出版:文藝春秋(単行本)
司馬遼太郎の「坂の上の雲」は、私の一番好きな本の一つです。(もっとも読んだのは大昔ですが・・・)
その本を月刊文藝春秋で、佐藤優と片山杜秀の対談で取り上げていたものが出版されたので、どんな対談か楽しみにして手にした次第です。
この「坂の上・・・」は筆者(司馬遼太郎)が、第4巻のあとがきで「この作品は、小説であるかどうか、じつに疑わしい」述べているように、通常の小説ではない。
通常の長編小説の延長線上で見れば、構成上の破綻があるし、その点では失敗作といえるかもしれないが、司馬の作品の中では「竜馬がゆく」に次いで人気が高く、累計で2000万部近く売れています。
何故かと言えば、読んだ人なら分かりますが、小説にグイグイと引き込まれて、のめり込んで行きます。司馬の筆力の賜物です。
また一方で、この本は司馬の作品の中でも一番物議を醸している小説です。本文の中で「乃木将軍」を愚将と痛烈に批判したことで、保守論客であった福田恒存から猛烈な批判を浴びたり、更に戦後歴史学の主流であった「講座派マルクス主義」と明治時代の認識に差があることで批判を浴びています。
近年は、前述のマルクス主義の戦後歴史学に批判的であった「自由主義史観」の言論人が、司馬作品、中でも「坂の上・・・」を「国民の正史」として見だしたことも論争が大きくなった原因のようです。
司馬とは関係のない所で、作者の意図しない方向へ進んでいるのは、読者として違和感を覚える次第です。
さて本題に入ります。構成は、以下の通りです。
序 章:今なぜ「坂の上の雲」を読み直すのか
第1章:乃木希典と東郷平八郎
第2章:夏目漱石と正岡子規
第3章:明石元次郎と広瀬武夫
第4章:日清・日露戦争と朝鮮半島
本著を読み終えた全体的な感じは、佐藤優の得意な「インテリジェンス」の分野に話が傾きがちで、「坂の上・・・」から外れた論点が多いように感じました。
まあ、佐藤優が登場してくれば、そちらに話が行くのは、出版社の思惑通りなのかも知れませんが・・・。
個別には、佐藤優が「日露戦争の白兵突撃はその後のヨーロッパでは模範とされ、第一次世界大戦の肉弾戦に繋がった」と述べているのは、大きな誤りで、彼はインテリジェンスの専門家であるが、戦史は門外漢というのが分かった。
この分野の専門家である永井陽之助によれば、「日露戦争には欧米諸国から多くの観戦武官が派遣されたが、その報告書は、敗戦国ロシアの後の赤軍とドイツ参謀本部を除いては、大半は本国では、無視され紙屑として捨てられた」
何故なら「極東の『猿』の戦闘などなんの参考になるかと、当代一流をもって任じていた戦略家たちは、頭からバカにしていた」そうです。
ただドイツ参謀本部は膨大な資料を作成し真剣に検討したが「将来の大規模な欧州戦争について結論を引き出すには、冒険に過ぎる」と結論づけた。
203高地は巨大なコンクリートに覆われ、周囲は遮蔽物もなく鉄条網に囲われた城塞であった。さらに最新式の機関銃や多くの砲弾が飛び交う修羅場と化し、世界最初の大規模な近代戦が行われた戦場であった。
203高地は巨大なコンクリートに覆われ、周囲は遮蔽物もなく鉄条網に囲われた城塞であった。さらに最新式の機関銃や多くの砲弾が飛び交う修羅場と化し、世界最初の大規模な近代戦が行われた戦場であった。
これらの欧米各国の日露戦争(特に203高地の死者の多さ)を観戦した結果が反映されることなく、第一次世界大戦への悲惨さに繋がって行く。
この場面で、司馬は乃木への批判とは別に、乃木が傷つかないように密かに指揮権を取り上げ、日本軍の窮地を救った天才戦術家の児玉源太郎を描きたかったのだと思う。
一方、佐藤優が「坂の上・・・」は、ロシアの日本専門家の必読書というのは驚いた。
理由は、日本における「反露感情」がどのようにして醸成されているかを知るための材料だというが、これにも違和感を抱いた。「坂の上・・・」では、反露感情を醸し出すのとは反対に、日露戦争は南下するロシアに対しての祖国防衛戦争とは言っているが、個々にはロシア軍の司令官のクロパトキンに、好意的な見方をしているように、反露感情を醸成するような本ではないと思う。
本著は、全体的に、「坂の上・・・」の主題については違和感を抱く場面が多々あるが、むしろ本論から外れたところで面白かった。
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