出版:文春文庫
上野の国立西洋美術館を造るきっかけとなった「松方コレクション」にまつわる秘話。
本著の最後に「この物語は史実に基づくフィクションです」という断りがあるが、松方幸次郎のアドバイザーとして、タブロー(絵画)の買い付けに同行した主人公の「田代雄一」を除いて実名だそうだ。その「田代雄一」にもモデルが実在しており、後の日本を代表する美術史家の「矢代幸雄」その人である。
川崎造船所の社長であった松方幸次郎は、大正から昭和初期にかけて、私費を投じてイギリス・フランス・ドイツ等で膨大な美術品を収集したが、松方自身が昭和恐慌で、会社が倒産寸前に陥り、自身が会社の経営から身を引くことになる。そこへ第2次世界大戦が勃発して、ナチスがフランスを席巻し、それと共に松方コレクションの行方もわからなくなった。
松方コレクションは、戦後になりフランス政府に没収されていたことが分かる。
敗戦国となった日本は、フランスにとって敵国であったため、在仏の松方コレクションが、フランス政府に没収されたということだが、このコレクションは日本政府のものではなく、松方個人の所有物であるので、裏には貴重な名画をフランス国内から持ち出されることへの懸念があったと推測される。
田代雄一が、その返還交渉の代表として吉田茂から直々の申し入れを受けるところから物語が始まる。
前半は、田代が松方と一緒に絵画を買い求めた時の回想が中心で、印象派の巨匠モネをアトリエに直接訪ねて本人と交渉した事や、「ゴッホの寝室」の絵を見つけた時の感動などが伝わってくる。
物語の終盤になって、返還交渉でパリに来た田代が宿泊しているホテルへ、不意に一人のみすぼらしい老人が訪ねてきた。彼(日置釭三郎)は松方の命を受けて、松方コレクションを守るため、数奇な運命に翻弄されながらも、懸命に松方コレクションを守り抜いた男だったことが、次第に明らかになってく。
ヨーロッパ戦線でフランスが降伏し、フランスに進駐したナチスの手からどのようにして、そのコレクションが守られたかが、次第に明らかになるくだりは、まさにミステリータッチであり、スリリングである。日置は戦争や松方コレクションのために、その後の人生が大きく狂ってまでも、美術品を守り抜いたのだった。
一方、戦後の返還交渉は難航し、最終的にフランス政府は、松方コレクションの「返還」ではなく、日本への「寄贈」という名目のもとに、ゴッホやゴーギャン等の傑作と言われる名画の返還を認めなかった。だが田代は自分の思い入れが強かった「ゴッホの寝室」など数点に絞って、返還を強く求めたが、それも認められなかった。しかし松方が構想していた「共楽美術館」が、姿を変えて今日の国立西洋美術館の建設に繋がっていった。
これらの人々、つまり松方幸次郎、田代雄一(矢代幸雄)、吉田茂、そして美術品を守ることに後半生をかけた日置釭三郎がいなければ、我々が松方コレクションや国立西洋美術館を目にすることはなかったであろうことは容易に想像できる。
作者はこれらの美しきタブローに魅せられた愚か者たちに、最大のリスペクトを払い、「美しき愚か者たちのタブロー」というタイトルを冠した。