三島由紀夫は石原慎太郎にコンプレックス?
著者の見立ては三島は石原の「若さ」と「バイタリティ」、そしてそれを支える「肉体」にコンプレックスを抱いており、常に石原の後追いで対抗しようとしている。
きっかけは、「潮騒」と「太陽の季節」の文学作品。
三島の「潮騒」は、古代ギリシャの肉体美、神話性、純粋性を日本の海に移植しようとする試みで、健康な肉体の男子と文明に穢されていない純粋な少女との恋愛を描いた。
その翌年発表された石原の「太陽の季節」は不良少年たちが衝動のままに繰り返す乱痴気騒ぎ。
同じ海を舞台に、同じ裸を描いた作品でもずいぶん違います。この石原の描く直接性に対して三島は嫉妬を抱いたのではないかというのが著者の見立てです。
「太陽の季節」の発表の年から三島はボディビルを始めているのも面白い。
石原は三島の死後に書いた「三島由紀夫の日蝕」で三島の肉体改造への試みを、ある種の愛情と同情を持って書き留めています。
石原は言う、「私はいろいろ手掛けてきたスポーツに対して全てに一流とは言えないが、しかし見巧者であることは疑わない。その私から見ても氏(三島)の反射神経は絶望的だった」
三島もスポーツで懲りれば良かったのだが、映画出演や映画監督でも石原と張り合おうとする。石原は映画「太陽の季節」に自らも出演し、その後3本の映画で主演を務める。
三島は「空っ風野郎」で主演を演じるがスタッフ曰く「あれは大変。監督も三島さんも見ていて可哀そう。三島さんの演技の動きがチグハグでどうにもならないんです」
次に映画監督としても石原が先行し、三島が追いかける。
Wikipediaで調べてみると、戦時中は戦争への高揚に憧れた三島であったが、入隊時の身体検査でひっかった事に乗じて、それを忌避して徴兵から逃げている。自分のその身体の虚弱から来る気弱さや、行動から〈拒まれている〉という意識が三島にとって生涯コンプレックスとなったようだ。
元々身長が高くスポーツマンの石原に対して、三島は生まれながらの虚弱で貧相な肉体で、運動能力もかなり劣る。にも拘わらず、三島は石原に嫉妬を抱くと共に、戦後を生きていく上で、彼なりの直接性を求めたのではなかろうか?
〈追記〉
この著書とは別の本ですが、1970年に三島由紀夫は自衛隊に乗り込んで割腹自殺をした件で、小林秀雄と江藤淳の対談の中でそれに触れる箇所があります。
江藤が「三島事件は三島さんに早い老年がきた。老年といってあたらなければ一種の病気でしょう」と切り出したのに対し、小林秀雄が不快感をあらわにして反論する有名な論争が印象に残っています。
江藤「じゃあれはなんですか。老年といってあたらなければ一種の病気でしょう」
小林「あなた、病気というけどな、日本の歴史を病気というか」
江藤「日本の歴史を病気とは、もちろん言いませんけど、三島さんのあれは病気じゃないですか。病気じゃなくて、もっとほかに意味があるんですか」
小林「いやア、そんなこというけどな、それなら吉田松陰は病気か」
江藤「吉田松陰と三島由紀夫とは違うじゃありませんか」
戦前~戦後の批評家としての揺るぎない地位を確立した小林と、小林の後継者と見做されている江藤のこの論争はその迫力が伝わってくるようなスリリングなものでした。
更に三島事件については、事件の翌朝の毎日新聞の一面に司馬遼太郎の三島批判の記事が掲載された記憶も鮮明に残っています。
〈最後に〉
今回片山杜秀の本をきっかけに、三島由紀夫が自衛隊に乗り込んで割腹自殺をした件について再び考えてみました。
当時は異常な行動でショックを受けましたが、なぜあのような行動を取ったかは混乱していたのを記憶しています。
今回改めて下記の人物からのあの事件への評価や考え方を辿ってみますと、少しは頭の中で整理できたように思います。
片山杜秀=三島の身体と行動
司馬遼太郎=歴史と現実
江藤淳=精神と文学
小林秀雄=歴史的人間への批評
四者とも、それぞれ違った角度から評価していたのは、興味ある発見でした。
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