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2024年1月21日日曜日

読書 「破れ星、燃えた」倉本聰

    倉本聰の破れかぶれの波乱万丈の後半生


著者:倉本聰
出版:幻冬舎

著者は、これまでも多くの著書で、半自伝的なものを書いてきたが、これもその類と思っていたら、これが遺作となるのではないかと思わせるような力の入れかたを感じた。力が入ったと言っても、そこはプロの脚本家、面白愉しく読ませてくれます。
これまで知らなかった話も多く、著者の引き出しの多さを感じます。

前作「破れ星、流れた」に続く、ニッポン放送から独立以降の後半生の自伝で、NHK大河ドラマでのトラブルや、それから逃げるようにやってきた札幌での無頼生活、富良野への移住と「北の国から」の誕生、富良野塾等々に絡めて、自身の書いたドラマの裏側や、高倉健、勝新太郎や石原裕次郎ら、先に逝ってしまった盟友との交流など、話題に事欠かない魅力溢れる「ドラマ」となっている。

印象に残った箇所をいくつかをピックアップしました。
<高倉健>
「自分の寡黙について彼はこう語った。『おやじからガキの頃厳しく云われたンです。男は一生に三言もしゃべれば充分だと』その姿勢に圧倒された。しかし二人きりの時間になると彼はよくしゃべりジョークを飛ばした」
また高倉健は驚くほどアメリカ映画に精通しており、アメリカの映画人と密に交流し、勉強していた。二人でニューヨークへ映画を観にいくのに、時差を利用して、二日で日本とNYとを往復した話や、その後付き合いがどんどん深まり、高倉健への感謝の気持ちとして誕生日に「駅舎」という映画のシナリオをプレゼントした。このシナリオを高倉健が気に入って、「駅―STATION(倍賞千恵子と共演)」となって映画化された。その時に高倉健から、アメリカのスターが行っている「プロフィト契約」というものを勧められ、更に高倉健が映画会社との交渉を全部やってくれた。これが著者に脚本料の何倍もの収入をもたらし、富良野塾の資金として使ったそうだ。

<勝新太郎>
「神戸山口組の親分が自伝を書きたがっているが、自分じゃ書けないので、書いてやってくれ」と勝新太郎から言われ断ったが、いきなり車で神戸まで連れて行かれ、一晩中つきあわされたそうだ。「朝までの出来事は、面白過ぎてとても書けない!」と・・・。

後に、この時のネタを元に「冬の華」というやくざ映画のシナリオを書いた。
フランスの暗黒街物、フィルム・ノワールのような粋なリリシズムを志して、やくざの親分がシャガールの絵を蒐集していたり、BGMがチャイコフスキーのピアノコンチェルトだったりするものだから、東映のプロジューサーは「こんなやくざ映画があるか!」とカンカンだったが、高倉健が気に入って、映画化された。
映画が完成すると太秦撮影所ではやくざの為の総見試写会があり、神戸からどっとやってきたやくざが、この映画を観て何故か予想外に興奮して、「これぞ、やくざや!」と大喝采を浴びたそうだ。
著者いわく「そりぁそうだろう。僕はあの夜の神戸の体験を忠実に再現してシナリオに入れたのだから」
この箇所を読んで、東映のやくざ映画に、やくざの「総見試写会」という完成披露試写会というのがあるというのを知って驚いた。

<北の国から>
著者の場合、書きたいというエネルギーの源は、殆ど何らかの「怒り」だそうだ。
当時、文明批判を書きたかった。
厳しい北海道の自然の中で苦闘する親子一家の暮らしぶりを、チャップリンがいう「人の行動は、アップで見ると大真面目で悲劇だが、それをロングから見ると喜劇である」という視点で書きたかった。

純 :「電気がないッ⁈ 電気がなかったら暮らせませんよッ!」
五郎:「そんなことないですよ」
純 :「夜になったらどうするの!」
五郎:「夜になったら眠るンです」
<※TVを見ていない方への注・・・(黒板)純は(黒板)五郎の長男>
著者は、この単純明快な四行のセリフを元に、一本の企画書を書いた。

この企画書に、フジテレビのプロジューサーがとびつき、結果的に国民的ドラマ「北の国から」が生まれた。

主人公を選ぶ際のエピソード。
主人公「黒板五郎」役の最終候補に上ったのが、高倉健、緒形拳、中村雅俊、西田敏行そして田中邦衛の5人で、この中で誰が一番「情けないか」という議論になり、満場一致で田中邦衛になったそうだ。

他に、石原裕次郎と「石原軍団」、「風のガーデン」、「やすらぎの郷」、「富良野塾」の話など、書き出すと無限に続きそうなので、ここでやめておきます。

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