フォロワー

2026年8月29日土曜日

読書 「大論争 この国の守り方」片山杜秀

   戦後日本の「戦争と平和・安全保障・アメリカ」ついての論争

             

著者:片山杜秀
出版:文春新書

日本の戦後を、「戦争と平和・安全保障・アメリカ」という切り口で、論敵であったり、明らかに対極的であったり、始めは近かったのにずれていったりする人達を対比させています。
著者の人物の対比の妙、そしてその洞察力には舌を巻きます。

① 南原繁と小泉信三
講和条約をめぐる南原の全面講和論と現実主義の小泉の部分講和論の考え方の相違。
現代から振り返れば、小泉の方が正しい判断だと思います。ただ全面講和の主流派の考え方は非武装中立論とセットになっているが、南原は武装中立なのが異色で面白い。

② 山本七平と会田雄次
山本は一兵卒の目からみる陸軍の非合理性を訴え、会田はイギリスのアーロン収容所での捕虜になった体験から。会田はアングロサクソンは捕虜に暴力を振るうような事はしないが、内側からでなければ見えない差別(有色人種を猿や犬と同じように人間と見なさない、また非欧米人は合理的な判断ができない等)の凄さを訴える。

③ 福田恒存と清水幾太郎
講和条約問題や60年安保では非武装中立論のオピニオンリーダーであった清水が核武装論に転じる背景(現実のソ連の侵略政策や、60年安保で丸山真男は岸を退陣させたことで成功だとするのも清水からみれば裏切りであった)と、保守として一貫して揺るぎない福田が、それを一刀両断に切り捨てる凄さと清水への思いやり。

④ 石原慎太郎と江藤淳
終戦時にともに12歳であった両者で、戦後の混乱期、そして高度成長期に青春期を過ごす。若くして頭角を現した二人の思想は共に保守だが、作家と批評家という違いだけでなく、性格も全く違う二人の共通項はアメリカからの自立。その背景を浮かび上がらせる。

〈三島由紀夫vs石原慎太郎〉
この章で、脱線した話だが三島と石原の比較は一つの章ができるほど面白かった。
著者の見立ては三島は石原にコンプレックスを抱いており、常に石原の後追いで対抗しようとしている(スポーツ・映画出演・監督等々)。
きっかけとなったのは、「潮騒」と「太陽の季節」の文学作品。
三島の「潮騒」は、健康な肉体の男子と文明に穢されていない純粋な少女との恋愛を描いた。古代ギリシャの肉体美、神話性、純粋性を日本の海に移植しようとする試みでした。
一方その翌年発表された石原の「太陽の季節」は不良少年たちが衝動のままに繰り返す乱痴気騒ぎ。この石原の描く直接性が三島にショックを与えたのではと。「太陽の季節」の発表の年から三島はボディビルを始めているのも面白い。
その根源は生まれながらにして体格が大きくスポーツマンの石原に対して、三島は生まれながらの虚弱で貧相な肉体で、運動能力も劣る事があるにも拘わらず、三島は虚構だとしか感じられなかった戦後を生きていく上で、彼なりの直接性を求めたのではなかろうかと。
滑稽ではあるが、三島には真剣な行為であった。

⑤ 大江健三郎と吉本隆明
共に左派だが心情左派の大江と極左の吉本の違いが際立つ。吉本の心情左派への批判の凄さも見ものです。
別の本ですが極左の吉本と保守の論客である江藤は、お互いにリスペクトし5回の対談を行っています。「吉本隆明 江藤淳 全対話」(中公文庫)もお薦めです。

0 件のコメント:

コメントを投稿