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2024年1月30日火曜日

読書 「歴史としての20世紀」高坂正堯

    現代にも通ずる歴史の転換点からの視座

著者:高坂正堯
出版:新潮選書

本書は、1990年に高坂正堯京大教授が半年にわたって行った講演録のテープを書籍化したものです。高坂は1996年に亡くなっており、もうすぐ没後30年という昨年末に初めて書籍化されました。ゴジラではありませんが突然の出現に驚き、高坂ファンとして早速購入した次第です。

本題に入る前に、今の若い人たちには、「Kousaka is who?」という感じかも知れませんので、簡単に高坂が論壇デビューした頃の社会状況を説明します。

高坂は、1963年(昭和38年、当時29歳で京大助教授)中央公論に「現実主義者の平和論」で、論壇デビューし、当時の「非武装中立論」を批判し、鮮烈な衝撃を与えました。(29歳でこのような論文を書いた事さえ、驚きです)
何故衝撃を与えたかといえば、当時の知識人はソ連(ロシア)や中国の共産主義国家は憧れの理想的な国家であり、非武装の中立国へ武力侵略しないと固く信じられていた。
論壇では、東大の坂本義和・丸山眞男や久野収、清水幾太郎等「進歩的文化人」と呼ばれる錚々たるメンバーが主流をなしており、彼らは、上記の背景のもとに、「日米安保条約反対、非武装でかつ中立」をとなえていた。マスコミも同様な雰囲気で、これに反対する人は知識人と見なされないというか、馬鹿にされるような雰囲気がありました。

そういう時代の中、高坂は「現実主義者の平和論」で、「日本が追求すべき価値が憲法第九条に規定された絶対平和のそれであることは疑いない」としながらも、「問題は、いかにわれわれが軍備なき絶対平和を欲しようとも、そこにすぐに到達することはできないということである」と言って、そういう考え方の上に、自衛隊と日米安保のもとで、どうやって平和に近づいていくかという議論を展開した。
更にこの後も高坂は、別の雑誌でも東大の坂本義和教授に議論を呼びかけたが、坂本は権威主義的で高坂の異論を全く認めなかった。(この2行は中央公論元編集長・粕谷一希の「作家が死ぬと時代が変わる」より)
今読んでみると至極当然の考えのように思えるが、この高坂の考え方でさえ当時衝撃をもって受け取られたことで、少しはこの時代の雰囲気が分かってもらえるかと思います。

前置きが長くなりましたので、本題に戻ります。
講演は6回に分かれており、以下の内容です。
「歴史としての二十世紀」1990年1月~6月
第1回:戦争の世紀・・・世界戦争と局地戦
第2回:恐慌・・・大成前の試練
第3回:共産主義とは何だったのか
第4回:繁栄の二五年
第5回:大衆の時代
第6回:異なる文明との遭遇

この講演を行った1990年というのは、1989年の「ベルリンの壁崩壊」と1991年の「ソ連の崩壊」に挟まれ、戦後の秩序、つまり米ソ対立の冷戦構造が音を立てて崩れてゆく歴史の転換点だった。
高坂は、この講演で戦争を語ることから始めた。そして戦争は、ウクライナを始め現在も続いている。高坂が「戦争の世紀」で語っていることが、余りにも今の状況と類似しており、今後の時代を理解する上でも示唆を与えてくれる。

そして、何よりも素晴らしいのは、高坂の歴史論は、非常に具体的で、かつ文明論でもあり、更に現代でも十分に通用する・・・悲しい現実ではあるが・・・

また、「国民性」という存在自体があるのかないのか、あるとしても定義の難しい言葉を取り上げて、「にもかかわらず、国民性という概念は、国際政治において重要であり、それを考えないと難しくなる」と説き、「国際政治は価値の問題から離れることは出来ない」として、「相手の死活の利益を損なわないかたちで、お互いの合意点を見出すのが、外交努力」だという。

高坂は次のように続ける「困難な状況に出あうと、人類史上だれも経験したことがないような苦境と考えて悲観的になるが、逆にちょっとした大きな業績をあげると、これまで人類史上最初のものとして有頂天になる。そのいずれもがやがて失敗を招くことはまず確かである・・・(略)・・・これに対し、似たようなことが昔も起こっているという意識があれば、逆境にあって過度に悲観的にも悲壮にもならず、成功したときにもその有限性を悟って過信にならないのである」

高坂の国際政治に関する論評が冷静で、客観的な分析をもとにしているのは、歴史から多くを学び、現代を相対化する目を持っているからであろう。
現代において、この世界の状況を高坂に語ってもらいたいのは、私だけではないだろう。

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