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2024年9月25日水曜日

映画 <駅-STATION>・・・高倉健さん没後10年

   高倉健さん没後10年(命日:2014年11月10日)


倉本聰の幅広い交友関係の中での一人に高倉健がいた。ある時期から高倉健がこっそり富良野に来る日が増え、その時にはいつも倉本を喜ばせる土産を持って来たそうだ。
そういう経緯から、倉本は究極のお返しをしようと思いつき、高倉健の誕生日に丹精を込めて書いたシナリオを渡した。それが後に映画化された「駅-STATION」だった。
脚本:倉本聰
監督:降旗康夫
出演:高倉健、倍賞千恵子、いしだあゆみ、烏丸せつこ
内容は、オムニバス方式で「不器用に生きる男と、それに絡む三人の女の物語」だった。
オムニバス方式なので、ストーリーが分かりづらいですが、内容としては、以下の三部作で構成されています。

① 1968年 直子(いしだあゆみ)・・・英次(高倉健)の妻
離婚を承諾した直子は、雪の降る銭函駅で、動き出した列車の中から笑って敬礼をするが、その目には涙が溢れていた。
別れの列車のデッキで、笑いながら敬礼した顔が泣き顔に変わってゆく、いしだあゆみの姿には泣かされました。
② 1976年 すず子(烏丸せつこ)
増毛駅の風待食堂で働くすず子の兄・五郎(根津甚八)が、通り魔の犯人だった。すず子の愛人の協力を得た英次は、駅近くの風待食堂で張り込んでいた。五郎が現れた時に警官が駆け寄り・・・辺りにはすず子の悲鳴がこだまする・・・

③ 1979年 桐子(倍賞千恵子)
英次は正月の帰省のため、故郷の雄冬への連絡船の出る増毛駅に降りた。その時、英次は警察官を辞する決意を固めていた。連絡船の欠航で所在無い英次は、暮れも押し詰まった大晦日に小さな居酒屋「桐子」に入った。女手一つで切り盛りする桐子の店だが、他に客もいない。

テレビでは八代亜紀の「舟唄」が流れている。自分と同じく孤独の影を背負う桐子に、いつしか惹かれる英次。・・・そして桐子には指名手配中の森岡という愛人がいたが、何故か「タレ込み」があった。 桐子のアパートに乗り込むと、そこには森岡がいた・・・警察に通報しながらも森岡をかくまっていた桐子。札幌に戻る前に英次は桐子の店を訪ねたが、英次に背を向け素っ気ない態度で「舟唄」に聞き入る彼女の顔に涙が流れている・・・
英次は警官を辞めるつもりで持っていた辞表を、駅のストーブにくべると、列車に乗りこんで行く・・・
<エピソード>
オリジナル脚本では、札幌へ向かう列車に乗った英次は、札幌駅で離婚した直子と再会することになっていたが、降旗康夫監督は、そのシーンをカットしてしまった・・・当然、怒った倉本聰は、降旗康夫監督でなく、カメラ監督の木村大作の処へ怒鳴り込んだそうです。(木村大作のインタビューから)


警察官の辞表を燃やした英次が札幌に向かい、そこで直子との再出発する姿も見たかったなぁ。
そして映画を見終わったあとには、高倉健と倍賞千恵子のバックに流れる舟唄があった・・・良い映画でした。

2024年9月24日火曜日

映画 明日に向かって撃て(原題: Butch Cassidy and the Sundance Kid)

      アメリカン・ニューシネマの代表作

新しいスタイルの西部劇
・・・スーパーヒーローではなく、ひたすら逃げまくる主人公たち

主演:ポール・ニューマン・・・・・ブッチ・キャシディ
   ロバート・レッドフォード・・ザ・サンダンス・キッド
   キャサリン・ロス・・・・・・エッタ・プレイス
監督:ジョージ・ロイ・ヒル
音楽:バート・バカラック  主題歌「雨にぬれても」

従来の西部劇は、相手がインディアンやどんなに強いならず者であろうと、ジョン・ウェインもゲーリー・クーパーも決して逃げない。
たとえ、どんな不利な状況でも敢然と戦うヒーローだった。

この映画では、強盗被害にあった鉄道会社が最強の追撃隊を組織する。それに対して勝ち目はないと思って、ブッチもサンダンスも(スペイン語のできるエッタを巻き込んで)、スペイン語圏のボリビアまでも、ひたすら逃げまくる西部劇として、従来のイメージを変えたと思います。
1890年代に実在した二人を主とした銀行強盗がモデルになっています)


<印象に残ったシーン
・列車の金庫の爆破で、火薬が多すぎて列車ごと吹き飛ばし、空に乱舞するお札に唖然とする主人公達

・岩山に追い詰められた絶対絶命の場面で、眼下の急流を前にして、ブッチが飛びこもうと言うが、サンダンスが<I can't swimというコミカルなシーン

・「雨にぬれても」の音楽を背景に、つかの間の息抜きとして、新しく発明された自転車で遊ぶシーン(話は前後しています)
二人の楽しそうな動きと音楽がうまく溶け合った素晴らしいシーンです。

・その後彼らは、追手を逃れて、ゴールドラッシュに沸くという、ボリビアへ渡るが、そこにはゴールドラッシュはなく、貧しい国だった。
金に困った二人は銀行強盗を働くが、スペイン語が出来ないので、エッタに作ってもらったカンペを読みながらの銀行強盗には笑ってしまう。

・居酒屋で食事をしていた時に気づかれ通報されてしまう。
警察だけでなく軍隊も出動して、膨大な数で二人を取り囲んでしまい、逃げ場を失ったふたり。
最後のセリフは「次はオーストラリアに行こう」という軽口を叩き、銃を撃ちながら外へ飛び出してゆく・・・
そしてラストのストップモーション・・・映画史に残る名シーンです。

緊急情報
2024年9月24日(火)午後1:40~
テレビ東京「午後のロードショー」で放送予定です

2024年9月1日日曜日

読書 東野圭吾の「たぶん最後の御挨拶」ほか・・・

   東野圭吾の最後のエッセイと初期短編集


著者:東野圭吾
著書:「たぶん最後の御挨拶」「探偵ガリレオ」「新参者」「マスカレード・イブ」

東野圭吾原作の映画では、ストリーの展開の面白さと、最後にはほろりと泣かせるか、ほっこりとさせてくれるので、いつも感動しています。
以前から著者の本を読みたいと思っており、エッセイの「たぶん最後の御挨拶」と、小説の「探偵ガリレオ」「新参者」「マスカレード・イブ」の4冊を一気に読みました。期待していた通り、なかなか面白い小説でした。

<たぶん最後の御挨拶>

「あとがき」を見ますと、1985年に江戸川乱歩賞を受賞(初受賞)した直後から、ちらほらとエッセイの依頼が舞い込むようになり、小説家というものはエッセイを書くものだと思い込み、自伝もどきを書いたり、趣味について語ってきたりしたのですが、しかしある時、自分のエッセイ集を眺めていて、ふとこんなものを読んで楽しいのかと疑問を持ったそうです。
そして、エッセイを書くことに違和感を覚え、最近はエッセイの依頼を特殊な事情がない限り断っているということなので、このタイトルにしたそうです。
本人曰く「私はエッセイが得意ではありません。これまでの受賞はフィクション小説で、受賞したこととエッセイを書く能力とは無関係なのです。エッセイを依頼されるたびに頭を捻り、脂汗を流すことになります。そもそも私はストレートに言葉にするのが下手なのです。表現したいことは、頭の中でもやもやと漂っており、それを人に伝える方法として、小説を選んだのです」
ということなので、最後のエッセイ(2006年)をじっくり読んでみました。確かに部分的には面白いものもあるのですが、小説と比べると、やはり小説に軍配があがります。

面白い例として、こんなエピソードがありました。「あの頃ぼくらはアホでした」で中学の頃の話を書いた処、母親がそれを読んで「男の子なんか、なんぼ厳しく育てようと思ても無駄や、親の見てへんとこで何してるかわからへん。『あの頃ぼくらはアホでした』を読んで、ようわかったわ」と、言ったそうです。大阪にいるお母さんの気持ちがよくわかる気がします。良いお母さんだと思います。

<探偵ガリレオ>

ガリレオシリーズの第1作目。
著者の持っている理系の知識を駆使して小説を書いてみたいという思いから出来上がった作品。取り上げた科学知識は全て既存のもので、理論的には可能だが、実行可能かは検証していないとのこと。何故なら検証するには人を殺さねばならないと・・・この「落ち」には笑ちゃいました。
小説の主人公は、映画で湯川学助教授(=ガリレオ)演じている福山雅治の全く変わらないイメージでした。ただ、映画では、頼まれていやいや捜査に協力するのですが、原作では積極的に捜査に協力していました。



<新参者>

加賀恭一郎シリーズ8作目ですが、本作品では、日本橋署の刑事に新規着任したので「新参者」の名称がついています。謂わば「新参者」シリーズの1作目。
映画で主役を演じる阿部寛は、前に書いた「ガリレオ」の福山雅治以上に「ピッタリ感」があります。映画の配役の割り振りには、小説のイメージを壊さないように役者を嵌め込むのも大変なことだと思いました。
当初短編集だと思って読んでいましたら、最後に全ての物語が、一つの殺人事件に結びつくか、もしくはその周辺で起きた出来事という構成になっているのには舌を巻きました。


<マスカレード・イブ>

映画化された「マスカレ-ド・ホテル」「マスカレード・ナイト」では、新田浩介刑事(木村拓哉)とホテルマン山岸尚美(長澤まさみ)が協力して事件を解決していくのですが、この小説は二人が出会う前の物語です。

この小説は映画化されていませんが、小説の主人公と映画のキャストとの関係では、長澤まさみはドンピシャ。キムタクはまあ、こんな感じかなと。(小説と映画の主人公がピッタリ一致するのが良いと言っている訳ではありません)
シリーズ初の短編集ということですが、なかなか面白い話に出来上がっています。
二人に共通性のない事件の短編が続いて、二人の人間像を作り上げ、最後に将来二人の接点になるであろうと想像できる物語の展開には、さすがと唸らせます。

余談ですが、映画化された作品では「ロイヤルパークホテル」がクジットされており、同ホテルが映画の中の「ホテル・コルテシア東京」のモデルとなって、映画の中にも登場します。
因みに、タイトルの「マスカレード」は英語で「仮面舞踏会」を意味することだそうです。そして物語のホテルのモットーはお客の「仮面を剥がさない」こと。