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2022年4月22日金曜日

読書 「夫開高健がのこした瓔」 牧洋子

               開高健の奥さんは悪妻か?


著者:牧洋子
出版:集英社

前回の4月20日の私のブログの最後で、「谷沢永一(以下谷沢)は後に、『回想開高健』の中で、妻の牧洋子を「稀代の悪妻」と断じていると述べた。
谷沢以外にも「牧洋子悪妻説」は世間に流布されており、ここまで悪妻と言われる牧洋子夫人(以下牧)に興味を覚え、本書を手に取った次第です。

牧の経歴や谷沢のいう「悪妻」説はWikipediaに掲載されているのを以下に要約しました。
開高健の妻となる牧は、1923年大阪生まれ、奈良女子師範学校物理化学科(現、奈良女子大学)を卒業して、大阪大学の助手を経て、壽屋(現、サントリー)の研究室に勤務。谷沢主宰の同人誌「えんぴつ」で7歳年下の開高健と知り合い、1951年に結婚。開高の壽屋入社と入れ違いに退社し創作活動に入る。詩のほか料理に関するエッセイが多い。
谷沢は著書『回想開高健』の中で、牧を稀代の悪妻だったと描き、最初牧とは結婚するつもりのなかった開高が妊娠した牧から鬼のようにせがまれて結婚したことや、杉並の自宅の妻子から逃れるように開高が茅ケ崎に自宅を建てたこと。さらに別の著書の中で、開高は鬱病だったが牧から逃れるため南米などへ釣りに出かけ、飛行機が離陸するとからっと鬱が治ったと書いた。
ただ一方で、開高は生前に谷沢に安易に人を批判しすぎると訓戒したことがあるという。

一方、開高はというと、自らの著書の「夜と陽炎」の中で、夫婦喧嘩のことを面白おかしく書いている。
「酒がたっぷりまわった頃になって妻が叫びはじめたのである。ついで娘が叫びはじめた・・(略)・・何事だ。なめるのもほどほどにしろ。女房子供をほったらかしてあっちこっちほっつき歩いて。てめエの家を母子家庭みたいにしておいて、よその国の切った張ったを覗き歩いて、ご大層なこと書きまくりやがって・・というのであった。隠忍また隠忍のあげくの炸裂だから声は壁をふるわせ、精力はほとばしるままに部屋を右へ左へ突っ走った・・・(略)・・・よせばいいのに血のなかでぶどう酒が沸騰するので、ついつい、たいていの小説家は放浪を終わってから家庭を持つんやがおれはそれを何しろ学生のときにやってしもて、いわば春に目覚めたとたんに墓場に入ったようなもんやからといいかけ、ハッと気がついて黙ったときはもう遅かった。妻が叫んだ・・・以下省略」

むろん、夫婦のことは2人の間にしかわからない。
「夜と陽炎」に書かれているように、開高が家の事をうっちゃって海外を飛び回っていたのは事実であり、奥さんの不満が募るのも自分で理解していたから、人の目に触れるのを承知で、読者へのサービス精神と自分の懺悔も込めて公表したのかもしれない。

本書に彼女の「夫開高健の蟲」という短いエッセイが掲載されている。これを読むと開高との関係性や夫からの評価を素直に喜んでいるのが分かる。
「がんに倒れる前年も、開高は相変わらず多忙な日々を過ごしていた。ある日、取材にむかう新幹線で読むからと、(彼女の)最新詩集「聖文字 蟲」を持っていった。
かねがね一つの屋根の下に二匹の蠍(さそり)が共存するには、たがいの活字に不干渉であることを言い立て、言い通してきた男にしては珍しい行動だったが、数日後、帰宅した開高は詩集を開き、ここがいいねえ、と『すだく虫の』の最終章を示した。
  独り 湯舟につかれば
  歳月駸々(しんしん)
  湯水は零(こぼ)れて
  仄明かりの隅に躍る影 一つ
    小さな 声立てぬ虫よ 集(すだ)かぬ
      おまえの名は カマドウマ

司馬遼太郎(以下司馬)は開高健の葬儀の弔辞で、「開高健的世界の中に・・・略)・・・知的ではちきれるように烈しい自己主張を持ちながら、死体のように自己を諦めきった饒舌の美女があり・・・」と表現し、開高最後の作品「珠玉」に触れ、「永遠の女性である阿佐緒(ヒロイン名)-おそらく牧羊子さんがその原形でありましょう」と。

開高家では、「二匹の蠍(さそり)が共存するには夫婦互いの活字には干渉しない」ということであるが、本書を読むと、牧は開高の文学を非常によく理解していたことが分かる。それであるから、開高の文学の「思想と文体」を一番理解してくれていると思った(谷沢ではなく)司馬に白羽の矢を立てて、代表としての弔辞を依頼したのではなかろうか。
知的で、はちきれるように烈しい自己主張を持つ才媛であるがゆえに、一般男性から見れば「悪妻」に見えるが、司馬はそのようには見てなかった。

本書のタイトルの「夫開高健がのこした瓔」について。
この「瓔(よう)」の字を調べてみました。白楽天の詩の中にある比翼の鳥の「さえずり」とあり、この比翼の鳥は、雌雄それぞれが目と翼を一つずつもち、2羽が常に一体となって飛ぶという中国の空想上の鳥で、夫婦の仲のよいことにたとえられる。
「瓔」は牧洋子が選んだ文字です。
開高健は死んで牧洋子一人のものになったのかも知れない。
その牧は孤独死で、亡くなってから数日後に発見された。2000年1月19日のことである。

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