司馬遼太郎も嘆く大阪への偏見
出版:幻冬舎新書
産経新聞に連載された「井上章一の大阪まみれ」を改題。
東京から見ると、大阪は、吉本興業のお笑い芸人のような人ばかりいる街とか、エロい街とか、食い倒れと称して、たこ焼きやホルモン焼きのようなB級グルメばかりだと思われている等々、大阪に対する中央の偏見に対して、京都生まれの著者が、大阪人に代わって、その反論を試みながら、一つの文化論にまとめ上げている。
<目次>
第1章 大阪人はおもしろい?
第2章 阪神ファンがふえた訳
第3章 エロい街だとはやされて
第4章 美しい人は阪急神戸線の沿線に
第5章 音楽の都
第6章 「食いだおれ」と言われても
第7章 アメリカの影
第8章 歴史のなかの大阪像
第9章 大阪と大阪弁の物語
1920~1930年代(大正末期から昭和初期)までは大阪の経済力は東京と互角か、指標によっては東京を凌いでいた。
その中で大阪は工業都市へ変貌する。その結果、煤煙を嫌った大阪の経済人は、六甲山麓の芦屋や神戸へ本宅を構え、東京の山の手のような街が出現した。まさに谷崎潤一郎が描いた「細雪」の世界がここにある。
とは言え、大阪に本社を構えていた大企業の多くは本社を東京に移し、大阪の地盤沈下が始まる。挙句の果てに、冒頭に書いたような大阪人のイメージが形成されてゆく過程を、著者は執拗に掘り下げてゆく。
大阪のイメージについて、大阪を代表する作家である司馬遼太郎の面白い記述を見つけた。
司馬は、「神戸・京都の人達にとって、大阪は自尊心を満足させるために存在しているかのようだ」と自嘲している。
「これらの3都市は、都市の性格や機能がたがいに違っている。市民文化も違う。
『民度もちがうんじゃないか』と、神戸の友人がみもふたもないことを言ったことがある。私は大阪に住んでいる。それだけでも、彼らにとっては笑止なことであるらしい。神戸、京都とも、都市的個性が、日本の他の都市からみれば異国のようにきわだっている。都市というより、ときに、あれは(文化的閉鎖性と郷土愛のつよさをふくめて)国だと思うことがある」
司馬遼太郎をもってしても、大阪の負のイメージの払拭は難しいようだ。
大阪人頑張れ!!!!!
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