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2021年7月4日日曜日

街道を撮りにゆく 「高山植物の女王・コマクサ」

      標高2000mに咲き乱れるコマクサ


コマクサは、美しい花と、養分の少ない砂礫地帯のような、他の植物が生育できない厳しい環境に生育することから「高山植物の女王」と呼ばれている。
和名はその花の形が馬(駒)の顔に似ていることに由来するが、花の可憐さを考えると、可哀そうな名前のような気がする。
昔は、花の美しさよりも薬草としての価値が高く、古くから腹痛の妙薬として知られていたので、各地で乱獲され、今や絶滅危惧種になっている。

コマクサは、かつて田中澄江が『花の百名山』の著書で、白馬岳を代表する高山植物の一つとして紹介した。その本を読んだ後に白馬岳に登ったが、そこで見たのは花のピークが過ぎ、しょぼくれた一株のコマクサだった。
白馬岳で見たコマクサ
それ以来、この花の写真を撮りたいと思って、岩手山や秋田駒ケ岳のコマクサの大群落へ行く計画を何度もしたが、諸般の情勢がそれを許さなくて、計画はその都度頓挫した。

たまたま写真仲間の一人が日光白根山の前白根山に登った時に、コマクサを見たという話を聞き、調べていくうちに、丸沼高原にコマクサが咲いていることが分かり、今回の撮影となった。

この日は、本州南岸に梅雨前線が停滞し、終日雨の予想だったが、現地から花の見頃という話を聞いたので、雨の中を強行した。
現地に着くと、ここは標高2000mなので、晴れてはいなかったが、なんと雲の上に出た😍。お陰で濡れることもなくコマクサの撮影を堪能でき、途中一瞬だったが雲が切れ、日光白根山が見えた時は、感動しました。
帰り際には、「キセキレイ」の雛も見るオマケまでつきました。

以下、写真で、ご覧下さい。
雲の中を行くゴンドラ
コマクサは一般にはピンクだが、紅色や白色の花まであった。

突然雲が切れ、眼前に奥白根山が・・・感激!!!



キセキレイの親鳥・餌を銜えている。

キセキレイの雛たち

以上、永年の夢が叶ったコマクサの撮影でした。



2021年6月15日火曜日

街道を撮りにゆく 谷川岳・一ノ倉沢トレイル

        森と花と雪渓の楽々トレイル


谷川岳の北東側の湯檜曽川に沿って、大岩壁や雪渓を見る「一ノ倉沢トレッキングコース」(標高差:309m コースタイム:2時間30分)があります。この道路は、現在は車両は入れませんが国道291号線という正式な国道で、しかも一ノ倉沢までは、舗装されていて、楽々トレイルが楽しめます。下図の赤字で書かれたコース


この道路は上越間の通路として中世末期には直越峠(すぐごえのとうげ)といわれ、上杉謙信が関東攻めにも使ったそうだが、地形が険阻で、江戸時代には廃道同然となった。そこで明治18年、群馬県の沼田、湯檜曽(ゆびそ)を経て清水峠を越え、新潟県の南魚沼市(旧六日町)に至る幅5メートルの国道が設けられ、新潟―東京間の近道として利用された。
しかし、上越線の清水トンネル・新清水トンネル等の開通で、峠を利用する人は激減した。現在は廃道寸前になっているが、国道の廃道申請は出されていないようだ。
この国道が、上述したトレッキングコースになっており、稀に自転車で乗り込んでいる人もいるのには驚いた。

以下、写真でご覧下さい。
スタートして直ぐの標識
道路は緑の樹木に覆われて日陰になり、涼しい風が吹き抜け、快適なトレッキングです。

この標識の「西黒尾根登山口」の文字と後ろのゴロゴロした岩の登山道を見て、ゾッとした
若い頃にこの西黒尾根ルートを使って酷い目にあったことを思い出した。クタクタになって下山した時は、薄暗くなっていて、右も左も分からなかった。
悪夢を見ているようだった。


マチガ沢




















マチガ沢を過ぎ、暫く行くと一ノ倉岳・衝立岩・一の倉沢の全貌が見えて来た。

一ノ倉沢の雪渓とブナの緑

雪渓から融けだした最初の水。この水は湯檜曽川を経て利根川へ注いで行く。

雪渓から流れ出た水は、プリズムのような色彩を持っています。
     
雪渓から融けだした水はやがて轟音をたてて流れて行きます。

「一ノ倉岳」の反対側へ振り返ると「白毛門岳」がそびえていました。

        一ノ倉トレッキングコースで出会った花々





   トレッキングを終えて、湯檜曽川に出ると、こんな夕景に出会えました。
中央奥の双耳峰が谷川岳

今日も快適な楽しい一日が送れましたことに感謝

2021年6月6日日曜日

街道を撮りにゆく スズランと絶景の「入笠山」

      スズランが咲き乱れる高原の花園


南アルプス最北端の入笠山は、標高は1955mと2000mにも満たない山ですが、山頂に立てば、360度の視界が開け、日本百名山のうち32座が望める「眺望抜群の山」であり、またスズランや高山植物等の「花の名山」でもあります。
更に、ゴンドラで一気に1780mまで運んでくれるので、楽々登山が魅力です。

(冬は空気が澄んでいるので遠くまで見え、雪山のエントリーコースとして人気があります)
正面になる北側には八ケ岳が望め、時計回りに、富士山、南・中央・北アルプスが望めます。

6月になれば、ゴンドラの山頂駅近くの山野草園公園では、20万株のドイツスズランが見頃を迎え、また絶滅危惧種の「釜無ホテイアツモリソウ」が咲き始めます。
さらに山野草園公園から奥に進み、入笠湿原に向かうと、種々の高山植物が見られます。
特に、入笠湿原の日本スズランは有名で、6月下旬頃には百万株もの日本スズランが咲き乱れます。
6月下旬~8月が高山植物のピークを迎えるようですが、6月初旬でも、ドイツスズランを始め、それなりには咲いていますので、以下に紹介いたします。

ドイツスズラン

釜無ホテイアツモリソウ

ツバメオモト

ヤマシャクヤク

ニリンソウ

マイズルソウ

ミヤマエンレイソウ

 ここから、入笠湿原に入ります。
入笠湿原

クリンソウ

日本スズラン

日本スズラン

サクラソウ

ここに掲載していない花々もまだまだあります。
またカラマツが多いので、秋には黄葉も期待できそうです。

2021年5月8日土曜日

街道を撮りにゆく 埼玉・伊奈のバラ園


       百花繚乱のバラ


伊奈のバラ園は、埼玉県伊奈町の町制施行記念公園内にあり、約1.2ヘクタールの敷地に、400種5000株を超えるバラが植えられています。

脱線しますが、伊奈町の町名は、江戸時代初期の関東郡代で利根川東遷事業(江戸を洪水から守るため、それまで江戸湾に注いでいた利根川の流れを変え、現在の姿にした大事業)を行った伊奈忠次を輩出した伊奈氏の屋敷(小室藩)があったことにちなんで名づけられたそうです。

以下、5月7日に撮影した撮れたてのバラの写真をご覧下さい。

バラ園の入り口です。




















中に入るとイギリス由来のバラ、ドイツ由来のバラ、日本で品種改良したバラ等
百花繚乱です。







つるバラの棚もあります。


タコの足のようなバラ

早咲きのバラは散り始めていました。



















兎に角、400種5000株の薔薇がありますから、写真に撮っても、撮っても撮り切れません。写真撮影をする場合は、十分な時間の余裕をもって行くようにして下さい。

2021年4月30日金曜日

読書 手嶋龍一・佐藤優の「菅政権と米中危機」

   「大中華圏」と「日米豪印同盟」のはざまで


著者:手嶋龍一・佐藤優
出版:中公新書クラレ

本書を買ってから暫く積読状態であった。
菅政権発足が2020年9月、アメリカ大統領選挙が11月で、この本の執筆完了が2020年11月なので、2021年4月末に読むというのは、賞味期限の切れた本を読むような気がしたが、現実に起こっていることに対して、二人の見立てとのギャップがどの程度のものかを、知るためにも読み始めたが、かなり面白かった。

(本文からの一部抜粋)
佐藤:菅総理の印象は、何度かお会いした印象は、一見ソフトムードだが、「ごり押しタイプ」で、「前進また前進」という感じの政治家。発足して間もない菅政権が、日本学術会議から推薦された6名の候補に任命を拒否した。そんなところにも、強硬な政治姿勢が出ている。
手嶋:この問題は重要な政治課題とは言い難い。ならば何故に、こうした問題で消耗戦に入るのか。菅さんという政治家は、役人の人事を武器に、今日の地位を築いた人です。政権に批判的な学者を任命したくないと考え、その延長戦で、この問題を扱ったのだと思います。
佐藤:菅内閣は拒否理由を明らかにしませんが、安保法制に反対だったり、特定の政党との関わりがあったりする研究者だとみられています。この問題を利用して、右派勢力に味方だというメッセージを送りたいのかも知れません。トランプのコロナ感染を隅に追いやって、この問題を1面トップに扱った新聞もありました。
菅さんは官房長官時代も定例の記者会見で、モリカケ問題を巡って東京新聞の望月衣塑子記者の質問にあからさまにイラつく場面がありました。上手に受け流すテクニックを持ち合わせている人ではない。守りは苦手な感じがします。
(この執筆中に菅総理の息子が絡んだ総務省の接待問題が発覚していれば、面白いコメントが聞けたかも・・・残念だ)

・・・等々と、政治家の細かな一挙手一投足にまで目を向けて二人の対話が進んでいく。
次にまた新しい見方が出てくるのではと思いながら、ドキドキしてページをめくるのは、読書の醍醐味でもある。

全体的に俯瞰すれば、今日までの間の二人の見立ては正しいと思う。

今後の米中関係につては、トランプ以後もアメリカの対中国政策は、ドンドン先鋭化し、台湾有事の際の日本の立ち位置が厳しく求められる。
また、バイデン政権の誕生による最大の変化は、米国内でアイデンティティの政治が強まり、それが人権重視という米民主党の伝統と結びついて、外交ゲームが複雑になると見立てるなど、二人の見立ては益々冴えわたりそうだ。
凄い眼力だと思う。

2021年4月26日月曜日

読書 井上章一の「大阪的ー『おもろいおばはん』は、こうしてつくられた」

     司馬遼太郎も嘆く大阪への偏見


著者:井上章一
出版:幻冬舎新書

産経新聞に連載された「井上章一の大阪まみれ」を改題。
東京から見ると、大阪は、吉本興業のお笑い芸人のような人ばかりいる街とか、エロい街とか、食い倒れと称して、たこ焼きやホルモン焼きのようなB級グルメばかりだと思われている等々、大阪に対する中央の偏見に対して、京都生まれの著者が、大阪人に代わって、その反論を試みながら、一つの文化論にまとめ上げている。
<目次>
第1章  大阪人はおもしろい?
第2章  阪神ファンがふえた訳
第3章  エロい街だとはやされて
第4章  美しい人は阪急神戸線の沿線に
第5章  音楽の都
第6章  「食いだおれ」と言われても
第7章  アメリカの影
第8章  歴史のなかの大阪像
第9章  大阪と大阪弁の物語

1920~1930年代(大正末期から昭和初期)までは大阪の経済力は東京と互角か、指標によっては東京を凌いでいた。
その中で大阪は工業都市へ変貌する。その結果、煤煙を嫌った大阪の経済人は、六甲山麓の芦屋や神戸へ本宅を構え、東京の山の手のような街が出現した。まさに谷崎潤一郎が描いた「細雪」の世界がここにある。
とは言え、大阪に本社を構えていた大企業の多くは本社を東京に移し、大阪の地盤沈下が始まる。挙句の果てに、冒頭に書いたような大阪人のイメージが形成されてゆく過程を、著者は執拗に掘り下げてゆく。

大阪のイメージについて、大阪を代表する作家である司馬遼太郎の面白い記述を見つけた。
司馬は、「神戸・京都の人達にとって、大阪は自尊心を満足させるために存在しているかのようだ」と自嘲している。
これらの3都市は、都市の性格や機能がたがいに違っている。市民文化も違う。
『民度もちがうんじゃないか』と、神戸の友人がみもふたもないことを言ったことがある。私は大阪に住んでいる。それだけでも、彼らにとっては笑止なことであるらしい。神戸、京都とも、都市的個性が、日本の他の都市からみれば異国のようにきわだっている。都市というより、ときに、あれは(文化的閉鎖性と郷土愛のつよさをふくめて)国だと思うことがある

司馬遼太郎をもってしても、大阪の負のイメージの払拭は難しいようだ。
大阪人頑張れ!!!!!

2021年4月22日木曜日

読書 「司馬遼太郎の街道」東京編+京都・奈良編

 「街道をゆく」が2度楽しめる朝日の「どじょう商法」


どじょう商法」という言葉があるらしいが、Googleで検索したが出て来ない。
所謂、新規の商売ではなく「柳の下の二匹目のどじょう」を狙った商売である。
(元々の「柳の下の泥鰌」の意味とは反対の使い方ではあるが・・・)




かつて「松下電器」と呼ばれていた会社は「マネシタ電器」と揶揄された時代があり、それは「どじょう商法」と言われた。競合相手のソニー(こちらは「松下電器ソニー研究所」と呼ばれた)が新しいアイデアを出して、顧客の新規開拓を行うと、「松下電器」が同じような製品を出して、全国に広がる販売網を駆使して、瞬く間にシェアを奪った(古き良き)時代があった。(その後、家電量販店の時代になると、このビジネスモデルは崩壊した)

今回取り上げた2冊の本(東京編および京都・奈良編)も「どじょう商法」の類型だと思う。
かつて、司馬遼太郎が「街道をゆく」を週刊朝日に掲載し、その後単行本化し、次に文庫化する。そして全43巻が累計1200万部の大ベストセラーになった。
通常はここまでであるが、司馬遼太郎亡き後、その後ベストセラー作家に恵まれない週刊朝日は考えた。
かつて司馬遼太郎の「街道をゆく」に同行した記者が、その地を再訪して、かつての司馬を偲んだり、その後の現地の状況をリポートする・・・これならイケると担当者はほくそ笑んだかも・・・
これを週刊朝日に連載し、単行本化し、その後の文庫化に当たっては、地域を東京・京都・奈良に限定し、再構成して出版した。それが今回取り上げた2冊である。

「どじょう商法」と分かっていながら、この本を買うバカな顧客が世の中にいっぱいいるから、週刊朝日は笑いが止まらないであろうと思いながら、本を買ってしまうのが司馬遼太郎ファンの性(サガ)なのかも知れない。
(週刊朝日も週刊文春にやられっぱなしで可哀そうではあるが・・・)

かつての「街道をゆく」の愛読者で、なおかつ「どじょう商法」と分かっていても、「街道をゆく」を二度楽しみたいという御仁は買って下さい。それなりに司馬遼太郎を偲ぶことが出来ます。