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2020年7月19日日曜日

写真 「武蔵野丘陵森林公園-2」(やまゆり・無花粉ゆり)

「やまゆり・無花粉ゆり」 運動公園⇒管理棟       

運動公園から中央口経由で、植物園の管理棟を目指します。  
途中の道端には、ダリアやギボウシをはじめいろんな花が見られます。

     
また植物園が近づくとやまゆりが増えてきました。


 植物園の管理棟近くでは、やまゆりの群落がありました。


 
  目的の管理棟の前には、早咲きの「やまゆり」と「無花粉のゆり」があります。
   ここ森林公園では、やまゆりの雑交配をさけるため、無花粉ゆりを植えています。
               
説無花粉ゆりの「ベロニカ」です。
「ベロニカ」には雄蕊がありません。
 次は、無花粉ゆりの「ヴァンドーム」です。
雄蕊はありますが、花粉がありません。





2020年7月16日木曜日

写真 「武蔵野丘陵森林公園-1」(ひまわり&シャボン玉)

        「ひまわり・シャボン玉」


埼玉県の武蔵丘陵森林公園は、300ha以上の広さ(東京ドーム65個分)があるので、一日では回り切れません。事前に自分の目的やエリアを絞った上で、行くことをお勧めします。
公園は武蔵野の雰囲気を残した雑木林を中心に、池沼、湿地、草地など様々な自然が有り、また、ここは関東最大級のヤマユリの名所で、約10000株が自生しており、そのうち毎年3000株が開花するそうです。

今回は、やまゆりには少し早かったので、満開の「ひまわり」と、植物園付近に咲いている早咲きの「やまゆり」と「無花粉ゆり」を見てきました。

今回は前編として、まず運動公園の「ひまわり」を見に行きます。

運動公園へ行く途中に咲いていたやまゆり
運動公園のひまわり(小型のサンフィニティという種類です)

突然、ひまわり畑にシャボン玉が・・・

わわわ😨・・・口からシャボン玉を吐き出している👽😱

ストローでシャボン玉を作っていただけでした

彼女達は写真を撮るためにシャボン玉を作っているのでした

前編はここまでで、この後は後編をご覧下さい。

2020年7月15日水曜日

写真 「ゆり」・・・深谷グリーンパーク

       深谷グリーンパークのゆり園


深谷市にある、「深谷グリーンパーク」は、施設の大きさは東京ドーム1個強あり、その中に屋内施設のアクアパラダイス パティオ(通称パティオ)と芝生広場をはじめとする大小の広場があります。
メイン施設のパティオは、地中海沿岸のリゾート地をイメージした全天候型屋内レジャープールですが、今回は建物内には入らず、外のゆり園の訪問です。

ゆり園は約350坪あり、撮影するには、大きくもなく、小さくもなく、丁度良い広さでした。春にはチューリップ、夏はユリ、秋はコスモスが百花繚乱といった感じになるそうです。
ここのゆりは全て「スカシユリ系」で、5品種5色(ピンク=サムール、白=エルコラノ、オレンジ=ブルネロ、赤=ネロ、黄色=ビューソレイユ)をはじめ、9品種のゆりが約2万1千本植えられています。
ゆりは通常花を下向きか、精々横向きに咲きますが、スカシユリは花を上向きにつけるのが特徴です。
サムール(ピンク)のスカシユリ

エルコラノ(白)のスカシユリ

ブルネロ(オレンジ)のスカシユリ

ネロ(深紅)のスカシユリ

ビューソレイユ(黄色)のスカシユリ










花園で愛を育んでいる蝶がいました 
目はグレーです

2020年7月11日土曜日

写真 「我が家のハグロトンボ」

      我が家のハグロトンボ

我が家の狭い庭に、いつからかペアのハグロトンボが居ついて、葉っぱの上などに留まっていたり、ひらひらと優雅に飛んでいたりして、目を和ませてくれます。

他のトンボのように素早く飛んだり、ホバリングはしない(出来ない)ようです。
人が近づくと、さりげなくチョウのようにひらひらと舞うようにして、ス~と去って行きます。
その際、パタタタ……と翅が小さな音を立てるらしい。(聞いたことはありませんが)
どこかに留まって羽根を休める時も、チョウのように羽根を立てた状態で、羽根を重ねて閉じています。

また、縄張りを張る性質があるらしく、勝手に我が家の庭をテリトリーとしているようです。
この愛嬌のあるハグロトンボが居ついてから、庭で殺虫剤を使うのを止めました。


以下、そのハグロトンボを紹介します。
葉っぱの上や枝の先などにいて普段は羽根を閉じていますが、時々伸びをするように翅を拡げます
少し明るめにするとこんな感じに見えます

たいていはペアでいます(写真の奥に翅を閉じた相方がいます)











正面から見ると、機械仕掛けのロボットのようです(写真をクリックすれば、拡大して見ることができます)                              
          
以下ハグロトンボの優雅な生態をご覧ください

2020年7月6日月曜日

読書 「パンデミックとたたかう」

評価:★★★★★
著者:押谷仁、瀬名秀明(インタビュー形式)
出版:岩波新書

2009年の新型インフルエンザによるパンデミックへの対応についての本だが、今回の新型コロナと置き換えても、全く違和感はない。
最近のNHKスペシャルや、新型コロナウイルス感染症対策専門家会議のメンバーとして脚光を浴びている押谷仁東北大教授に、瀬名秀明がヒアリングする対談形式で、非常に読みやすい。

押谷教授は、中学生の頃から、途上国で何か仕事をしたい、フィールドに出て研究をしたいという事で、感染症の世界に入ったということからして、頭が下がります。
アフリカのザンビアやフィリピン等海外での感染症の経験も豊富で、日本にこういう人がいたのかと驚くばかりです。

専門の公衆衛生学というのは、人間の集団として何がベストかという考え方をして、個々の視点も必要だが、同時に社会全体として、いま何を優先して考えるかという視点が求められるので、この点が目の前の患者を救うという医学教育を受けてきた人には馴染めない分野だという。(下記の「トリアージ」を参照して下さい)

インフルエンザのパンデミックは完全には抑えられないという基本的な前提があるという。ある程度の被害は避けられないので、対策としてはいろんな方策を組み合わせて、以下の3つの方向に持っていくしかないそうだ。
1. 流行のピークを遅らせて、ワクチンや治療薬の生産のための時間稼ぎをする。
2. 流行の規模を小さくして、医療崩壊や社会破綻を防ぐ。
3. なだらかなピークにして、医療崩壊や社会破綻を防ぐ。

今回の新型コロナの対策についても同じだろうと思う。
また、ウイルスの感染が広がりやすいのは先進国だと、今回の新型コロナの感染状況を既に見通している。

押谷教授はさらにこのように言う。
「感染症のパンデミックが起こった時に、日本の社会は被害に対する許容力が非常に小さい。対応に当たる人たちは、そういう社会の中で本当の意味でのトリアージをしていかなくてはいけない。トリアージの本来の意味は、災害などの緊急時に助かる人と助からない人とを即座に見分けて、助かる人を優先して、助からない人はあとまわしにするという対応です。
人工呼吸器やワクチンが足りないとか、現場ではそういう切迫した問題が起きてきます。そのときは個でなく全体を見て決断しなくてはいけない。
医療は一人ひとりの患者に最善を尽くすことが基本ですが、それをある程度あきらめなくてはいけない。日本のような(被害に対する許容力の小さい)社会でそれを実行するのは、非常に大変だと思います。
また時代の風潮としても、社会を守るという考え方よりも、個人を守るという考え方になってきているので、公衆衛生という考え方とどんどん乖離していくような気がしています」
押谷教授が心配するように、仮に今回の新型コロナで医療崩壊を起こし、集中治療室の使用などでトリアージを実施したなら、マスコミやネットで日本中が気が狂ったような騒ぎになっていたかも知れない。

少し脇道の話にそれるが、コウモリの話は、非常に興味を覚えた。
ウイルスとはもともと動物のもので人間には適応していないので、人間に感染すると非常に悪さをする。新興感染症で、人間に対して病原性の高いウイルスのほとんどが、元をたどるとコウモリのウイルスだということが分かってきているという。エボラもSARSも狂犬病もコウモリ由来だそうだ。狂犬病のウイルスに感染するほぼ100%死ぬが唯一の例外がコウモリで、コウモリには何か特別な免疫機能があるという。
今回の新型コロナもコウモリ由来と言われているので、なるほどと納得をした。

日本にも押谷教授のような信頼するにたる人が「専門家会議のメンバー」にいることが嬉しくなった。

この本の冒頭にインタビューアーの瀬名秀明が書いている意味が全体を読んで分かった。「本書のタイトルは『パンデミックとたたかう』である。しかし実際のところ、私たちはパンデミックとたたかっているのではない。本当はこの現代社会とたたかっているのだ」

この本の内容は、簡単には纏められませんが、是非お薦めの一冊であると、自信を持って言えます。

2020年6月26日金曜日

読書「京都、パリ ―この美しくもイケズな街」


京都、パリこの美しくもイケズな街

評価:★★★☆☆
著者:鹿島茂・井上章一
出版:プレジデント社

内容は、
1章:京都人とパリジャン気質
2章:京都の花街、パリのキャバレーや娼館
3章:京女、パリジェンヌ
4章:京都とパリの魅力、都市史
5章:京都とパリの食事情

という次第ですが、この二人は以前に「ぼくたち、Hを研究しています」などというふざけた対談集を出していることからして、話がそちらに傾きがちになる。
特に鹿島茂はすぐに話を下ネタ話に持っていこうとする。
井上章一も「パンツが見えるー羞恥心の現代史」とかの著書もあり、その道の風俗研究家(専門は建築史・意匠論)ではあるが、鹿島茂の前にはタジタジという感じ。
男女の恋愛が中心となるフランス文学を研究する学者とはかくなるものかと再認識しました。
そんな訳で、第2章の「京都の花街、パリのキャバレーや娼館」で最高に盛り上がる。
兎に角、二人とも博覧強記というか、よくもまあこんな事まで知っているなあと驚くばかり。

誰にでも薦める本ではないと思うが、二人の事をよくご存じの読者で、知識の深掘りに興味のある方は、面白い一冊だと思います。


2020年6月11日木曜日

読書「日本の醜さについて」井上章一


    日本の醜さについてー都市とエゴイズム

評価:★★★★☆
著者:井上章一
出版:幻冬舎新書

全く纏めにくい本である。
この本に限らずこの著者の本は全てそうなのであるが・・・結論だけを纏めるのは簡単だが、著者はいろんな面白い例を繰り出して煙に巻く、その面白さを伝えるのが大変難しい。

著者は、冒頭で「これから世間の常套的な物の見方にはむかう」と、見得をきる。
「いわく、日本人には強い自我がない。欧米人とくらべれば、自己主張は苦手である・・(略)・・逆に全体の気配を察して、自分の立ち位置を探ろうとする・・社会科学めかしてあらわせば、集団主義的な性質を日本人はおびている。逆に、欧米人は個人主義的であるという」
この定説を都市景観という視点から突き崩していこうと試みているのが本書である。但しどこまでが読者に受け入れられるかは???である。

欧州と日本の都市景観の比較
・フィレンツェと京都、ヴェネツィアと大阪、ローマと東京等ヨーロッパの街並みと日本の都市景観の比較。我が国が誇る古都京都でさえ、都市景観という視点で見れば、落第であることがよくわかる。
・ドイツ軍に破壊しつくされたワルシャワの街を、ポーランドでは1760年代の景観に復元したという話。
・第二次大戦で、イタリアはローマが空爆を受けた翌日には、ローマの遺跡を守るために休戦を宣言している。日本では初めての空爆後3年4ケ月も抵抗をし続けた。イタリアが休戦を公表したあとに日本の大本営はこの国を口汚くあざけった。そう叫んだ大本営に、ローマの歴史遺産への想いをはせた者は、絶無であったろうと・・・我が国の文化的貧困を著者は嘆く。
・また第二次大戦のパリの解放しかり・・・ここで私はノンフィクション小説(映画にもなった)「パリは燃えているか」を思い出した。ヒトラーのパリ爆破命令に背いて、連合軍に無条件降伏をしてパリの街を守ったドイツの将軍がいた。

話が変わって、現代の日本の建築行政は、安全面の配慮に神経をとがらす、火災の避難準備、建築資材の確認、風圧への備え、地震対策等々、だが、意匠面の要請は殆どない。街並みとの調和を求められるケースはまれである。

表現の自由の頂点へ・・・大阪・道頓堀
その結果、勝手気儘な色や形のビルがならび、ふぞいな街並みが出来上がる。そんな日本的傾向は、大阪の道頓堀あたり(手足が動く大きなカニや吊るされた大きなフグやグリコのネオン等のバラバラで猥雑な街並み)で頂点に達する。「欧州の建築家には、皮肉も込めてのことだろうか、こう感嘆するものもいる。ヨーロッパではありえない表現の自由が、ここにはある・・(略)・・あの景観を、大阪が生み出した風変りなそれとして、受け止めるべきではない。あそこには、日本の近代の姿が、集約的に投影されている」
大阪道頓堀の街並み
かくて著者は「建築が『利益のためだけにつくられる』。ヨーロッパではありえない自由を、日本は勝ちとった・・・近代の日本はブルジョア革命をなしとげたのだ」とうそぶく。

都市景観については、私は素人だが、そのような概念そのものがなかった日本とヨーロッパを比較するのは、そもそも無理な気がする。
特に日本は木造建築主体で、台風・地震・火事にもてあそばれて、大陸の頑丈な岩盤の上に作られた石造りのヨーロッパの建築とは比較しようがないと思うが、それを真面目に反論しても、この著者の場合意味がないように思う。

著者は、従来思いつかなかったような例を並べ立てて、世の中の定説、つまり既存の考えを引っ掻き回すことに、喜びを感じているのかもしれない。

つくづく食えないオヤジだと思うが、視点を変えて、このような見方もあるなと、面白がって読むと、読書の楽しみ方に幅が出来ると思うのですが、如何でしょうか?