東野圭吾の最後のエッセイと初期短編集
著者:東野圭吾
著書:「たぶん最後の御挨拶」「探偵ガリレオ」「新参者」「マスカレード・イブ」
以前から著者の本を読みたいと思っており、エッセイの「たぶん最後の御挨拶」と、小説の「探偵ガリレオ」「新参者」「マスカレード・イブ」の4冊を一気に読みました。期待していた通り、なかなか面白い小説でした。
<たぶん最後の御挨拶>
「あとがき」を見ますと、1985年に江戸川乱歩賞を受賞(初受賞)した直後から、ちらほらとエッセイの依頼が舞い込むようになり、小説家というものはエッセイを書くものだと思い込み、自伝もどきを書いたり、趣味について語ってきたりしたのですが、しかしある時、自分のエッセイ集を眺めていて、ふとこんなものを読んで楽しいのかと疑問を持ったそうです。
そして、エッセイを書くことに違和感を覚え、最近はエッセイの依頼を特殊な事情がない限り断っているということなので、このタイトルにしたそうです。
<たぶん最後の御挨拶>
「あとがき」を見ますと、1985年に江戸川乱歩賞を受賞(初受賞)した直後から、ちらほらとエッセイの依頼が舞い込むようになり、小説家というものはエッセイを書くものだと思い込み、自伝もどきを書いたり、趣味について語ってきたりしたのですが、しかしある時、自分のエッセイ集を眺めていて、ふとこんなものを読んで楽しいのかと疑問を持ったそうです。
そして、エッセイを書くことに違和感を覚え、最近はエッセイの依頼を特殊な事情がない限り断っているということなので、このタイトルにしたそうです。
本人曰く「私はエッセイが得意ではありません。これまでの受賞はフィクション小説で、受賞したこととエッセイを書く能力とは無関係なのです。エッセイを依頼されるたびに頭を捻り、脂汗を流すことになります。そもそも私はストレートに言葉にするのが下手なのです。表現したいことは、頭の中でもやもやと漂っており、それを人に伝える方法として、小説を選んだのです」
ということなので、最後のエッセイ(2006年)をじっくり読んでみました。確かに部分的には面白いものもあるのですが、小説と比べると、やはり小説に軍配があがります。
面白い例として、こんなエピソードがありました。「あの頃ぼくらはアホでした」で中学の頃の話を書いた処、母親がそれを読んで「男の子なんか、なんぼ厳しく育てようと思ても無駄や、親の見てへんとこで何してるかわからへん。『あの頃ぼくらはアホでした』を読んで、ようわかったわ」と、言ったそうです。大阪にいるお母さんの気持ちがよくわかる気がします。良いお母さんだと思います。
<探偵ガリレオ>
ガリレオシリーズの第1作目。
著者の持っている理系の知識を駆使して小説を書いてみたいという思いから出来上がった作品。取り上げた科学知識は全て既存のもので、理論的には可能だが、実行可能かは検証していないとのこと。何故なら検証するには人を殺さねばならないと・・・この「落ち」には笑ちゃいました。
小説の主人公は、映画で湯川学助教授(=ガリレオ)演じている福山雅治の全く変わらないイメージでした。ただ、映画では、頼まれていやいや捜査に協力するのですが、原作では積極的に捜査に協力していました。
ということなので、最後のエッセイ(2006年)をじっくり読んでみました。確かに部分的には面白いものもあるのですが、小説と比べると、やはり小説に軍配があがります。
面白い例として、こんなエピソードがありました。「あの頃ぼくらはアホでした」で中学の頃の話を書いた処、母親がそれを読んで「男の子なんか、なんぼ厳しく育てようと思ても無駄や、親の見てへんとこで何してるかわからへん。『あの頃ぼくらはアホでした』を読んで、ようわかったわ」と、言ったそうです。大阪にいるお母さんの気持ちがよくわかる気がします。良いお母さんだと思います。
<探偵ガリレオ>
ガリレオシリーズの第1作目。
著者の持っている理系の知識を駆使して小説を書いてみたいという思いから出来上がった作品。取り上げた科学知識は全て既存のもので、理論的には可能だが、実行可能かは検証していないとのこと。何故なら検証するには人を殺さねばならないと・・・この「落ち」には笑ちゃいました。
小説の主人公は、映画で湯川学助教授(=ガリレオ)演じている福山雅治の全く変わらないイメージでした。ただ、映画では、頼まれていやいや捜査に協力するのですが、原作では積極的に捜査に協力していました。
<新参者>
加賀恭一郎シリーズ8作目ですが、本作品では、日本橋署の刑事に新規着任したので「新参者」の名称がついています。謂わば「新参者」シリーズの1作目。
映画で主役を演じる阿部寛は、前に書いた「ガリレオ」の福山雅治以上に「ピッタリ感」があります。映画の配役の割り振りには、小説のイメージを壊さないように役者を嵌め込むのも大変なことだと思いました。
当初短編集だと思って読んでいましたら、最後に全ての物語が、一つの殺人事件に結びつくか、もしくはその周辺で起きた出来事という構成になっているのには舌を巻きました。
<マスカレード・イブ>
映画化された「マスカレ-ド・ホテル」「マスカレード・ナイト」では、新田浩介刑事(木村拓哉)とホテルマン山岸尚美(長澤まさみ)が協力して事件を解決していくのですが、この小説は二人が出会う前の物語です。
この小説は映画化されていませんが、小説の主人公と映画のキャストとの関係では、長澤まさみはドンピシャ。キムタクはまあ、こんな感じかなと。(小説と映画の主人公がピッタリ一致するのが良いと言っている訳ではありません)
シリーズ初の短編集ということですが、なかなか面白い話に出来上がっています。
二人に共通性のない事件の短編が続いて、二人の人間像を作り上げ、最後に将来二人の接点になるであろうと想像できる物語の展開には、さすがと唸らせます。
余談ですが、映画化された作品では「ロイヤルパークホテル」がクジットされており、同ホテルが映画の中の「ホテル・コルテシア東京」のモデルとなって、映画の中にも登場します。
因みに、タイトルの「マスカレード」は英語で「仮面舞踏会」を意味することだそうです。そして物語のホテルのモットーはお客の「仮面を剥がさない」こと。
加賀恭一郎シリーズ8作目ですが、本作品では、日本橋署の刑事に新規着任したので「新参者」の名称がついています。謂わば「新参者」シリーズの1作目。
映画で主役を演じる阿部寛は、前に書いた「ガリレオ」の福山雅治以上に「ピッタリ感」があります。映画の配役の割り振りには、小説のイメージを壊さないように役者を嵌め込むのも大変なことだと思いました。
当初短編集だと思って読んでいましたら、最後に全ての物語が、一つの殺人事件に結びつくか、もしくはその周辺で起きた出来事という構成になっているのには舌を巻きました。
<マスカレード・イブ>
映画化された「マスカレ-ド・ホテル」「マスカレード・ナイト」では、新田浩介刑事(木村拓哉)とホテルマン山岸尚美(長澤まさみ)が協力して事件を解決していくのですが、この小説は二人が出会う前の物語です。
この小説は映画化されていませんが、小説の主人公と映画のキャストとの関係では、長澤まさみはドンピシャ。キムタクはまあ、こんな感じかなと。(小説と映画の主人公がピッタリ一致するのが良いと言っている訳ではありません)
シリーズ初の短編集ということですが、なかなか面白い話に出来上がっています。
二人に共通性のない事件の短編が続いて、二人の人間像を作り上げ、最後に将来二人の接点になるであろうと想像できる物語の展開には、さすがと唸らせます。
余談ですが、映画化された作品では「ロイヤルパークホテル」がクジットされており、同ホテルが映画の中の「ホテル・コルテシア東京」のモデルとなって、映画の中にも登場します。
因みに、タイトルの「マスカレード」は英語で「仮面舞踏会」を意味することだそうです。そして物語のホテルのモットーはお客の「仮面を剥がさない」こと。
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