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2022年6月20日月曜日

街道を撮りにゆく 東京の橋・日本橋川

東海道五拾三次 日本橋 朝之景:歌川(安藤)広重











 「日本橋」の悲しみ


江戸時代に日本の中心地であった日本橋は、ご存じのように今は高速道路の下に隠れ、往時の栄光は見る影もない。
これは私がくどくど述べるよりも、開高健「ずばり東京」(1964年の東京ルポルタージュ)より引用します。

「(日本橋の名前の由来は諸説あるが)南北にわたされた橋の上に立ってながめれば富士山あたりまでが見晴らせて、朝日、夕日、また江戸の町のあちこち、東西南北、ずっと見ることができて、ほかにこれにかなう橋はなかったので、『日本橋』としたという説がある・・・すべての橋は詩を発散する・・・とりわけ長い橋を歩いてゆくとき、私たちは、鬼気を射さぬ孤独になごんだ、小さな、優しい心を抱いて歩いてゆくようである。しかし、いまの東京の日本橋をわたって心の解放をおぼえる人があるだろうか。ここには”空”も”水”もない。広大さもなければ流転もない。あるのは、よどんだまっ黒の廃液と、頭の上からのしかかってくる鉄骨むきだしの高速道路である。都市の必要のためにこの橋は橋でなくなったようである」

※現在首都高速の日本橋区間の老朽化に伴って、地下化事業が2040年頃を目標に進み始めている。

日本橋川から見た日本橋









































関東大震災のときの火災で焼けただれた橋脚






















映画&小説「麒麟の翼」(原作:東野圭吾)の題名の元になった翼のある麒麟


















主要国道7路線の起点となった日本橋の道路元標



















以下、日本橋川を遡って上流に向かいます。

放置されたままの廃船
旧江戸城の石垣
普請を行った諸藩の印が石に刻まれています。
 神田橋
 一ツ橋

2022年6月18日土曜日

街道を撮りにゆく 東京の橋・レインボーブリッジ


 












                         七色に輝く幻想的な吊り橋


レインボーブリッジ(Rainbow Bridge)は、一般公募により決められた愛称であり、正式名称は「東京港連絡橋」である。
港区の芝浦地区と台場地区を結ぶ吊り橋で、1993年(平成5年)竣工した。
なお、写真のようなレインボーカラーのライトアップは年末年始か、特別な行事がある時のみで、通常は夏と冬で微妙に変わりますが、基本的には白色のライトアップです。
なお、この橋には1.7Kmの遊歩道が付いていますので、それを利用して歩いて渡るのも面白いと思います。

⇦レインボーブリッジへのアプローチ部分








































フジテレビの球体展望室「ハチタマ」からの眺めに名前を入れてみました。


2022年6月13日月曜日

街道を撮りにゆく 東京の橋・ゲートブリッジ

 

       東京港に輝く巨大恐竜


ゲートブリッジは、東京港臨海道路に架かるトラス橋です。
名称は一般公募の中から「東京ゲートブリッジ」の名称が付けられ、また恐竜が向かい合っているような特異な形状をしている事から「恐竜橋」とも呼ばれる。
建設地が羽田空港に近く、航空機の飛行ルート上にあたるため、航空法により、橋の高さ制限が課される一方、東京港への大型船舶が通過できるように、橋桁の高さ制限もあるので、現在の構造が採用された。
全長:2618m 高さ:87.8m 最大支間長:440m

北側に東京の街並みや東京タワー、天気が良い日には、西に富士山がが見える絶景地でもある。
この日は残念ながら富士山は見えなかった。(秋~冬が良いと思います)

























2022年6月11日土曜日

街道を撮りにゆく 東京の橋・隅田川②


        勝鬨橋・築地大橋


勝鬨橋(Wikipediaより抜粋)

築地と月島を結ぶ架橋の計画は、明治期より何度かあったものの実現せずにいたが、1905年(明治38年)日露戦争の旅順陥落祝勝記念として有志により「勝鬨の渡し」が設置された。

その後埋め立てが完了した月島地区の交通需要があったことで、1933年(昭和8年)に橋梁工事に着工し、1940年(昭和15年)に完成。
建設当時は隅田川を航行する船舶が多かったので、陸運よりも水運を優先させるべく、3千トン級の船舶が航行することを視野に入れた可動橋として設計され、跳開により大型船舶の通航を可能とした。
その後航行する大型船舶がなくなったことや陸上交通量の著しい増加などの理由で1970年(昭和45年)11月29日を最後に開閉が停止となった。

※開閉部は、ヒンジ構造(蝶番)になっているため、ここに立つと車が通ると振動がかなり大きいことが感じられた。






築地大橋
隅田川で最も下流に位置する橋梁。2018年(平成30年)に完成した。
ブルーの色が優しい印象を与えてくれる。

















かちどき橋の月島側からは、高層ビルの間に東京タワーが見える。
東京タワーもこんな風にビルの隙間のような所から見えるのは、少しもの悲しい感じがしました。













勝鬨橋から上流側を見ると、一番手前のグリーンは佃大橋、垂直のX型は中央大橋、
その下に僅かに見えるブルーは永代橋。最奥中央部は東京スカイツリーと豪華な眺めです


2022年6月4日土曜日

街道を撮りにゆく 東京の橋・隅田川①

隅田川テラスから見た永代橋。左奥は中央大橋。永代橋の下のわずかなグリーンは佃大橋

       

                   《清洲橋・永代橋その他》

清洲橋

関東大震災の復興事業として建設された。当時世界一美しいと呼ばれたドイツのケルン市にあった大吊り橋(ヒンデンブルグ橋)をモデルにして、当時の最高技術を取り入れて日本人だけで設計された。

鋼材の厚みやボルトやリベット類が凄い

隅田川から見た清洲橋

ライトアップされた橋。手前下は欄干に映り込んだ清洲橋































下流側から見るとスカイツリーが見えます。

















永代橋

江戸初期に隅田川に架けられた5つの橋の一つで、深川の渡しのあった場所に建設された。明治時代に鋼鉄製のトラス橋として造られたが、底板等は木造であったので関東大震災で炎上したため、震災復興事業として鋼鉄製のアーチ橋として建て替えられた。



































萬年橋(小名木川)












豊海橋(日本橋川)










永代橋から下流方面の眺め。正面は佃島のタワマン群、右は中央大橋。