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2024年12月31日火曜日

街道を撮りにゆく 「回想・厳冬の上高地」

         異次元の美に感動

     (モルゲンロート・アーベントロート・モノクローム&青の世界)


厳冬期の上高地には、過去三回行きましたが、初めて行ったときの感動は忘れられないものがあります。Facebookに投稿したものを中心に纏めてみました。
最初に厳冬期の上高地に入ったのは、年代は忘れましたが、12月の28日の仕事納めの後、22時頃に都内を出発し、釜トンネルについた後、そこから徒歩で入山し深夜2時頃に現地につきました。「さあ、寝むれる」と思いしや、リーダーの人から「これから星を撮るぞ」と言われ、朝まで一睡も出来ませんでした。
夜明け前の気温がマイナス20℃にもなるので、電池の電圧低下が激しく、撮る直前までポケットで電池を温め、撮影する直前に弾込め銃のように電池を挿入したことが懐かしい思い出です。
現地での初日29日は快晴に恵まれましたが、30~31日は猛吹雪で一歩も動けず、厳冬期の上高地の厳しさを初めて味わった次第です。

以下は写真で、ご覧ください。
初めての星座の撮影・左の山は焼岳












北極星を中心に撮りましたが、やや露出オーバーで、星の軌跡が薄くなってしまいました











日の出前の静寂の刻(とき) 正面の山は奥穂高岳













モルゲンロート
「モルゲンロート」とは早朝に上り始めた太陽の光に照らされて山肌が赤く染まる現象を差す登山用語です。語源はドイツ語で「モルゲン(Morgen)」は「朝」、「ロート(rot)」は「赤い」という意味になります





朝日が昇り、冠雪した焼岳がくっきりと浮かび上がりました。
山麓の霧氷の付いた樹々にはまだ陽が当たりません









霞沢岳から田代池に陽が入るので、急いで田代池へ移動












モノクロームの世界












青の世界













アーベントロート
朝焼けの「モルゲンロート」に対して夕焼けに染まるのを「アーベントロート」と言います


2024年12月10日火曜日

読書 「不適切」ってなんだっけ(高橋源一郎)

    話題の本質に迫る時事エッセイ


著者:高橋源一郎
出版:毎日新聞出版

「サンデー毎日」連載(2021年10月31日~2024年3月3日)の「これは、アレだな」の第3弾。

著者の対談は雑誌でいくつか読んでいましたが、時事エッセイは初めて読みました。毎回取り上げられた各項目は少々軽薄なタイトルですが、内容はかなり重たいというか、著者の深い洞察力が感じられます。

例えば「老人はみんな死ね」という項目では・・・
このタイトルを見て、以前に、変な形の眼鏡を掛けて、マスコミから持てはやされていたイェール大学経済学部アシスタント・プロフェッサーの成田祐輔なる人物が、近年の日本の財政的な諸問題を解決するには「高齢者は老害化する前に集団自決、集団切腹みたいなことをすればいい」などの発言を繰り返し行っていたのを思い出しました。
ただ高橋源一郎氏は、御年73歳で、38歳の成田某のような他人事として、この問題を取り上げたのではないのが分かります。

きっかけは友人が銀行から突然「70歳を超えたので、ローンの残額を全額払うように」という連絡があった事がきっかけだそうだ(契約書にの末尾に小さく書いてあった)。本人も、とある理由で地方に仕事場を借りたときに不動産屋から、70歳を超えているのでと、いろんな条件をつけられたり、インターネットを開設する段になって、業者から「65歳を超えているので、奥様に確認をとりたい」等など、身近な問題が起きている。
ローンや賃貸やネットだけではなく、70歳を目安に、この国では一気に住みにくくなるようだと言う。

そして映画「プラン75」の話へ発展してゆく。
映画の内容は、少子高齢化が進んだ近未来の日本で「長生きする老人」のために、社会は疲弊してゆく。そのため75歳になると「生死の選択権」を与える制度が国会で可決される。それが「プラン75」・・・本人曰く「なんだか生命保険にありそうな名前で微妙な気持ちになる」
「この映画での倍賞千恵子の演技が素晴らしいというか、その老い方があまりにリアルなのだ。顔や口もとの皺、たるんだ皮膚、鈍い動き、そのすべてが老人とはこういうものだという現実を突きつけてくる・・・そして『プラン75』を選択した者は、ある施設に向かう・・・その施設で亡くなった者たちの遺品は、集められ、分けられる。迎え入れから最後の分別まで、画面を見ながら、どこかで見たような風景だと思った・・・最後に気づいた。それはナチスの強制収容所(の映像)で見かけた風景だった」

さらに話は「棄老」の物語である深沢七郎の「楢山節考」の話へ展開し、著者曰く「プラン75」と「楢山節考」にはまったく同じシーンがある。それは最後に日に家を出るときの作法を教えるシーンだという。
「楢山節考」では、その作法を教えるのは、経験のある村人たちで、深い共感といたわりに満ちたものだが、「プラン75」では、それを伝えるのは、そのサービスのために作られたコールセンターの係員だという。
私は、きっとこれが現実になった時には、人工音声に代わっているだろうと思います。

以上は一例ですが、軽いタイトルとは裏腹に深い洞察に満ちた話が満載です。

読書 「大絵画展」望月涼子

    鮮やかなどんでん返しに驚愕!


著者:望月涼子
出版:新潮文庫

バブル期にイギリスのオークションで日本人に180億円で落札されたゴッホの『医師ガシェの肖像』・・・日本のバブルが弾けると共に、この絵は銀行の担保物件となって誰の目に触れることもなく倉庫の中に眠っていた。
時を同じくして、デザイナーの荘介とスナックオーナーの茜は、それぞれが多額の借金の挙句、投資詐欺事件に巻き込まれ、さらに膨大な借金を背負う。追い込まれた二人は絵画強奪を持ちかけられ……息つく暇ない騙し合いの末、最後に笑うのは・・・!?

痛快な「コン・ゲーム」小説で、テンポのよい流れで、物語はどんどん進んで最後の最後で大どんでん返しがあり、読者をあっと言わせるのがミソ。
  ※「コン・ゲーム」とは、コンフィデンス・ゲームの略。標的とする人物を
   信用させて働く詐欺のこと。
ただ登場人物が多く(冒頭に人物一覧表があるが、そこにも書かれていない人物も登場します)、ストーリーは緊張感がありテンポよく話が進み、注意して読んでいないと話の筋を見失って、あれれっ?と思うこともあります。
ただ、最後の方で、黒幕となる人物が解説するように話をするので全体が分かる仕掛けになっています。

〈追記1〉
贋作問題やヨーロッパでの絵画の流通の価格設定の裏側や、ゴッホの事についてもいろんな事実が披露されます。
ゴッホについては、「彼は生涯、社会から孤立していたが、生活に困ったことはない。孤独な魂の放浪と言われる彼の人生は、実家の財力に支えられて、自分探しをし続けた自意識過剰な男の収拾のつかない時間経過でもある。名を残した者には必ずドラマとそれらしい解釈が与えられる。その衣装を脱がしてしまえば、彼に何が残るだろう・・・ゴッホはその1枚の絵が180億円の価値を持った不遇の天才だったのか、400フランの絵をたった1枚売っただけの無能な人間だったのか・・・」と著者はいろんな問題提議もしています。
〈追記2〉
冒頭に「ポール・ニューマンとロバートレッド・フォードに捧ぐ」とあり???
全部読み終えると、映画での「コン・ゲーム」の代表作であり、二人が共演した「スティング」のことだと分かりました。
〈追記3〉
Wikipediaで、「医師ガシェの肖像」を調べてみると、この小説の元ネタになった背景があるのが分かります。

2024年12月2日月曜日

読書 ひとびとの跫音(あしおと)上・下 司馬遼太郎

 大きな包容力とリベラルな思想家としての司馬遼太郎

著者:司馬遼太郎
出版:中公文庫(上・下)

著者が「坂の上の雲」を書き始めていたころ、「大阪の料理屋にこの作品に登場するひとびと(正岡子規・秋山好古・真之)のお子さんたち(と言っても54歳~72歳)に集まってもらった。このことは取材というものではなく私としてはかぼそいながらも儀礼のつもりでいた。見も知らない人間が自分の父について書くというのは、気味悪さがあるだろうと思い、せめて作者の顔を知っておいてもらいたいと思ったのである」

その後、そのメンバーのうちの正岡律(子規の妹)の養子となった正岡忠三郎氏夫妻と、彼の旧制二高時代の親友であった「タカジ」(詩人:ぬやまひろし=本名:西沢隆二)らとの交友を描く物語である。


恐らくこの本を読んだ人の感想は、真っ二つに分かれると思う。
一つは、世間では名も知らぬ人のことを、グダグダと書くだけのつまらない話として・・・他はこのように世に埋もれた人を取り上げた著者の感性に唸り、これぞ司馬遼太郎と、評価する人とに分かれるではないだろうか。

 正岡忠三郎は、文学者の素養があるにも関わらず、「子規の跡継ぎ」が、下手な文章や詩歌で恥をかくことは避けたいという信念から、京都大学では経済学部に進み、実直なサラリーマンとしての人生をおくる。

もう一人の主人公である「タカジ」こと、詩人のぬやまひろし(本名:西沢隆二)は、旧制仙台二高を中退し、非合法の共産主義にのめり込んだ。
彼は、敗戦後に釈放されるまでの12年間獄中で、非転向を貫いたことで英雄視され、その後共産党幹部になるが、のちに危険思想視され共産党を除名される。

司馬は、西沢と接触するうちに、党派主義とは無縁な人間性に惹かれてゆく。
西沢はマルクス主義以上に「個人の解放」をめざし、長幼の序列はそれを妨げると考え、姓抜きで名を呼び合う関係を理想とし、子や孫まで自分(西沢隆二)を「タカジ」と呼ばせた。
戦前の投獄された時に、子規に目覚め、その後の高度成長期にも革命を追い求める生涯は、我々の常識を大きくはみ出している。
そのような「タカジ」に敬意を持って対話を続けた司馬遼太郎という人間の包容力の大きさを痛切に感じた。
またある批評家は、司馬は「保守」と思われているが、この本を読めば、そのような党派主義に捉われないリベラルな思想家であるのが分かるとも言っている。
司馬の隠れた名著だと思います。