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2019年12月22日日曜日

読書「ジブリの文学」

書名:ジブリの文学

著者:鈴木敏夫
出版:岩波書店

天下の岩波書店の「ジブリの文学」という仰々しいタイトルに騙されないで、著者:鈴木敏夫と宮崎駿との格闘の裏話と思って読めば気楽に楽しく読めます。
2010年以降の5年間ほどの著者の書いたものや対談の寄せ集めたものですが、面白く仕上がっています。
・2017年ころの著者の気持ちを雄弁に現わしているのが、以下の文章です。
「あれから3年半の月日が流れた。宮さん(宮崎駿)の引退宣言を喜んだのは、僕を措いて他にない。日本中が悲しみに包まれていた。なのに、あのとき、僕だけが壇上でニコニコしていた。老後の楽しみ。肩の荷を下ろす。いろんな言葉が浮かんでいた。これから何をやろう。それを考えると、うれしさを押し殺すことが出来なかった。
・・・・・ちゃんとした爺になりたいというぼくの願望を木っ端微塵に打ち砕いたのが、宮崎駿だった。
『鈴木さんは映画を作るべきだ』・・・いったい、何を言っているのか。意味不明だった。宮さんが呆けたのか?・・・最初はそうも思った。
宮さんは矛盾の人だ。いつも同時にふたつのことを考える。そして、いつだって前段なしに本論に入る。
7月に入ったばかりのころだった、宮さんが企画書を書いた。
一つ目:「引退宣言」の撤回
二つ目:(略)

三つ目:全編手書きでやる(現在は3DCGによって世界のアニメーションは一変しているが・・・)

束の間の夢だった・・・一期は夢よ、ただ狂へ。こうなったらやるしかない😡」


最近の宮崎駿の作品はつまらない。
初期の作品(ナウシカ、ラピュタ、紅の豚)のような作品をもう一度作って欲しいものだ。
そのためにもプロデューサーの鈴木敏夫に頑張ってもらわなくては😜

2019年12月6日金曜日

読書「ときどき京都人」


           「ときどき京都人」

著者:永江朗
出版:徳間書店

著者は東京在住ながら、京都で町屋を買い入れ、奥さんと月の内1週間~10日間程そこで暮らしている。
通常の観光案内とは違い、また京都に永住している訳ではないが、それなりの時間の余裕もあるので、のんびりとしかも新鮮な目で、身近な京都を紹介してくれているのが嬉しい。


そういう著者も、やがて体力的に東京と京都の往復がつらくなるときにどうしようかと思う。その時は「ときどき京都人」ではなく「ずうっと、京都人」になるかも知れないという。
どちらにしても「人生の最高の贅沢」をしていると思う。羨ましい限りである。

この本と「京都ぎらい(井上章一)」を併せて読むと、いくらかは京都を知った気分になると思います。

2019年11月29日金曜日

読書 「韓国、ウソの代償」


  「韓国、ウソの代償」

著者:高橋洋一
出版:扶桑社新書

の著者の本を読むと、いつも鼻持ちならない感じがするが、表現の仕方は別にして、割合正鵠を射るという感じと、最近の日韓問題についてのいろいろな見方に興味があり購入した。

具体的に面白かった箇所を抜粋すると・・・
★「公約を次々と実行するトランプ政権」ということで、マスコミや有識者とは反対にトランプ大統領の実行力を評価している。

★韓国・文在寅大統領の頑なに「べき論と理想論」で進める外交に対して、「外交はどこと仲良くすれば得かというシンプルな問題だ」ということで、リアルな外交を展開している安倍首相に対して高い評価をしている。

「貿易問題(日本からの半導体関連の輸出制限)で、韓国は米国に泣きついて日本との仲介を頼むしかない状況だが、米国は日本の立場を支持している。恐らく韓国はこの程度の情報さえ入手出来ていなかったのだろう。韓国は米国が肩入れしてくれないと見るや、今度は北朝鮮頼みに舵を切った。8月に文大統領は『南北間の経済協力で平和が実現すれば、われわれは一気に日本に追いつくことができる』と発言・・・文大統領の発言が非現実的であることは、既にドイツの例(統一で東ドイツ支援のために西ドイツが長年負担にあえぎ、低成長を余儀なくされた)で歴史が証明している」等々。

★日本での民主党政権の頃と現在の安倍政権での就業者数を具体的な数字で比較(民主党政権可下で雇用が30万人減り、安倍政権で雇用が300万人増)したりして、かなり安倍首相を評価している。反発を持つ人もいるかと思うが、この数字の意味することは大きいと思う。民主党政権下での経済政策は何だったのかと思う。


また今の韓国の文在寅大統領に不満を持っている人には留飲を下げる効果が期待できます。

2019年11月2日土曜日

写真「埼玉読売写真クラブの『総合写真展』で入賞」

さいたま市プラザノースで開催されている総合写真展で入賞(埼玉県埼玉教育委員会教育長賞)しました。

昨年の「読売新聞社賞」に引き続きラッキー😄😉😊

写真展は下記の通りです。お時間があるなら是非ご覧ください。
場所:さいたま市プラザノース2F
期間:2019年11月1日(金)~11月6日(水)午前9時~午後5時(最終日は3時)


             「ひとりぽっちの練習」

もう一枚出展したのが、下の写真です。
キャベツ畑への散水の光景です。(八ケ岳高原)






2019年10月27日日曜日

読書「学校では教えてくれない日本文学史」

   「学校では教えてくれない日本文学史」

評価:★★★★☆
著者:清水義範
出版:PHP文庫

原題は「身もフタもない日本文学史」を文庫化にあたって今のタイトルに改題。改題しない方が面白いと思うのだが・・・

日本文学史をこの本のように学校の授業で教えたら、子供たちももっと日本文学や古典に興味を持つのではないかと思うほど、的を得て、かつ面白い。
つまり、この本を読むと、日本文学の特徴は何かとか、日本文学の値打ちはどんなところにあるのかなどのことが、一目瞭然となる。
文部省の推薦書にでもすれば良いと思うが、文部省にはそんな器量はないだろうなぁ。

本書の見出しを見るだけでもポイントが掴めるので、以下に掲げる。

第一章:「古事記」はただものではない
第二章:「源氏物語」のどこが奇跡か
第三章:短歌のやりとりはメールである
第四章:エッセイは自慢話だ
第五章:「平家物語」と「太平記」
第六章:紀行文学は悪口文学
第七章:西鶴と近松
第八章:「浮世風呂」はケータイ小説
第九章:漱石の文章は英語力のたまもの
第十章:みんな自分にしか興味がない
第十一章:戦後文学は百花繚乱
第十二章:エンターテイメントも文学の華

上記の見出しで何となく内容が分かると思うが、例えば「第六章:紀行文学は悪口文学」を読むと、
「紀貫之の『土佐日記』以来、田舎の悪口を言うのが紀行文学の型なのである。紀行文学は根本的に、とんでもない所に来てしまった、という嘆きで成り立っているのだ・・・(略)・・・旅人だからこそ田舎のつまらなさが見え、そのつまらなさを語れば語るほど、そんなところに来てしまった自分の芸術的価値が高まるのだ。ひどい所へ来ているからこそ味わいが深いのである。
そして芭蕉もまたその伝統をふまえて、東北の悪口を書く。(奥の細道の)<尿前の関>の段で、泊めてもらったところに、蚤はいるは虱はいるわ、馬も一緒にいるような部屋で、馬は尿をして難儀したと、尿前の関がとんでもない田舎だったことを嬉々として書く」

というような内容が各章に散りばめられており、日本文学の古事記・源氏物語から現代文学まで一気に読み通して、理解した気分になること請け合いである。


2019年10月23日水曜日

登山「安達太良山登山の悪戦苦闘記」


       安達太良山での悪戦苦闘記


10月は雨ばかりで、おまけに台風19号の豪雨があり散々でしたが、10月23日は久々の快晴。
朝8時に自宅を出て、車で200数十キロを走り、12時から登山開始。
安達太良山は、途中までロープウェイがあり、コースタイムは2時間半・・・本来なら初心者でも簡単に登れる楽チン登山のハズだった・・・

例年なら紅葉は終わっているが、今年は残暑が長く、この日は紅葉真っ盛り。天は我に味方せり。
安達太良山の登山の途中で・・・紅葉真っ盛り
(奥に見えるのは吾妻連山)

ところが登山道は連日の雨でドロドロ、一部水で削り取られた箇所もあり、紅葉に見とれて、のんびり写真を撮ったり、昼飯を作ったりしていたら、ロープウェイでの下山の最終便に遅れそうになり、坂道を転がるようにして泥道を駆け下りました。

この時、昔若かりし頃、今回と同じような経験をした悪夢が蘇ってきた。
5月の連休に友人とスキーを担いで、唐松岳に登頂し、残雪の山をスキーで滑降して楽しい一日になるハズだった。
この時、初めて雷鳥に出会った
(背後に見えるのは遠見尾根)

若さに任せて、スキー靴で山を登り、頂上でお湯を沸かして紅茶やインスタントラーメンを食べ、気が付いて周囲を見回したら誰もおらず、薄暗くなり始めていた。
慌ててスキーで超高速で飛ばしに飛ばして、やっとリフトの最上部まで来たら・・・最終便は終了。
そこから八方尾根スキー場を下るのですが、この先は残雪がない・・・仕方なくスキーの板を外して、トボトボと真っ暗なスキー場を下山。
やっとのことで、宿に到着したが、疲れ切って夕食も食べる気力もないくらい疲労困憊。
この後痔になって手術をしたほど疲れ切りました。

・・・悪夢から蘇り、今回は何とか最終便に転がり込んだ次第です。
靴とズボンは泥だらけで、膝はガクガク。計画ではこんなはずじゃなかったのに・・・

写真「安達太良山の紅葉の絶景」

安達太良山の紅葉は最盛期(2019年10月23日)

見晴らし台から見た安達太良山(左上のドーム)

登山道からの紅葉の絶景

台風の後に出来た滝?
断崖の上下の紅葉

安達太良山山頂


帰りのロープウェイから見た山麓の紅葉


2019年10月22日火曜日

読書「孤蓬の人:葉室麟」

       「孤篷のひと」を読んで
著者:葉室麟
出版:角川書店

作事奉行としての造園家・小堀遠州は知っていたが、利休~織部と続く茶道を受け継ぎ、「天下一」の茶人として名を成したというのは、恥ずかしながら知らなかった。

主人公が晩年に、茶席で過去を振り返りながら、何らかの影響や強烈な印象を受けた人物を語る形で描かれる。
その人物を語る各章の小見出しは、「茶道具」で名付けられている。
(例)「肩衝」では、肩を張った茶入れの壺「肩衝」に、石田三成の孤独な姿を重ね合わせている等少し凝った小見出しです。

各章毎に語られた人物とは、千利休、古田織部、沢庵、石田三成、徳川家康、伊達政宗、後水尾天皇、本阿弥光悦、金地院崇伝・・・
ただそれらの人々は戦乱の世を生き抜き、個性の強い人物ばかりで「天下を狙う茶」であったが、遠州の茶は太平の世を「生き延びる茶」を求めて行く。

(追記1)
驚いたのは小堀遠州の岳父である藤堂高虎。
戦国の世にあって、浅井長政、羽柴秀長、豊臣秀吉、徳川家康など8度も主君を変えていることから、歴史上風見鶏のような批判が多いが、文中で「おれは使えた主君には尽くし切り、一度も裏切ったことはない」という言葉が強烈であった。高虎は使えた主人が死んでやむなく、次の主人へと移ったのが事実である。
そうでなければ、晩年の家康が高虎に対して絶大な信頼を置く訳がない。

(追記2)
先日京都への墓参りに託けて、葉室麟の小説の「孤蓬の人」や「墨龍賦」の舞台となった場所を訪れました。
メインは「建仁寺」の「海北友松の雲龍図」と「俵屋宗達の風神雷神図」です。
残念だったのは、小堀遠州が作った南禅寺の方丈庭園と金地院の庭が見れなかったことです。