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2026年6月18日木曜日

街道を撮りにゆく 湯島台~駿河台

                       神田明神・湯島聖堂・聖橋・ニコライ堂

家康が江戸に入府した頃は、現在の神田川の上流(平川)は、日比谷入江(現在の皇居前広場や日比谷公園付近)へと流れ込んでいました。
そのため大雨のたびに江戸城周辺が水害にあうため、流路を東へ変えて隅田川へ放流するという壮大な計画が立てられ、
この中でも最も困難を極めたのが、現在の御茶ノ水駅周辺にあった「神田山」の掘削です。
この神田山を切り通したことにより、この付近は湯島台と駿河台とに分かれ、現在の御茶ノ水に人工の谷(茗渓)が出来上がりました。

今回は、神田明神、湯島聖堂、ニコライ堂、そしてこの二つの聖堂を繋ぐことから名づけられた聖橋を回りました。




〈神田明神〉

正式名称は神田神社(かんだじんじゃ)
神田祭でよく知られていますが、神田、日本橋、秋葉原、大手町、丸の内、築地など108の広大な町の総氏神さまです。

〈神田明神・男坂〉
2013~2014年にTV放映された国民的大人気アニメ『ラブライブ!』でμ's(ミューズ)のメンバーたちが走り込みのトレーニングを行ったことで、アニメの聖地になったそうです。
当時は、男坂で階段ダッシュを行うファンも多く見られたそうです。










〈銭形平次の墓〉
野村胡堂の小説の主人公で、度々映画化やTV放映されてきた「銭形平次」の墓が神田明神内にあります。
小説では
銭形平次の住まいは神田明神下となっています。
この碑の周りを囲っているのは。銭形平次が使う「投げ銭」こと「寛永通宝」を表面にあしらった石柱でした。
また、右横に小さくある碑は手下の「ガラッ八の八五郎」の碑です。








発起人をみますと、銭形平次のご利益にあやかった出版社、映画会社、テレビ会社の建立当時の社長名および主演を演じた長谷川一夫(映画)と大川橋蔵(テレビ)、さらに下の段まで見ますと「銀座・銭形」というレストランや「神田のれん会」という名前がありました。












〈湯島聖堂〉「昌平坂学問所」

5代将軍・徳川綱吉によって創建された孔子廟(儒教の祖・孔子を祀る廟)で、後に幕府直轄の学問所「昌平坂学問所」となりました。日本の近代教育発祥の地としても知られています。
大正11年(1922)湯島聖堂は国の史跡に指定されましたが、翌12年(1923)関東大震災が起こり、わずかに入徳門と水屋を残し、すべてを焼失しました。

東京帝国大学伊東忠太教授の設計により、寛政時代の旧制を模し、鉄筋コンクリート造りで
1935年昭和10年再建を果たしました。

伊東忠太といえば妖怪趣味で知られる設計家で、湯島聖堂再建の際に、屋根や細部に配置した空想上の霊獣(妖怪)の彫刻は、オリジナルよりもデフォルメが強く、少し不気味でユニークな造形(妖怪的テイスト)と言われています。
代表的なものとして、大成殿の屋根に「鬼犾頭(きぎんとう)」と「鬼龍子(きりゅうし)」が設置されています。

関東大震災の火災・東京空襲にも焼け残った入徳門

焼け残った水屋の一部









鬼犾頭(きぎんとう)(左写真の上)
大成殿の屋根の左右に配置された、頭が竜で胴体が魚(龍頭魚尾)の霊獣です。頭から潮(水)を吹き上げて建物を火災から守る役割を持っています。

鬼龍子(きりゅうし)(左写真の下)
大成殿の屋根の四隅などに配置された、猫のような姿(猫形蛇腹)をした牙を持つ霊獣です。孔子のような聖人の徳に感じて現れるとされています。 





〈聖橋〉



聖橋からの眺め 地下鉄丸ノ内線・JR(総武線・中央線)が交差

神田川に放物線
を描くアーチ橋で、関東大震災(1923年)後の震災復興橋梁の一つで、1927年(昭和2年)に完成。
橋の北側の湯島聖堂と南側のニコライ堂の2つの聖堂を結ぶことから名ずけられた。(名前は公募による)

〈ニコライ堂〉
「ニコライ堂」は通称であり、日本に正教会の教えをもたらしたロシア人修道司祭聖ニコライに由来する。 正式名称は「東京復活大聖堂」
現在の姿は関東大震災で被災した後、
一部構成の変更と修復(1929年)を経て現在に至る。



2026年6月13日土曜日

街道を撮りにゆく 秋葉原界隈

          サブカルチャーと歴史の街


〈サブカルチャーの街〉
JR秋葉原駅の改札を出ると、目に飛び込んできたのが、掲載した2枚の写真に見られるような光景・・・秋葉原は、アニメ、マンガ、フィギュア、メイドカフェ等日本のサブカルチャーの文化が集結する世界的な聖地ということが実感できます。外国人も多くいます。
昔の電気街というイメージからは、かけ離れてコアなファンや観光客が交流する一大拠点として機能しているようです。







従来の非常階段
〈ペンシルビルと非常階段の深化〉
秋葉原の駅前も他よりは遅れたが、再開発されてきました。ただその一画から一歩外に出ると、ペンシルビルが立ち並んでいます。
再開発をするデベロッパーからは、開発秩序を乱すと批判されてきましたが、そっと慎まし気に立つ姿は、微笑ましくもあり、たくましい生命力に満ちている感じもします。

そのペンシルビルの非常階段を見ますと、面白い進化というか深化というべき発展をしているのに気づきます。





オモテに露出した非常階段
非常階段は、これまで建物の裏または他からは見えない側面にひっそりと設置されるのが一般的でした。
ビルの裏とか側面に設置するというのは、そこへの通路も必要になります。
東京のように高密度・高集積化された街ではそのような場所さえ奪われ、オモテの世界へ引きずりだされてしまったようです。
オモテに引きずり出された非常階段は、デザインがより派手になり、ビルの一部に組み込まれているように見えます。





旧万世橋駅
かつて、中央線の神田~御茶ノ水間に、明治45(1912)年に開業した「万世橋駅」がありました。(昭和18年に休止)
赤レンガのホームや階段など、駅の施設が一部残っています。
現在は、これら駅の遺構は見学でき、なおかつ新しい商業施設として再開発されています。

〈昌平橋〉
万世橋から神田川沿いに御茶ノ水方面に向かうと昌平橋があります。
この橋は神田川の架橋の中で古くから存在する橋です。
この川の上流方向(御茶ノ水方向)を見ると、昔(江戸時代)は、坂の上に昌平坂学問所(湯島聖堂)が見えたことから名づけられたそうです。
歌川広重の名所江戸百景に「昌平橋聖堂神田川」として描かれています。
現在では、昌平坂も湯島聖堂も建物の陰になって見ることは出来ません。

歌川広重の名所江戸百景
左は、歌川広重の「名所江戸百景・昌平橋聖堂神田川」の浮世絵です。
中央上の神田川の崖の上に昌平坂学問所の建物が並んでいるのが見えます。












現在の昌平橋・JR総武線の高架橋が架かっています。


2026年6月10日水曜日

街道を撮りにゆく 隅田川(清洲橋・永代橋)

       個性的な清洲橋&永代橋

隅田川に架かる橋梁は、いずれも個性的な橋ばかりですが、特にライトアップされると昼間とは別の顔を見せてくれます。
中でも清洲橋と永代橋はひときわ個性的です。共に関東大震災の復興事業として計画され、2007年に両橋とも国の重要文化財に指定されました。

清洲橋
深川区清住町と日本橋中洲町を結ぶことから「清洲橋」付けられました。

関東大震災後の復興事業で、ドイツ・ケルン市のヒンデンブルク橋をモデルとして1928年(昭和3年)に完成しました。
日本海軍向けに川崎造船所が製造していた低マンガン鋼を世界で初めて橋梁に使い、強度を高めています。
近くで見れば重厚感があり、遠目に見ると優雅な姿が印象的です。

清洲橋全景






















清洲橋通りの全面ガラス張りのビル(カーテンウォール)に映った清洲橋















支柱に身体を預け、手持ちで2秒・・・何とかしのぎました。




























隅田テラスの防護フェンスに映り込んだ清洲橋と屋形舟






















〈永代
「震災復興事業の華」と謳われた清洲橋に対して、「帝都東京の門」と言われたこの橋はドイツの ルーデンドルフ鉄道橋をモデルにし、1926年(大正15年)に完成しました。
現存最古のタイドアーチ橋かつ日本で最初に径間長100 mを超えた橋です。












































橋の下流には佃島の高層住宅群が見えます。