歴史学者の書いたこれまでと違う信長論
著者:本郷和人
出版:文春文庫
著者は、もともと「人物史」が大好きであったが、大学で日本史を専門的に学ぼうとしたところ、そこには「人物史」はなかったという。
大学での指導教授は「歴史学は人間の心までは分け入るべきではない」という禁欲的な姿勢を強調したこともあり、著者は「人物史」を封印した。
それから40年以上経ち、その封印を解いて「自分なりの人物史」をあらわしたのが本書である。
著者の人物史への封印を解く回答とは、ひとりの人間、あるいは物語的な人間を描くのは、ドラマの演出家や歴史小説家の仕事として割り切って、「歴史的人間」という概念を採り入れて織田信長を論じることであった。本書はそのテストケースである。
上記のような考えのもとに、全体に、信長個人の特異性や魅力を述べると言うより、歴史の流れの中で、なぜ信長がこの時代に生き残ったか、あるいはこの時代が信長を必要としていたかという観点から構成されている。
例えば、「比叡山焼き討ち」の例を取れば、通常は信長の異常性もしくは非情性が、問題にされるが、著者は、「比叡山延暦寺が、何故それまでの守られるべきものではなく、攻撃してもいいと判断される対象となったか」という観点から、解き明かしてゆく。
具体的には、いっけん信長とは関係のない、空海・最澄の密教の歴史から始まり、それらが国家を担う宗教となったが、長い変遷の末、時代の要請に対しての「耐用年数」を超えてしまったと、時代の流れから具体的に読み解いていく。見方を変えれば、歴史全体の中で、信長を位置づけようとしている。
このように、これまでの信長論とは、一味違って、大きな歴史の流れから、信長を解き明かそうとしているのが新鮮味があって面白い。
話は変わるが、著者に対して、ネットでの書き込みで「ロクな論文も書かずに、一般向けの本をやたら書きまくったり、メディアに出過ぎだ」との批判がある。
それらの批判を予期していたのか否か分からないが、著者は、この本の中で、最近の若者の歴史嫌いの傾向を憂い、「みんなにもっと歴史を好きになってもらいたい」という理由で、「仲間に笑われたり、軽んじられるのは分かっているが、テレビやラジオなどのメディアに出演するようになった」と、心境を述べている。
追記:本書で気になるのは、「信長の正体」というタイトルと、文庫本のマンガチックな表紙です。恐らく本人ではなく、編集者が、若者向けを狙ってこのようにしたのだと思いますが、イマイチでした。本の内容への批判ではありません。
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