漢詩に親しんだ漱石に近代小説が与えた衝撃
著者:水村美苗
出版:ちくま文庫
寡作の作家なので、知らない人も多いと思いますので、著者の紹介から始めます。
1951年生まれ。父親の仕事の関係で12歳で渡米、米国滞在が長くイェール大学博士課程卒。プリンストン大学・ミシガン大学・ミシガン大学等で日本文学を教える。
夏目漱石の「明暗」の続編として書いた「續明暗」は高く評価され芸術選奨新人賞を受賞し、「日本語が亡びるとき」で小林秀雄賞等、殆どの著書で何らかの賞を受賞しています。
「日本語が亡びるとき」で、著者を知り今回の「日本語で書くということ」を読んだ次第です。
本書は「日本語で書くことへの希望」や「日本近代文学について」等の評論が納められており、中でも以下に取りあげる「文学の歴史性を読む」は、非常に面白い評論でした。
〈一部抜粋〉
「現代の小説は、英語の小説がそのまま日本語になったようで、世界の小説との繋がりが感じられない。漱石の作品にそれが感じられるのは、海を渡ってやってきた文学との出会いの衝撃が、まざまざと痕を残しているからにほかならない。その痕こそ文学の歴史性である。その根底にあるものは、西洋の『近代小説』の前提をなす『恋愛至上主義』に対する漱石の困惑である。漱石がそれまで親しんできた漢籍の中では罪悪ですらある行為に最高の価値を与えるものなのである」
本書は「日本語で書くことへの希望」や「日本近代文学について」等の評論が納められており、中でも以下に取りあげる「文学の歴史性を読む」は、非常に面白い評論でした。
〈一部抜粋〉
「現代の小説は、英語の小説がそのまま日本語になったようで、世界の小説との繋がりが感じられない。漱石の作品にそれが感じられるのは、海を渡ってやってきた文学との出会いの衝撃が、まざまざと痕を残しているからにほかならない。その痕こそ文学の歴史性である。その根底にあるものは、西洋の『近代小説』の前提をなす『恋愛至上主義』に対する漱石の困惑である。漱石がそれまで親しんできた漢籍の中では罪悪ですらある行為に最高の価値を与えるものなのである」
つまり漢籍や儒教文化圏において、恋愛が最高の価値どころか、礼や義を乱す危険な私情として厳しく抑制されてきたという過去の文化というか精神を背負っていた漱石。
現代では実感しにくいのですが、漱石が西洋文学に出会ったことにより受けた衝撃の強さ。そして戸惑いや困惑が生じた事は、明治という時代を考えれば、それなりに察しられるというより、むしろ我々の想像以上の事ではないかと思われます。
確かに、『それから』『門』『こころ』などでは、恋愛と道義・社会との葛藤を何度も描いています。そこには西洋文学をそのまま受け入れられない戸惑いが色濃く表れているのかも知れません。
漱石が「明暗」を執筆中は、午前中に原稿を書き、午後からは漢詩を愉しむ事で、精神のバランスを保っていたという話も納得がゆきます。
また、違う視点ですが、漱石が近松門左衛門の「心中もの」をどう見ていたのか?
「源氏物語」から「近松」まで続く日本の恋愛史の観点から見れば、漱石はどう位置付けられるのか?
それが分かるような本があれば、読んで見たいと思います。
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