東海道五拾三次 日本橋 朝之景:歌川(安藤)広重 |
「日本橋」の悲しみ
江戸時代に日本の中心地であった日本橋は、ご存じのように今は高速道路の下に隠れ、往時の栄光は見る影もない。
これは私がくどくど述べるよりも、開高健の「ずばり東京」(1964年の東京ルポルタージュ)より引用します。
「(日本橋の名前の由来は諸説あるが)南北にわたされた橋の上に立ってながめれば富士山あたりまでが見晴らせて、朝日、夕日、また江戸の町のあちこち、東西南北、ずっと見ることができて、ほかにこれにかなう橋はなかったので、『日本橋』としたという説がある・・・すべての橋は詩を発散する・・・とりわけ長い橋を歩いてゆくとき、私たちは、鬼気を射さぬ孤独になごんだ、小さな、優しい心を抱いて歩いてゆくようである。しかし、いまの東京の日本橋をわたって心の解放をおぼえる人があるだろうか。ここには”空”も”水”もない。広大さもなければ流転もない。あるのは、よどんだまっ黒の廃液と、頭の上からのしかかってくる鉄骨むきだしの高速道路である。都市の必要のためにこの橋は橋でなくなったようである」
※現在首都高速の日本橋区間の老朽化に伴って、地下化事業が2040年頃を目標に進み始めている。
日本橋川から見た日本橋 |
関東大震災のときの火災で焼けただれた橋脚 |
映画&小説「麒麟の翼」(原作:東野圭吾)の題名の元になった翼のある麒麟 |
主要国道7路線の起点となった日本橋の道路元標 |
以下、日本橋川を遡って上流に向かいます。
放置されたままの廃船
旧江戸城の石垣普請を行った諸藩の印が石に刻まれています。