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2025年12月5日金曜日

読書 「街道をゆく夜話」(再読)

    「街道をゆく」に何故『洛中』を取り上げていないのか?


著者:司馬遼太郎
出版:朝日文庫

タイトルからは、「街道をゆく」の裏話のようなイメージを受けるが、掲載されているのは直接関係ないもので、「街道をゆく」のイメージに合いそうな短いエッセーを集めたものです。要するに編集者の「二匹目のドジョウ」を狙った商法のようです。ただ手短な話が多いので夜の寝る前に読むには手頃です。

以前読んでからかなりの年数が経つので、かなりの部分は忘れているものが多いが、そういう中で、新たな発見がありました。

以前「街道をゆく」を読み通した(一部抜けがあるかも?)時に、京都の洛中を扱ったものが、このシリーズに含まれていないのに気づきました。(大徳寺散歩・嵯峨散歩はあるが、これらは洛外)
著者は、産経新聞京都支局を含めて京都に7年間もいたにも拘わらず、歴史のある京都の寺社を何故取り上げていないのか、これまでずっと不思議に思ってきました。
今回本書を読んで、もしかしたらここに書かれている事がその原因ではないかと思われる記述がありましたので紹介します。

当時の著者は寺社の担当で、そこでの年中行事を書いていた。「京都の人は年中行事が生活の暦になっていたので、京都版にはこういう記事が欠かせなかった。若かったからばかな町だと思っていた・・・京都的生活への反発だけがあった。『終い弘法』という言葉を聞くだけで、いまでもやり場のない悲しみがこみあげてくる・・・『終い弘法』では人出の数だけを勘定していた。露店にどういう植木が出ていたかも記憶がない・・・要するに京の四季を味わうには、私は若すぎた・・・おれの青春はこんな陰気くさいもののなかで朽ちるのか・・・」

以上、このような気持ちが著者の中に後々まで心の澱(おり)のように残り、歴史のある場所はことごとく取り上げている「街道をゆく」の中で、例外的に「洛中」は取り上げられていないのではないかと、勝手な推測をしている次第です。

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