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2024年8月28日水曜日

読書 「悩める平安貴族たち」 山口博

     平安貴族の恋や出世や富・・・艶やかな裏では・・・


著者:山口博
出版:PHP新書

平安時代、NHK大河ドラマの道長の時代の歴史は、「御堂関白記」「小右記」「権記」等々でかなり詳細に読み解かれている。歴史学ではその原因や動向を研究するが、その歴史の裏側で、泣く女については触れることはない。
そこで筆者は、この時代の和歌、日記、物語によって平安貴族の「生老病死」を読み解いていく。

貴族の女性のスタンダードな生き方は、仕事と結婚
「仕事」:女房としてどこに宮仕えするかということで、仕事は親や知り合いの伝手を頼ることもあったであろうし、転職もあったようだ。
「結婚」:現代のように法律で縛られることはないのと、男性が女性のもとに通う「通い婚」なので、女性の方が高齢になり男性の足が遠のくと、途端に人生の黄昏を迎えることになる。そうなると老後の資金を得るために「家を売る女性」も少なくなかったそうである。そこで高齢になっても面倒を看てくれそうな男性を求めることが最終目標になる。著者は和泉式部が30~40人程の愛人を持ったのは、頼りになる男性を求めてのことか?・・・という推測をしている。
「老後」:若き日の華麗な宮廷生活から一転して晩年の零落。女性は来世では成仏できなという仏教の教義は、死後の世界での更なる零落を暗示させ、彼女らは救いの道を求めて出家し、エリート尼が大量出現したりしている。
藤原道長はこのような女性の為に、土御門殿の一角に法成寺を作って、尼集団のパトロンになり、彼女たちの面倒をみたという。他にも少し例はあるようだが、極めて特殊なようである。尼にもなれない女性はどうしたのかと思ってしまう。

男性の生きがいは「出世」「恋」「富」のトライアングル
「出世」:彼らは、位階という三十階級のどこかに位置づけられ、途中に踊り場が2つあるそうだ。よりよい官位を獲得できるか否か、上流への憧れと上昇志向。男性はそこに生きがいを見出していた。
「恋」:「源氏物語」で繰り広げられる恋物語は現代では絵空事のように思われるが、実際には光源氏顔負けのプレイボーイもいたという・・・藤原実方。その歌も掲載されている。一般には、恋して最良の妻を迎えるのだが、その心の機微を恋歌にうかがうことができる。
「富」:政府から支給される俸給も、上流貴族は極端に高額なので、富を生きがいにすることも無いだろうが、中流の貴族だと顕職を捨てて地方官になって蓄財に努め、その後富の力でのし上がった人物もいる。「源氏物語」の明石入道などはその典型で、娘を光源氏の愛人にし、孫娘は中宮になった。
「病」:このトライアングルも「病」になれば壊れる。最も恐ろしい病は、生霊や死霊が取り憑いて祟りをなすと考えられていた。これの治療法は加持祈祷しかない。

以上のような事を、和歌、日記、物語で紐解いていくのだが、華やかそうな平安貴族も、病気や老後のことを読んでいると、段々と落ち込んでいく。
現代に生まれて良かったとつくづく思う次第です。

2024年8月23日金曜日

読書 蔦 重(吉森大祐)


   江戸の稀代のプロデューサー蔦屋重三郎


著者:吉森大祐
出版:講談社文庫

江戸時代の稀代のプロデューサーである蔦屋重三郎(以下「蔦重」)を描いた短編集。
(2025年のNHK大河ドラマはオリジナル脚本で、この本は原作ではありません)

鋭い閃きと大胆な企てで時代を切り開いた蔦重は、喜多川歌麿、東洲斎写楽、恋川春町、山東京伝、曲亭馬琴等々の絵師や戯作者たちを次々と世に送り出した。
時代は田沼時代から一転して松平定信の寛政の改革へと・・・
そうした変化の中でも、絵師、戯作者の才能を巧みに操り、次々と流行を生み出した
蔦重の光と影を描く物語。

中でも謎の絵師と言われ、大胆なデフォルメで一世を風靡した東洲斎写楽については、「写楽=阿波徳島藩の斉藤十兵衛」という仮説を前提に悲喜こもごもの物語が進む。
蔦重は、世間から才能を認められないで燻っていた十兵衛を苦労して時代の寵児にまで押し上げたが、それに浮き足立って十兵衛は、わがままを言い始めた。蔦重の言うことに耳を貸さない十兵衛の絵の質は、描くほどに下がっていった・・・蔦重そんな十兵衛に見切りをつけ、切って捨てた。そして東洲斎写楽という名前は人びとから忘れ去られてしまう。
そんな蔦重に対して、芝居茶屋の女将・お静は言う「器用なあんたは、いつも選ぶ側に立つ。ブザマに選ばれる側の気持ちは一生わからない・・・」と。
蔦重は、ふと思い出す。若き日の吉原。三味線弾きの美少女・於美与が選んだのが十兵衛。
つまりは、さんざん粋に恰好をつけていたあの頃のおいらより、不真面目で浮かれてただけの十兵衛の方が、男としちゃ、上だったってことか。なぁんだ。
そう考えると、なんだか、全てが馬鹿バカしく思われた。

百年後、幕末・明治になってから、日本の浮世絵が大量に欧州に渡り、ジャポニズムのブームが起きると、写楽の不思議な魅力をもった大胆な役者絵が大人気となる・・・

この物語には、幕府の政策に翻弄されながらも、当時の庶民の喜びと悲しみ、希望と絶望を描くことで、そこには令和の日本人と変わらぬ人間の姿があるように思えた。

2024年8月21日水曜日

読書 京 都 百 話(奈良本辰也)

     碩学が紐解くの京都のおとぎ話?


著者:奈良本辰也他
出版:角川ソフィア文庫

京都に「みやこ」が置かれて1200年の間に、各々の寺社や場所に纏わる歴史・逸話・伝説の数々を、碩学・奈良本辰也氏と高野澄氏、左方郁子氏、百瀬明治氏の方々によって書かれた本ですが、これまでの歴史本を越えた面白みがあります。
特に、逸話・伝説については、それぞれの紹介と併せて、それが出来上がった背景まで推測し、これまでの歴史学者は取り上げなかった硬軟織り交ぜた内容になっています。

例えば「五条大橋」の項では、戦前の教科書に掲載されていた小学唱歌の牛若丸と弁慶の話から始まる。
  京の五条の橋の上 大の男の弁慶は 
  長いなぎなた振り上げて 牛若丸めがけて 切りかかる

そして橋のたもとには、それを偲ぶ戦いの様子が人形のような形で象徴されて建てられている。

現在の場所に架かっている五条大橋は、豊臣秀吉全盛の頃に架けられたもので、それ以前に五条大橋と呼ばれていたものは、今の松原通りに架けられたものであり「源氏物語」に出てくるものがそれである。その後、橋の老朽化で、何度か架け替えられるのであるが、秀吉はその橋の位置を、六条坊門とした。だから六条大橋といってもよいのだが、五条の大橋はあまりにも由緒があり、簡単には六条大橋と呼べない歴史を紹介している。
そして、六条に架けられた橋を「五条大橋」と呼び、それと同時に六条坊門の通りが「五条通り」と呼ばれるようになった。一本の橋が、平安京いらいの通りの名称まで変更させてしまったのだ。

そして冒頭の弁慶と牛若丸の話に戻るのだが、弁慶と牛若丸が出あったのは、以前に架けられていた松原通りの大橋で、今の場所ではなかったという。
上記の小学唱歌の内容に戻り、二人の勝負の内容は、牛若丸が勝ったというものではなく、逆であったのではないかと推測している。何故ならこのような話は「義経記」にすら出て来ないからである。そこで再現された内容は、紙面も足りないので省略しますが、ご興味のある方は本書をお読みになって下さい。

碩学と言われた奈良本辰也氏が、小学校唱歌に出てくるような話にまで踏み込んだことに対する興味と、そのような話が満載の楽しい京都の歴史案内書です。京都にご興味のある方は是非一読をお薦めします。

2024年8月15日木曜日

読書 「テレビの国」から(倉本聰)

       時代を俯瞰した脚本家     


著者:倉本聰
出版:産経新聞出版

エピソードや笑いの中にテレビ業界の視聴率のみを追及する姿勢を批判し、かつテレビ文化の衰退を憂い、そして自然への畏れと感謝を失くしつつある日本人への著者の直言のような気がしました。

構成としては、時代や視点となる場所と作品を結び付けた内容になっています。

第1章 昭和から平成、令和をつなぐ物語
「やすらぎの郷」「やすらぎの刻~道」
第2章 戦後日本を総括する物語
「北の国から」
第3章 東京を離れて見えた物語
「6羽のかもめ」「前略おふくろ様」「りんりんと」「幻の町」「うちのホンカン」「浮浪雲」
第4章 富良野がつないだ物語
「昨日、悲別で」「ライスカレー」「風のガーデン」
第5章 若き日の物語
「文五捕物絵図」「わが青春のとき」「君は海を見たか」「玩具の神様」「ガラス細工の家」
第6章 これからの人に贈る物語

内容は多岐に渡っていますので、全体的に纏めるのは難しいので、印象に残った箇所を列挙しました。

・「僕は黒木華さんとか好きですが、ああいう日本的な顔の人がなかなかいない。・・・(略)・・・みんながモデルみたいに美しい脚になってしまった。あれでは農業はできないです。八千草薫さんや吉永小百合さんの世代はあんまり細くない。でも、僕はしっかりとした脚の方が好きだし、体の構造的にも重心が低い方が理にかなっていると思うんです」

・僕の中で(「やすらぎの郷」の)一番のきっかけは、大原麗子さんのことでした。
あれほどの女優が孤独死って・・・。そのことがずっと僕の心の中にありました。

・「やすらぎの郷」が終わってから、浅丘さんと加賀さんに怒られました。「私たちは出番が多い割に、役として立つところがなかった」・・・(略)・・・申し訳ないと思いましたけど、あれだけ人数がいると忘れてしまうんです。その分、「やすらぎの刻~道」では、頭から頑張ってもらっています。

・「幻の町」は樺太から引き揚げた老夫婦の物語で、奥さんは田中絹代さん、夫役は笠智衆さんでしたが・・・笠さんはこの時70歳を超えていて「冬の小樽のロケなんてとても行けません」と断られたんです。すると絹代さんが笠さんに電話して「何言ってんの! 役者が撮影現場で死んだら本望でしょう」と説得してくださいました。笠さんにとって絹代さんは雲の上のスターみたいな存在でしたし、ラストにはその絹代さんとのキスシーンもあります。断れなくなって出てくれました。実際、笠さんはものすごく喜んでくれて、キシシーンの後でスキップしていましたけれど、あれは笠さんのアドリブだったと思います。
桃井かおりと笠さんをめぐる思いでもあります。撮影現場でかおりが珍しくしょんぼりしていたら「桃井さん、どうしました? ホームシックですか?」あの独特の熊本なまりで聞くわけです。それでかおりが「いえいえ」なんて答えたら、笠さんはニコニコしながら大きな声で、「抱いてやりたいんじゃが、(男として)もう役に立たんのじゃ」 これにはひっくり返って笑いました。ホントにしゃれています。
  
等々面白さ満載ですが、書ききれないので、ここで止めておきます。