クルセダーズ(以下フォークル)」のメンバーであり、作詞家、精神科医・精神分析家、そして九州大学の名誉教授であり、現在は白鴎大学の学長でもある。

著者は、フォーマル(精神科医・大学関係の仕事)では「北山修」、プライベート(作詞家、ミュージシャン、ラジオのDJ等)の場合は「きたやまおさむ」と、使い分けている。

「はじめに」で、《北山修によるきたやまおさむの「心」の分析》と書いているように、幼少期から現在に至る自身の精神分析を行いながらの自叙伝となっている。

《戦争が終わって僕らが生まれた》⇦著者が作詞した「戦争を知らない子供たち」の歌詞
1946年(昭和21年)生まれの著者は、戦後すぐの暗い混沌とした時代を過ごし、音楽に救いを求めた思春期。

《天国から追い出されて》⇦「帰って来たヨッパライ」の歌詞
学生時代の加藤和彦との出会いとアチュアバンド「フォークル」の結成・解散。
そして解散記念レコード「帰って来たヨッパライ」の奇跡的なヒットで、解散したのに再結成し、1967年に1年限りのプロデビュー。
その渦中で翻弄され、熱狂に応えるのか、逃げ出すのかという矛盾に引き裂かれ、状況を受け止められない苦しみと空虚感。そして逃げるように解散。

《私とは誰なのか?》-精神分析学との出会い
フォークル解散後、京都府立医科大学に復学したが、完全に芸能界から撤退した訳ではなく、作詞活動やラジオのDJの仕事は「週に一度の芸能人」として続けていた。その後京都府立医科大学、札幌医科大学を経てロンドンに留学し、そこで精神医学に本格的に出会い、医師として人生の物語を言葉で紡ぎだしながら、その人生を生きている精神分析家の道に歩みだすことになる。

《潔く去っていかない》
友人の加藤和彦の自死を経験し、自身の生き方として「太く短く生きることが美しいとされる価値観が根強くありますが、たとえみっともない、恰好悪いといわれようとも、長く細く、ダラダラと生きていく。そうした生き方だっていいのではないでしょうか。玉手箱をひらいた後も、浦島太郎は生きるわけです」と著者は述べる。
・・・こういう生き方は、著者のようにかなり強い意志がないと難しいかも知れません。

「フォークル」の活動は1年間だけでしたが、深夜放送から流れてくるフォークルのあの熱かった時代の歌は、私の中で今も流れていますので、この本は面白く読めました。
ただ「フォークル」のあの熱かった時代を知らない世代の人が読むには、興味が湧かないかもしれませんし、また後半は精神分析の話が多いので、少し硬い本と感じるかも知れません。(フロイトやユングの精神分析に興味がある人なら少しは興味が湧くかも)

※「ザ・フォーク・クルセダーズ」について
《Wikipediaより》
「商業主義的」なカレッジ・フォークを中心にしていたフォークソングが大きく変化したのは、京都の学生のフォーク・バンドであるザ・フォーク・クルセダーズの登場であった。ザ・フォーク・クルセダーズは、1967年に京都で開催された第1回フォークキャンプに参加し、自主的な音楽活動の中心的な役割を果たしていた。ザ・フォーク・クルセダーズがアマチュア時代に自主制作したアルバム『ハレンチ』に収録されていた「イムジン河」が京都、「帰って来たヨッパライ」が神戸のラジオで放送されたことが話題となり、メジャーデビューし、大ヒットとなる。
これまでのフォークソングと違ったメッセージ性の強い、アンダーグラウンドな音楽の登場に人々は驚きブームとなった。


(参考)「ザ・フォーク・クルセダーズ」は、下記のように分類されます。
我々がマスコミを通じて熱狂したのは、主に「第2次フォークル」の時です。
第1次フォークル:(1965~1967)アマチュア時代
第2次フォークル:(1967~1968)1年間のプロとしての時代
第3次フォークル:(2002)期間限定結成。11月17日に一度きりのNHKホールでのコンサートとレコード発売をして12月31日に解散した。
第4次フォークル?:2013年に、きたやまおさむと坂崎幸之助が加藤和彦の未発表の曲を入れた 「若い加藤和彦のように」を「ザ・フォーク・クルセダーズ」として制作・発売。